タネが危ない 』(野口勲著/日本経済新聞出版/2011年9月刊)は、今年6月に15刷となり、10年超のロングセラーとなっている。「タネを採りましょう」。著者の野口勲さんが言いたいことは、ずっと変わらない。中山間地の限界集落化などで、タネ採りの環境はどんどん厳しくなっている。タネを買った人が作物を育てて自家採種をし、そのタネを子孫に渡し、日本に合ったタネの命をつないで広げてほしいと語る。

タネの命をつないでほしい

編集部(以下、──) 『タネが危ない』の刊行から10年が過ぎた今、野口さんの言いたいことはなんでしょう。

野口 勲さん(以下、野口) とにかくタネを採りましょう、ということ。これは執筆したときからまったく変わっていません。このままいったら、世の中から、全世界から、自然のタネがなくなってしまいます。だから野口種苗でタネを買った人は、作物を育てて食べるだけでなく、自家採種をし、そのタネを子孫に渡し、タネの命をつないでいってください。

 『タネが危ない』では、今店頭で売られている野菜のタネは、昔のタネとどう違うか、を詳細に書いています。野口のタネは、固定種(在来種ともいう)のタネだけを販売する、日本で唯一のタネ屋。固定種のタネは、大昔から人類が繰り返し採りながら、命をつないできた自然なタネです。

埼玉県飯能市にある野口のタネの入り口
埼玉県飯能市にある野口のタネの入り口
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 これに対し、ホームセンターや一般のタネ屋で売っているタネや苗の大半は、人為的に交配したF1(一代雑種)です。F1は一代限りの雑種なので、異品種同士を毎年掛け合わせ、新しいタネを生産し続ける必要があります。

 本書ではF1の仕組みも詳しく紹介しています。私は大量生産の要求が生んだF1の必要性自体は、仕方がないことだと思っています。生命の多様性は家庭菜園の固定種が守っていけばいいのですから。

雄性不捻への心配

 一方で私が大いに危惧しているのは、雄性不稔(ゆうせいふねん)という、おしべがなかったり、花粉が不全だったり、健康な子どもをつくれない個体を親株にして、交配する技術です。

 それは生命の源であるミトコンドリアDNAに異常がある個体だけを、増産してまん延させる技術です。ミトコンドリアは母系遺伝によってすべての子に受け継がれるので、雄性不稔の母親から生まれた子は、必ず雄性不稔になります。人間でいえば無精子症の子だけが無限に生まれ続けます。

 この雄性不稔によってできた野菜からは、タネが採れません。いじけた花が咲き、異品種の花粉を受粉して実ったタネは小さく、生命力が衰えていることが分かります。そんな生命力の弱い野菜ばかり食べていて、人間は大丈夫なのでしょうか。

 雄性不稔のF1が普及したこの数十年で、男性1人当たりの精子数が4分の1以下に減少しているという報告が世界中にあります。それは雄性不捻のタネからできた野菜ばかり食べていることと関係はないのか? F1の普及は子どもが生まれにくくなっていることに影響していないか? こうした因果関係は、科学的に証明できていませんが、僕にはそんな思いが捨てきれません。

『タネが危ない』では、手塚治虫の担当編集者から固定種専門の種苗店に転じた野口さんの半生や、日本と世界のタネを巡る事情が描かれる
『タネが危ない』では、手塚治虫の担当編集者から固定種専門の種苗店に転じた野口さんの半生や、日本と世界のタネを巡る事情が描かれる

本書ではミツバチがいなくなるCCD(蜂群崩壊症候群)と人間の精子減少、雄性不稔のタネとの関わりも問題提起しています。その後、学術的な議論は進んだのでしょうか?

野口 進んでいません。2012年、僕は船井総合研究所の雑誌に「ミツバチは、なぜ巣を見捨てたか」という30枚近くの原稿を書いたのですが、世間からは一顧だにされませんでした。

 滋賀県種苗協同組合の新年総会での講演で、来賓の大手種苗会社の専務が、「我々も固定種をもう一度勉強する必要があると思っているんだけれど、新入社員が農業大学で教わってくるのは、遺伝子組み換えと雄性不稔ばかりなんですよね」と嘆いていました。

限界集落化でタネの生産が困難に

タネ採りの環境はどのような状況にあるのですか?

野口 林業の衰退によって、大量にタネを生産できる環境が国内になくなってきています。種苗業界では、長い間、交雑を防ぐために農地から隔離された山間部の林業集落にタネ採りを依頼してきたのですが、どこも人が減って限界集落になってしまったからです。

 一方で、なんとかなるかもと思い始めてもいます。コロナ禍で世界的に物流が停滞して外材が入りにくくなりました。それによって国内材が見直され、林業集落に人が戻るようになれば、山間集落もタネ採りの現場としてよみがえるかもしれないと期待しています。

 講演に行く先々で、本を読んだという人から、「僕も野口さんのタネを自家採種し始めたのですが、たくさん採れて使い切れないので、野口さんのところで買ってくれませんか」と言われます。

 そこで畑を見に行って、交雑しない環境か、確かな採種技術があるかを確認し、「この場所ならOKです。タネが採れたら送ってください」とお願いすることもあります。しかし、最近の異常気象によって、タネの収穫量が安定しないこともあり、かなり“水物”ではありますが。

 当店で扱う「みやま小かぶ」は、原種を岩手県に送ってそこでタネ採りをしてもらっています。岩手にはもともとアワ、ヒエ、キビなどの雑穀文化がありました。雑穀を収穫し出荷する人たちがいたので、タネ採りになじみやすい面がありました。しかし、ご多分に漏れず高齢化が進んでいるので、これからどうなるのかは分かりません。

タネ袋の陳列棚を背景に語る野口さん
タネ袋の陳列棚を背景に語る野口さん
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家庭菜園でタネ採りをしよう

野口さんはタネを買いに来る人に、「もう二度と同じタネを買いに来ないで、これでタネを採ってください」と言うそうですね。

野口 そうです。店には「昔おばあちゃんがタネ採りしていた」なんていう人も来ます。もし家庭菜園をやっているなら、ぜひともタネ採りをやってほしいです。

 お客様が増え続けているので、タネをもっと確保して1人でも多くの人にお届けしたいという気持ちもあります。

 植物は人に食われるために生きているのではなく、子孫を残すために生きています。どのような子孫をどのようにつくり、またその子孫がその土地にどうなじんでいく(馴化<じゅんか>という)かを、楽しんで見るような気持ちで作物を育ててほしいですね。

 気に入った個体を残してタネを採り、そのタネをまたまいてと何世代か観察すると、その作物がどうすれば喜ぶかが見えてきます。元気に成長する植物を観察していくと、どう育てるのがいいのか、植物の気持ちが次第に分かってくると思います。

取材・文/工藤憲雄 構成/桜井保幸(日経BOOKプラス編集部) 写真/木村輝

タネを守ることは命を守ること

手塚治虫『火の鳥』初代担当編集者となり、我が国で唯一、固定種タネのみを扱う種苗店三代目主人が、世界の農業を席巻するF1(一代雑種)技術が抱えるリスクを指摘、自家採種をし、伝統野菜を守り育てる大切さを訴える。

野口勲著/日本経済新聞出版/1760円(税込み)