東南アジアでは有力なスタートアップが続々と誕生し、経済成長を支えています。インドネシアでも有力な企業が登場。その強さの秘訣は? 今後は? 『東南アジア スタートアップ大躍進の秘密』 の刊行を記念し、2022年5月31日、シンガポールで開催された、本書の著者、日本経済新聞の中野貴司さん、鈴木淳さんとクレディセゾン取締役兼専務執行役員の森航介さんが語り合うイベントをリポート。今回は鈴木さんが説明します。
「ウーバーのマネではない」
私は今から約10年前の2012年に初めてインドネシアを訪れました。インターンとして半年間、ジャカルタに滞在しましたが、生活面で苦労したのが、タクシーも含めた公共交通機関が脆弱なことでした。
ところが、2016年に日本経済新聞ジャカルタ支局長として赴任したときには、ゴジェックやグラブが登場し、交通サービスが急激に改善していました。スマホを使って早く、安く、どこにもでいける世界が突然、実現したことに大変驚きました。ここでは、インドネシアの事例を中心に、私が書籍『東南アジア スタートアップ大躍進の秘密』で執筆した章について説明したいと思います。
第3章ではインドネシアのゴジェックを扱いました。ゴジェックの事業を何と呼べばいいのか、私はずっと考えていました。新聞では「配車サービス」と書くことが多いのですが、本人たちは「配車サービスではない」と言い、実際にさまざまなサービスを手掛けている現実をどう表現したらいいか、なかなか難しい面があります。
2019年5月にインタビューで会った創業者のナディム・マカリムさんはこう言いました。「ゴジェックはウーバーのマネではありません。アプリで呼ぶスタイルは確かに似ていますが、全然違うものです」。では何かと言えば、「時間のない人が、ある人から借りる事業」だと。
インドネシアには、失業しているわけではないのですが、特に仕事をするでもなくブラブラしているように見える人が多くいます。一方で、豊かになってきて、だいたいバイクを持っています。そこで、時間のある彼らがバイクで人やモノを届ける仕事をして、忙しい人たちに時間を貸し与える。ナディムさんが考え出したゴジェックはそういうサービスだと私は理解しています。
確かに、ゴジェックは配車で創業しましたが、ほぼ同時期に宅配や他のサービスも始めています。コンセプトはそこにあったのです。
また、いろいろなサービスをやるとき、普通はどこかのセグメントを狙います。特にインドネシアのように貧富の差がものすごく大きい国では、富裕層か中間層か、それとも一番多い貧困層のどこかに的を絞ることが多いのですが、ゴジェックは、富裕層から貧困層まで、ドライバーやユーザーなど何らかの形ですべての人が関わり得るサービスをつくり上げたところが優れています。
ゴジェックはものすごい勢いで、さまざまなサービスをつくってきました。例えば、ライバルのグラブがやっていなかったものでは、マッサージ師や掃除の手伝いをしてくれる人を家に呼ぶサービスがありました。サービス数が最大で20以上になり生活に非常に役立つアプリになりましたが、一方で、収益をどう確保していくのかという課題があり、2019年から20年にかけてサービスを絞り原点回帰をしています。今でも、ここは苦悩している点なのではないかと思います。
「商業の民主化」を掲げるネット通販
次に紹介するのはトコペディアです。インドネシアに特化したネット通販大手で、ゴジェックと合併してGoToグループを設立しました。GoToの「To」の方です。創業者はウィリアム・タヌウィジャヤさんという人です。
彼は非常に面白いビジョンを語る人で、「商業の民主化」という思想を掲げて通販を始めました。自身がスマトラ島の小さな町の生まれで、自分が読みたい本を買うためには近くの町まで3時間かけて行かなければならず、ものすごく高いコストがかかってしまったという体験があったそうです。民主主義の国でこれが平等かという疑問を持ち、それなら自分がネット通販をやるということで、インドネシアの1万7000あるどの島にいても、同じ値段で好きなものが好きなときに買えるサービスをつくろうとスタートしたのです。
特に裕福だったり政財界の要人とのコネクションがあったりする家庭の出身ではなかったので、起業はものすごく大変だったそうです。起業を決意してから2年間、あちこちでビジョンを説いて回り、投資家を探し続けたとのことです。そのうち、ソフトバンクの孫正義さんやアリババのジャック・マーさんにビジョンを説く機会を得て、彼らに出資してもらって今の本格的な成長につながりました。
この本では、シンガポールとインドネシアの企業を中心に書いていますが、他の国でもスタートアップは育ち、ユニコーン(企業価値10億ドル以上の非上場会社)が相次いで誕生しています。特徴をあえてまとめるならば、社会課題を機敏に見つけて、そこを解決するような事業を行っています。そこが、成功のポイントの一つではないかと思います。
財閥創業者の孫世代が活躍
ここで、東南アジアの財閥についてお話しします。シンガポールもそうですが、インドネシアやフィリピン、タイなどは財閥の力が非常に大きく、なかでもインドネシアでは経済を牛耳っていると言われるほど存在感が大きくなっています。彼らは、伝統的に資源産業や製造業などで経済のなかで大きな地位を占めているのですが、デジタルへの転換がとても大きなテーマになっています。
その主役は、財閥の創業者から見て孫世代に当たる第3世代です。30代半ばから40代半ばぐらいの人たちがかなり活躍し始めています。大きな特徴は、彼らは子どもの頃から欧米やシンガポール、オーストラリアといった海外で国際的な教育を受け、米国や中国へ留学などをすることで米中のスタートアップや最新技術などの動向を機敏につかみ、それを自国で展開していることです。
インドネシアのシナルマスという財閥に、創業者のお孫さんに当たるリンダ・ウィジャヤさんという女性がいます。彼女は、もともとは家業の世界最大級の製紙会社でインドネシア事業を統括する立場にいたのですが、やはり自ら事業をやりたいという強い意志をもっており、今は遠隔医療などを手掛けています。
政治に多大な影響があるギグワーカー
この本の最後では、米中の争いの影響について書きました。そのなかで、東南アジアのスタートアップにも大きな影響を与えそうなのは、ギグワーカー、つまりドライバーなどの扱いですね。米中でも、労働者として認めよ、保障をもっと手厚くせよ、最低賃金を認めよ、といった要求が出てきていて、当局や裁判所などから、従来のビジネスが成り立たなくなってしまう恐れがある非常に重要な決定が少しずつ出始めています。
最近、少し面白いなと思ったのは、GoToが今年4月に上場したとき、株式をドライバーに一部譲渡する計画を発表したことです。時価で言えば数千円から1万円いかないぐらいなのですが、何十万人といるドライバーに与える予定です。生活苦による不満が出やすいので、不満をやわらげるために、「会社はちゃんと見ている」という強いメッセージを送っているのだろうと思います。
ゴジェックの最大市場のインドネシアでは、2024年に大統領選挙があります。選挙でドライバーの力はものすごく大きい。ドライバーは公称200万人いると言われていて、労働組合もあります。大統領府の前でデモを行った際、大統領がデモの代表者と会って話したこともあるぐらいです。政治勢力として無視できない力があるために、選挙にからめて、彼らの待遇を改善する、あるいは改善すべきという動きも出てくるのではないかとみています。
構成/佐々木恵美
『東南アジア スタートアップ大躍進の秘密』
東南アジアで有望なスタートアップが続々誕生している。特にグラブ、シー、GoTo(ゴジェックとトコペディアが統合)の3強は巨大で、世界中の大企業やファンドが出資や提携を求めて殺到。現地駐在経験が豊富な日経新聞記者が、大躍進の秘密を解き明かす。
中野貴司、鈴木淳著/日本経済新聞出版/990円(税込み)