世界有数の戦略コンサルティングファーム、マッキンゼー・アンド・カンパニー。世界中のクライアントにコンサルティングを行い、課題を解決しています。同ファーム パートナーの久家紀子さんがビジネスリーダーや後輩にお薦めする本は、村上春樹さんのエッセーやプラトンの哲学の本。なぜビジネス書ではなくこのような本を選んだのでしょうか。言葉の持つ力とその限界、異文化理解の観点で説明してもらいます。
ビジネススキルは現場で身に付く
私はマッキンゼー・アンド・カンパニーのパートナーとして、主に製造業や交通・運輸・物流といった業界の組織戦略に携わっています。マッキンゼーの日本法人パートナーは60人ほど。ただ、当ファームの特徴として、上司と部下が固定されている画一的な組織ではなく、そのときの本人の希望や適性によってプロジェクトごとにメンバーが集まって動きます。
今回は当ファームの課題図書がテーマですが、残念ながら「この本を読んだらコンサルタントになれる」「ビジネスリーダーになれる」といったものはありません。やはり、ビジネスにおけるリーダーシップは現場のOJT(職場内訓練)でこそ身に付くもの。若手のうちから徹底して課題解決に当たり、何歳になってもスキルを磨いていくべきだと思います。
しかし、本はビジネスに関わる者として大切にしたい言葉に出合え、考える力や自分の器を広げてくれるものです。今回は私が特に気に入っている本をご紹介します。
最後は言葉でしか勝負できない
まず1冊目は村上春樹さんの 『もし僕らのことばがウィスキーであったなら』 (新潮文庫)。村上さんがウィスキーの一種、シングル・モルトの産地であるアイラ島などを訪れた際のエッセーです。学生時代にこの本を読み、味わい深い装丁の初版本を今も大切に持っています。
私はコンサルティングを行うパートナーとして、「最後は言葉でしか勝負できない」と日々、痛感しています。なぜなら、私たちがコンサルティングをしたとしても、最終的にはクライアントの事業の実行を代理で行うことはできないからです。やはり最後に意思決定をして行動するのはクライアントであり、勇気を持って一歩踏み出す、その背中を押して差し上げるのが私たちの仕事です。そのときに威力を発揮するのが言葉であり、同時に「言葉は言葉でしかない」という限界があることも分かっていなければなりません。
また、目の前の課題を明文化し、構造化するにも「言葉の力」が必要となります。目の前の不明確な状況を課題として表現し、その大きな課題を同じ要素の小さなかたまりに分解し、それに優先順位を付ける。そして、それを言葉でもってチームに伝え、みんなで協力して動いていく。マッキンゼーというと「英語を話せることが重要なのでは」と思われるかもしれませんが、決してそうではありません。課題を表現し、必要であれば構造化して、それをしっかりと伝えられる能力のほうがはるかに重要です。
こうした言葉の難しさについて、村上さんはこの本の「前書きのようなものとして」で、見事に表現されています。
「もし僕らのことばがウィスキーであったなら、もちろん、これほど苦労することもなかったはずだ。僕は黙ってグラスを差し出し、あなたはそれを受け取って静かに喉に送り込む、それだけですんだはずだ。とてもシンプルで、とても親密で、とても正確だ。しかし残念ながら、僕らはことばがことばであり、ことばでしかない世界に住んでいる」。
たまたま学生時代に作者が好きで読んだ本が、コンサルティングの仕事を続けていく上でこんなにも重く、かつ記憶に残る1冊になるとは思ってもみませんでした。
言葉の持つ力、その限界に思いを巡らせつつ、もうウィスキーの匂いしかしない文章も堪能できるので(笑)、お薦めです。
異文化を理解するための本
続いて紹介するのは 『プラトン哲学への旅 エロースとは何者か』 (納富信留著/NHK出版新書)です。
これからの時代、多国籍企業へと、さらにかじを切る会社が多いのではないでしょうか。グローバルに事業と人が動くなかで、母語を日本語としない人々とのやりとりも増えていると思います。
マッキンゼーでも、10カ国以上の出身者と共に働き、さまざまな国のクライアントと議論や対話をすることが日常的です。そのため、ファーム内には議論のノウハウや課題解決のためのステップが整理されており、比較的スムーズに標準化して仕事を進められる環境は整えられています。
ただ、外国人の同僚やクライアントと深く議論するとき、やはり「そもそもその方はどういう思考の基礎を持っているのか」「その方の母語には、どういった思想や哲学、宗教的な背景があるのか」を理解しておきたいと思うようになりました。そこで、中国古典などもありますが、まずは源流ともいうべきプラトンの『饗宴』を読もうと思ったのですが、いきなり読むにはちょっとハードルが高い。何かガイドがあったほうがいいと思い、選んだのが本書でした。
本書を読むことによって、西洋哲学を教育のバックグラウンドとして持たれているであろう方々と議論する際に、「こうした哲学・思想背景があるから、こういう意見の戦わせ方になっているのかな」と理解できるようになり、ボタンの掛け違いが少なくなったように感じています。
それはつまり、本書で描かれているように、「これはどういうことか」という問いに、登場人物一人一人が答えていき、前の人が言った言葉に違う視点を付け足す、あるいは、それを超える意見を重ねるといったことを繰り返していく方法です。「今まで自分は良い議論ができていなかったのではないか」と反省もしました。
これから先、さまざまな文化で育った人と一緒に仕事をする機会がさらに増えるでしょうから、西洋哲学だけではなく、インド哲学や中国哲学など、各地域の哲学・思想に関する本を読んでおくといいかもしれません。それぞれの考え方を深く理解するために、こうした本がきっと役立つでしょう。
取材・文/三浦香代子