欧米で高い評価を受けて国内外で活躍する希代のアーティスト、村上隆さんの著書『芸術起業論』。リクルート 旅行ディビジョンに所属し地域活性化の研究やコンサルティングを行う木島達也さんは、この本に衝撃を受けたといいます。目からうろこが落ちたという本書が、自身の仕事や部下の教育にどのように生きているのか。木島さんに教えてもらいました。
売れるものと売れないものがある理由
リクルートはディビジョン制ですが、私がいるのは旅行ディビジョン。旅行ディビジョンでは「じゃらん」の出版やネット予約を手掛け、全国の宿泊施設や観光スポットを紹介しています。また、じゃらんリサーチセンターでは、地域活性化のための研究を行っています。さらに、国や行政と仕事をする地域創造部もあります。具体的には、自治体や省庁などと連携し、海外や国内各地域のコンテンツを紹介するなどしています。
現在、私はじゃらんリサーチセンターの研究員と、地域創造部の中にあるエリアプロデュースグループのエグゼクティブプロデューサーを兼務していますが、実は「第3の役職」もあります。
私の実家は浮世絵の版元で、自分が継いで5代目になります。最盛期には江戸に300軒ほどの版元があったそうですが、現存するのは5軒程度だけ。そのうちの1軒をどうにか守っています。
浮世絵は絵を描く「絵師(えし)」、版木を彫る「彫師(ほりし)」、紙に絵を摺(す)る「摺師(すりし)」が大変な手間を掛けて完成させますが、簡単には売れないんですね。なぜ、売れるものと売れないものがあるのかを考えていたときに村上隆さんの『 芸術起業論 』(幻冬舎文庫)に出合いました。
正直なところ、最初に村上隆さんの作品を見たとき、良さがまったく分かりませんでした。東京藝術大学で日本画を学んだ人が、なぜサブカルチャーに端を発した作品やフィギュアをつくるのかが理解できなかったのです。でも、この本を読んで、欧米の美術界の構造を徹底的に分析して、評価されるために「世界基準の戦略」を立てていたこと、作品を売るためには何よりもその背景となる「物語」が大事であること、それを海外の人に伝えるための「翻訳」に注力したことなどが分かり、衝撃を受けました。
まさに目からうろこで、「原因と結果には関係がある」と、この1冊に改めて教えられました。それはリクルートのビジネスにも通じます。立ち上げてうまくいくサービスもあれば、うまくいかないものもある。その因果関係は何だったのかを常に考えるようになりました。この本を読んだのは2010年ごろでしたが、それ以降、これを超える1冊には出合っていません。
ビジネスにも必要な「翻訳」
この本は村上さんの辛口な発言とパッションが醍醐味ですが、特に感銘を受けたのは「翻訳」と「才能を限界まで引き出すために追い込む」部分です。
なぜ、日本のアートが世界で評価されにくかったかというと、作品の背景を語る翻訳が作品に合っていなかった面があるからだそうです。村上さんは「現代美術の評価基準は『概念の創造』であるから言葉を重視しなければならない」と気づき、自分の主張が伝わるように翻訳者を厳選しました。日本の漫画やアニメに影響された作品の説明に、「平面的な絵は日本絵画の伝統的な手法」「サブカルチャーにおけるフィギュアの重要性」といったことがしっかり書かれていれば、海外のコレクターは魅力を感じるのです。
過去、美術の世界では、「コツコツ頑張って、好きなことを追究して、死んだ後に花開く」といった作者が多くいました。しかし、村上さんは生きている間にやりたいことをやり、ちゃんとお金ももうけたい。なぜなら作品をつくるには材料費も時間もかかる。原価の総コストを超える値段がつかないと、作品をつくり続けられないからです。そこまで見据えて戦略を立てていたところが見事ですし、この本ではその「成功の方程式」が解き明かされています。
そして、この「翻訳」はリクルートの仕事にも大いにつながります。私は今、リクルートの旅行ディビジョンが推進する「観光DX」に関わっています。山梨県富士吉田市、新潟県妙高市、神奈川県箱根町とそれぞれ包括協定を結び、「地域観光における総消費額の増加」に向けて観光地の消費活動や人的流入のデータ化、分析に取り組んでいます。
この包括協定を結ぶときも、行政にどう話を持ちかけて、どういう伝え方をしたら最短で相手に納得してもらえるかを考えました。これは「翻訳」そのものです。
例えば、「当社にぜひ任せてもらいたい」と自慢げに言ってもダメだし、「世の中のためになりますよ」と言っても、現実味がなくては先方の心に響きません。プロジェクトを俯瞰(ふかん)し、「ここでこの一言を発する」というレバレッジポイント──成功の起点を見極めなければなりません。そこは、アーティストが何枚も作品を描いて鍛錬するように、仕事をしていると分かってくるものです。
才能を限界まで伸ばす
また、村上さんは、自分の工房にいる若手アーティストたちに、わざと厳しい文面のメールを送るなどして窮地に追い込み、「才能を限界まで伸ばす」そうです。
リクルートには「よもやま」という、特にテーマを決めず、ざっくばらんに話す1 on 1ミーティングがあるのですが、私も部下に「そもそも何がやりたいのか」「将来、何がしたいのか」というニーズを聞き出しています。コロナ禍で出社する機会が少なくなったので、オンラインや、出張の行き帰りの電車のなかで話すことも増えました。
リクルートで実現したいことがあり、その思いが強い部下には、あえてチャレンジングな仕事を与えることもあります。何となく「こうなったらいいなあ」という夢物語を思い描いている部下には、「本当に実現できると思う?」と問うこともあります。このようにして、部下が現在の仕事に安住せず、自分の潜在的な能力を引き出せるよう促しているのです。
『芸術起業論』はアートの世界の話ですが、私たちの仕事でも、評価と結果を手に入れるにはどうしたらいいか、大いに参考になる1冊です。
取材・文/三浦香代子 写真/小野さやか