世界の株式市場が調整局面に入るなか、東南アジアのスタートアップを取り巻く環境はどう変化しているのでしょうか? そして、今後の見通しは?  『東南アジア スタートアップ大躍進の秘密』 の刊行を記念し、2022年5月31日、シンガポールで開催された、本書の著者、日本経済新聞の中野貴司さん、鈴木淳さんとクレディセゾン取締役兼専務執行役員の森航介さんが語り合うイベントをリポート。今回は、中野さんが森さんに聞きます。

起業や投資がイケてる職業に

森航介(以下、森) 私が所属するクレディセゾンは、東南アジアやインドにおけるファイナンシャル・カンパニーとして、ファイナンシャル・インクルージョン(金融包摂)を推進しています。例えば、シンガポールのグラブと資本提携してデジタルレンディング(デジタルでの資金融資)事業を展開するなど、書籍『東南アジア スタートアップ大躍進の秘密』に書かれているようなダイナミズムを体感してきました。また、米国のスタンフォード大学のビジネススクールに留学していたとき、今やシンガポールの大富豪になったフォレスト・リーさん(ネット企業、シーの創業者)とクラスメートで、ルームシェアや企業プロジェクトを一緒に行った仲ということで、今日はお招きいただきました。

中野貴司(以下、中野) 森さんはシンガポールに10年ほど在住していて、フォレスト・リーの友人で、グラブの出資者でもあって、自ら事業もされています。この10年で東南アジアの起業のエコシステムはどう変化してきたでしょうか。現在や今後の状況をどう見ていますか。

 私がシンガポールに来た2013年ごろは、ドイツのロケット・インターネットが米国などのビジネスモデルをコピー&ペーストして、いろんなところで事業を展開していました。マッキンゼーなどコンサル出身のピカピカの人たちを雇い、株を持たせて、東南アジアで仕掛けてきたんですね。

 ファウンダー(創業者)が育たないとエコシステムも育ちませんが、東南アジアの有力スタートアップの関係者にはロケット出身者が結構多い。シンガポールのネット通販大手、ラザダはアリババが買いましたが、もともとロケットが母体でした。我々は、シンガポール国立大学(NUS)の海外留学プログラム出身のファウンダーがいるショップバッグという会社に出資していますが、彼らもロケットが出資した別のネット通販ザローラの出身で、チーム全体がザローラ出身。ロケットが起業を支援して、プロフェッショナルにガリガリやるような人たちがラザダから巣立っていったというのは大きかったと思いますね。

ネット通販大手、ラザダのスマートフォンのアプリ(写真:shutterstock)
ネット通販大手、ラザダのスマートフォンのアプリ(写真:shutterstock)
画像のクリックで拡大表示

 ここ10年間は、東南アジアだけでなく世界的にバブリーな面があり、投資資金がじゃんじゃん入ってきた。それは良い面だけではありませんでしたが、それが追い風となり、起業やベンチャー投資に関わることが、優秀なシンガポール人やインドネシア人にとって、最もやるべきイケてる職業に大きく変わりました。

 あとは、グラブやGoTo(ゴジェックとトコペディアの統合会社)みたいな成功例が出てくるなかで、その出身者――僕らは「オペレーター」という言い方をするのですが――が起業するとすごく強い。ベンチャーキャピタル(VC)目線で言うと、最も早く目を付けるべき段階は、グラブなどで働いている人が辞めて起業する前のところ。

 例えば、米国で言えば、GoogleやFacebookをはじめビッグテックが山ほどあります。それらの会社で働きストックオプションなどで小金を手にして、かつオペレーター経験も手にしたところで辞めて起業し、早期のシードマネー(立ち上げ資金)が付いてくる感じです。そういう成功例は非常に重要で、東南アジアでもそうした積み重ねのなかで大量に優秀な起業家が出てきて、いい感じで回っていたのがこの10年でしょう。

 我々で言うと、私がクレディセゾンに加わったのが2013年。その頃は、東南アジアにフォーカスした日系のVCの何社かに資金を入れていました。サイバーエージェントやグリー、GMOなどが運営するVCが、かなりリターンを取った感じがします。ただ、この10年間で起業のエコシステムが急成長するなか、欧米組が入ってきて、現地のVCも強くなりました。そうしたなかで日系VCが存在感を出していくのは難しくなっており、先が読めません。

中野 森さんもそうですが、グラブ、シー、ゴジェックは、米国のハーバード大学やスタンフォード大学のMBAを取った人が起業して成功している。このネットワークは東南アジアではどの程度重要で、成功の条件になっているのでしょうか。

 絶対条件では全然ないけれど、僕が予想していた以上に欧米のビジネススクールや大学のネットワークが利いていると感じます。

成功のカギは「フレキシブル」

中野 日本の企業やVCが、東南アジアでこれから成功するにはどうすればいいのでしょう。タイムマシン経営という言葉があり、昔は日本から東南アジアに経営手法を持ち込む意味だったのが、今は逆の例も出てきているように感じます。

 20年、30年前は日本のモデルを持ち込んでいたけれど、今は変わっていると思います。我々はベンチャーへの戦略的な出資や買収を行い、また、自分たちで会社をつくったり、ジョイントベンチャーをつくったりする手法についてはいろいろと試しました。やっているうちに点と点がつながって線になってきた、というのが我々の展開です。このモデルで行く、この戦略を貫く、などと決め打ちせず、フレキシブルにした方がいいと思っています。

コーポレートVCにとってはチャンス

中野 今、グローバルの株式市場は調整局面に入っていますが、クレディセゾンは直近でもインドネシアのスタートアップにかなり大きな投資をしました。今はチャンスですか。

 ベンチャー企業の資金調達環境は極端に悪化していて、レイターステージ(成長ステージの終盤)のスタートアップはだいぶ資金調達が難しくなっています。冬の時代が到来すると思います。ただ、我々のような事業会社が母体でベンチャー企業と一緒に事業に取り組むコーポレートベンチャーキャピタルにとっては、実はすごいチャンスではないでしょうか。今まであまり振り向かなかったベンチャー企業でも、コーポレートVCに熱い視線を向けてくると思います。我々はレイターステージについては非常に慎重になっていますが、全体としてはチャンスかなと思っています。

イベントはシンガポールで行われた。奥右から森航介さん、中野貴司さん、鈴木淳さん(写真:関係者撮影)
イベントはシンガポールで行われた。奥右から森航介さん、中野貴司さん、鈴木淳さん(写真:関係者撮影)
画像のクリックで拡大表示

中野 波はどの世界にもあると思いますが、今はグラブやシー、ゴジェック、GoToも時価総額が去年のピークから比べて大幅に下がり、新しいユニコーン(企業価値10億ドル以上の非上場会社)も出にくくなっています。すると結局グラブやシーなど直前に上場した企業が有利なのか、あるいは、彼らの方がダメージが大きくて新しい企業が出てくるのか。このあたりの勢力図はどう見ていますか。

 どっちとも言えない気がします。例えば、我々はグラブと2018年からジョイントベンチャーをやっていて、今は金融事業がグラブの1つの軸になっていますが、実はコアメンバーはどんどん辞めています。設立から4、5年たって、会社がいろんな事業を切り捨てる話になっているためです。あらゆる意味でグラブやシーは厳しいと思います。

 一方で、上場までいかなかったところが有利かというと、シリーズB(ビジネス開始から軌道に乗り始めた段階)ぐらいの企業は戦々恐々。2年ほど赤字でも大丈夫なようにできる限りの資金を確保し、ファンドで資金調達ができなくても生き残れるような覚悟をしています。いかに売り上げを伸ばし、この冬が明けたら力強く出ていくか。本当に生き死にの問題になっていて、どっちもどっちだと思います。

インドネシアは中長期的に成長

中野 Googleやテマセク・ホールディングス(シンガポールの政府系投資会社)のリポートを見ると、インドネシア経済は基本的に右肩上がり。東南アジア主要6カ国の中でも経済規模の約4割を占めるのはインドネシアで、マーケット自体は多少山や谷があったとしても順調に成長していくと思います。すると、今後も第2、第3のGoToがどんどん出てくるのか、あるいはちょっと違う状況になるのか。今後、数年の先行きをどう見ていますか。

 これは最も難しい質問ですね。中長期の経済の成長はほぼ間違いない。インドネシアは、まだほとんどデジタル化されていません。ジャカルタは多少東京みたいですが、ちょっと地方に行けば、スマホは持っていてもすべて現金決済というところがいっぱい残っています。そこにゴジェックのサービスや電子マネーのようなものが急速に浸透し始めていて、中長期的に伸びることは間違いない。

 一方で、新しいところが出てくるかというと、まったく見えないというのが現状です。シンガポールとインドネシアの大きな違いは、人を教育する機能がすごく弱いこと。少し前のデータによると、労働人口の約半分が中卒です。ゴジェック創業者のナディム・マカリムさんを教育・文化・研究・技術相に任命したのは、そこを改善したいという今の政権の強い思いがあるのです。

インドネシアの首都、ジャカルタ。インドネシアは中長期で成長が見込まれる(写真:shutterstock)
インドネシアの首都、ジャカルタ。インドネシアは中長期で成長が見込まれる(写真:shutterstock)
画像のクリックで拡大表示

構成/佐々木恵美

急成長企業が東南アジアで続々誕生!

東南アジアで有望なスタートアップが続々誕生している。特にグラブ、シー、GoTo(ゴジェックとトコペディアが統合)の3強は巨大で、世界中の大企業やファンドが出資や提携を求めて殺到。現地駐在経験が豊富な日経新聞記者が、大躍進の秘密を解き明かす。

中野貴司、鈴木淳著/日本経済新聞出版/990円(税込み)