東南アジアでは有力なスタートアップが続々と誕生し、経済成長を支えています。その強さの秘訣は? 今後どうなるのか?  『東南アジア スタートアップ大躍進の秘密』 の刊行を記念し、2022年5月31日、シンガポールで開催された、本書の著者、日本経済新聞の中野貴司さん、鈴木淳さんとクレディセゾン取締役兼専務執行役員の森航介さんが語り合うイベントをリポート。今回は、中野さんがシンガポールのスタートアップ事情を説明します。

全ステークホルダーから信頼を得る

 私は2017年4月にシンガポールに赴任し、現在、駐在6年目に入っています。こちらではマクロ経済から政治までさまざまな分野を取材していますが、スタートアップの動向も重点取材分野の一つです。

 これまでの取材の蓄積を鈴木淳さんと一緒にまとめたのが『東南アジア スタートアップ大躍進の秘密』で、まずは私が執筆した部分のエッセンスと追加情報をお話しさせていただきます。昨年、東南アジアではユニコーン(企業価値10億ドル以上の非上場会社)が非常に多く出現しました。2013~20年で21社だったのが、21年だけで25社誕生し、ブレイクスルーとなった年でした。ただ、年明けから若干調整モードに入り、資金調達額や件数が減っています。本書の序章では、主に2021年までのことを書きました。

 第1章から第4章は、グラブ、シー、GoTo(ゴジェックとトコペディアが統合)の3グループについて紹介しています。これら3グループは、顧客や出資者、株主、政府などすべてのステークホルダーから信頼を得るモデルをつくり上げたことが成功の秘訣ではないかと私は考えています。例えば、グラブとシーはこの4月にマレーシアでネット専業銀行の免許を取ったのですが、本社のあるシンガポールではなく、マレーシアで取ったのはすごい。ゴジェックの創業者、ナディム・マカリムさんも今は閣僚になり、良くも悪くも政府と関係が近いのがこの3グループかなと思います。

 図表1は、配車や宅配サービス、金融などを幅広く展開するグラブの資金調達の変遷です。2012年にマレーシアで創業し、翌年シンガポールとタイ、その翌年にはベトナムやインドネシアに出て、非常にスピードが速い。かつ2014年は資金調達を4回行って、そこでシンガポール政府系ファンド傘下のVERTEX(ヴァーテックス)が連続して資金を入れ、ソフトバンクグループ(SBG)も入れています。

図表1 グラブの資金調達の経緯
図表1 グラブの資金調達の経緯
(出所)グラブ
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 図表2は昨年4月に上場計画を発表したときの資料です。一番下が純損失で、2018年は25億ドル、19年が40億ドル、20年が27億ドル、そしてこの資料には入っていませんが、直近で発表した21年の純損失は35億ドル。全部足したら130億ドルほど、日本円で1.6兆円ほど(1ドル=125円で換算)の損失になります。世界的にハイテク株に逆風が吹く今、これができるか疑問なのですが、当時の雰囲気では、こうした巨額の損失も許容され、上場まで持っていくことができたのだと思います。

図表2 グラブの業績
図表2 グラブの業績
(出所)グラブ
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 グラブもシーも、攻めるところは積極的に攻めつつ、守りも柔軟にやっています。2020年4月、(新型コロナウイルスの感染拡大で)シンガポールがロックダウンになると、グラブは同年6月に人員を5%カット。シーは2021年10月にヨーロッパとインドに出たと思ったら、翌年にはフランスやインドから撤退しました。攻めと守りのバランスがいいのも、この2グループの特徴だと思います。

 ネット通販やオンラインゲームなどを展開するシーについては、2020年9月、私は初めて創業者のフォレスト・リーにインタビューしました。彼は、「黒字にしようと思ったらいつでもできる。今はマーケティングにお金をかけてシェアを取ろうと思ってるから赤字なんですよ」と言っていた。そのときは投資家も評価したので、この時点で、時価総額がDBS(シンガポールの金融グループ)を抜いて東南アジア1位となっており、それから2021年10月には2000億ドルまでいきました。

 ただ、2022年の年明けからどんどん下がって、今は500億ドルほどになっています。5月中旬の決算会見では、2023年までにネット通販事業を実質黒字転換すると言ったので、今は有言実行できるかが試されています。

テマセク、ポートフォリオを大胆に変更

 第5章はシンガポールの政府系投資会社、テマセク・ホールディングスを取り上げています。図表3は昨年7月に決算発表をしたときの資料で、左側が2011年の運用資産、右側が2021年です。資産が10年で倍になっているのですが、それより注目していただきたいのは、ポートフォリオの中身をものすごく大胆に変えていることです。コンシューマー、メディア&テクノロジー、ライフサイエンス&農業・食品、銀行以外の金融サービスの割合が10年前は5%だったのが、今は37%になっています。

図表3 テマセク・ホールディングスが注力するセクターの推移
図表3 テマセク・ホールディングスが注力するセクターの推移
(出所)テマセク・ホールディングス
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 例えば金融サービスについても、2011年は英スタンダードチャータードやインドのICICI銀行などがメジャーな投資先だったのに、今はVISAやマスターカード、ペイパル・ホールディングスなどに急激にシフトして、それが好運用成績をたたき出している秘訣だという点は注目していいと思います。ライフサイエンス分野では、新型コロナのワクチンを作ったドイツのビオンテックなどに投資しています。

NUSを中心にエコシステムが確立

 次に、第6章のシンガポール国立大学(NUS)についてです。私が初めてNUSについて書いたのが2017年で、「ブロック71」や「ハンガー」というNUSが運営に関わる起業支援施設を取材しました。その後にビジネスモデルを発展させて、今はディープテックやアグリテックなどに自分たちで出資し、大学院生に起業を促すような仕組みもつくっています。NUSを中心としたシンガポールの起業エコシステムが、東南アジアの中でシンガポールが抜きん出る、発展している秘訣の一つだと思います。シンガポールのスタートアップの企業価値総額の1/4はブロック71に入居したことがある企業から生まれており、存在感の大きさが分かります。

シンガポール国立大学は起業エコシステムの中心になっている(写真:シンガポール国立大学提供)
シンガポール国立大学は起業エコシステムの中心になっている(写真:シンガポール国立大学提供)
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 一方で、東南アジアはまだまだこれからという面もあります。起業しやすい環境を都市ごとに比較した「グローバル・スタートアップ・エコシステム・リポート2021」(スタートアップ・ゲノム)によると、シンガポールは18位で東京よりも下で、北京や上海、ソウルよりも劣っています。

 また、同様に「勃興するエコシステム」(同上)のランキングでも、新興国では3位のジャカルタ以外はクアラルンプールが21~30位にかろうじて入っている程度で、ベトナムやフィリピンなどはまだまだこれからの面がたくさんあると思います。

構成/佐々木恵美

急成長企業が東南アジアで続々誕生!

東南アジアで有望なスタートアップが続々誕生している。特にグラブ、シー、GoTo(ゴジェックとトコペディアが統合)の3強は巨大で、世界中の大企業やファンドが出資や提携を求めて殺到。現地駐在経験が豊富な日経新聞記者が、大躍進の秘密を解き明かす。

中野貴司、鈴木淳著/日本経済新聞出版/990円(税込み)