『 タネが危ない 』(野口勲著/日本経済新聞出版/2011年9月刊)は、今年6月に15刷となり、10年超のロングセラーとなっている。本書刊行後、著者への講演依頼は年50回にも及ぶ。国会議員の勉強会に呼ばれ、松岡正剛さんの「千夜千冊」にも取り上げられた。あるときは、本を読んだ小学生が「野口さんにどうしても会いたい」と店にやって来た。反響はなお続いている。
キュウリを持ってきた河野太郎さん
編集部(以下、──) 野口勲さんの『タネが危ない』が、10年にわたって新たな読者を獲得し続けているのは、その内容が「固定種」(*1)のタネに関する野口さんの信念、執念であり、時の趨勢に左右されない普遍的なメッセージが、本書に織り込まれているからだと思います。刊行時からの反響をお聞かせください。
野口 勲さん(以下、野口) 本を出す前にも講演依頼はありましたが、刊行後は年に50件ほど行っています。さまざまな人にお会いしました。
2011年12月、日本財団で自由民主党・民主党(当時)の国会議員に1時間ほどお話しし、その後ディスカッションとなりました。そもそもは東京財団/構想日本の加藤秀樹さんからの依頼で、「『タネが危ない』を課題図書にして、参加者に読むように指示しておくから、その内容を話してほしい」ということだったと思います。私の講演は通常3時間以上。最近は連続で約7時間いただくことも多いので、例外的な形の講演でした。
うちのスタッフの小野地悠君と共に日本財団の会場に行くと、エレベーターに自民党の河野太郎さんが乗って来て、「これが相模半白です」と、地元のキュウリをいっぱい見せてくれました。河野さんと一緒に会議室へ案内されると、自民党の林芳正さんや世耕弘成さん、民主党の古川元久さんら、5、6人の国会議員がいらっしゃいました。
「幹塾」という定例の勉強会のようで、アドバイザー、コーディネーター役の編集工学研究所所長、松岡正剛さんが中央に座っていました。松岡さんは会議中一言も発さず、ただじっと私の話を聞いていました。
松岡正剛「千夜千冊」で紹介
2016年5月、本書は松岡さんの書評サイト「千夜千冊」に1608夜の書として取り上げられました( 「1608夜『タネが危ない』野口勲 松岡正剛の千夜千冊」 )。松岡さんは本書を非常によく読み込んでおられ、タネについての基本的なことから、私が高校2年生のとき「第1回日本SF大会」に参加し、憧れの手塚治虫先生や著名SF作家と“交流”したことなども書かれていました。生命の進化のことやミトコンドリアのことなどいろんなものに興味を持たれ、深く勉強されていることが分かります。この書評を読めば本書を読まなくてもいいくらいです(笑)。
野口さんのお店、野口種苗にやって来るお客さんに変化はありましたか?
野口 2018年のある日、新しくスタッフになった千明(ちぎら)剛君が、腰に手を添えて「こんな小さな男の子が、野口さんの本を6回読んで、野口さんに会いたいって、店に来ています」と呼びに来ました。
いくらなんでもそんな小さな子が…と半信半疑で店に出ると、レジの下に男の子がいて、僕を見上げて目を輝かせていました。「君いくつ?」と聞くと、「9歳です」と言う。僕がもし小学生のときに手塚治虫先生に会っていたら、こんな目で見つめていただろう、憧憬のまなざしでした。
そばでその子の母親が、「『タネが危ない』を6回読んで『どうしてもこの人に会いたい』って言うので、連れて来たんです。お忙しいところすみません」、と。うれしくなったので、さとうち藍さんと関戸勇さんの絵本『種採り物語 月刊たくさんのふしぎ』(福音館書店、現在は品切れ)を手渡して、「タネ採りも勉強してね」と頼みました。
また、それから半年ぐらいたって、今度は小学6年生の女の子が、お母さんに連れられて奈良から来店し、芽が出たタネの絵と、僕のイニシャルが刺しゅうされたハンカチをプレゼントしてくれました。やはり『タネが危ない』を読んで、ということなので、同じく『種採り物語』を差し上げました。光輝く未来に包まれた、こんなありがたい読者を持つ著者なんて、他にいるでしょうか。
「アッキー」も来店
野口 2014年2月、岡山での講演の際、参加していた有機農家の方から、「アッキーが野口さんに会いたいと言っているんですが、会っていただけますか?」と頼まれました。「アッキーって誰よ?」「内閣総理大臣(当時)の安倍晋三夫人、安倍昭恵さんです」「それなら僕も会いたいから、どこでも指定された場所に伺います、とお伝えして」
すると、講演主催者の1人である会社社長が聞きつけ、「息子が勤めている出版社の企画で2人の対談をしよう」と、トントン拍子。2014年5月に行われた対談は、雑誌「致知」同年7月号に掲載されました。
安倍昭恵さんは、東日本大震災の後、東京から野菜が消えたことに衝撃を受け、野菜の流通事情を調べ、ホームセンターで売っているタネがほとんど海外産なのを知って驚いた。著名な有機農家を訪ね(木村秋則さん[*2]の所にも行ったらしい)、国産のタネを扱っているタネ屋はないのか聞いて回ると、誰もが異口同音に「野口のタネ」と言う。それで僕に会ってタネの話を聞きたいと思ったのだそうです。
対談の際、本書を差し上げたところ、「いつかお店に伺ってもいいですか」とおっしゃるので、「いつでもどうぞ」と申し上げた。2018年2月、東京・神田の飲食店「UZU」の武士雅子さんと来店され、春まきのタネを選んで持っていかれました。
本書と一緒に「野口のタネ」を販売している書店があるそうですね。
野口 はい。以下はスタッフの小野地悠君の話です。2013年、東京のジュンク堂書店池袋本店から、7階の理工書のフェアで、本と一緒に物販も行いたいので、協力いただけないかという話がきました。
担当の方が野口種苗研究所のホームページを見たみたいで、当時扱っていた発芽試験器とタネを売ってもらうことにしました。売れ行きは好調で、常設展開となり、その後、MARUZEN&ジュンク堂書店渋谷店でも扱うことになりました。その後、神奈川県藤沢市の湘南蔦屋書店でも、本書と一緒にタネが販売されるようになりました。
ジュンク堂書店池袋本店では昨年1年間だけで約1500袋のタネが売れ、今年は春に納品した1000袋がすでに完売となりました。当初は室内で栽培できるスプラウト(もやし)やプランター向けのタネが中心でしたが、次第に江戸東京野菜など種類が増えています。
書店でタネを売ることは売り上げに貢献しますが、「あの本屋さんでも売っている野口のタネ」という宣伝効果のほうが大きいですね。
取材・文/工藤憲雄 構成/桜井保幸(日経BOOKプラス編集部) 写真/木村輝