グーグルやマイクロソフトで活躍してきた著名エンジニアの及川卓也氏に、自身のキャリアを育んできた読書歴を聞く連載。「学生時代に読んだ本」「ITに関する本」について話を伺った。(聞き手、構成・文:田島 篤=日経BP 第2編集部、以下敬称略)

「ある小説を読んだことで、ITの世界を目指そうと考えるようになりました」
「ある小説を読んだことで、ITの世界を目指そうと考えるようになりました」
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田島 篤(以下、田島) 及川さんはエンジニアとして著名ですけれども、近年はITを有効活用するための企業支援もされていますね。早速ですが、どんな本を読まれてきたのでしょう。

及川卓也(以下、及川) これまでに読んできた本をまとめてきたので、それに基づいてお話ししますね。「学生時代に読んだ本」「ITに関する本」「プロダクト開発に関する本」というように、年齢や仕事の内容に応じて、多くの本を読んできました。

学生時代に読んだ本(印象に残っている小説)

●高橋三千綱
『シスコで語ろう』(角川文庫)
『九月の空』(角川文庫)
『対岸の祝日』(角川文庫)
『天使を誘惑』(新潮文庫)

●三田誠広
『僕って何』(角川文庫)
『赤ん坊の生まれない日』(河出文庫)
『Mの世界』(河出文庫)
『考えるウォークマン』(角川書店)

●村上龍
『限りなく透明に近いブルー』(講談社文庫)
『海の向こうで戦争が始まる』(講談社文庫)
『コインロッカー・ベイビーズ(上)(下)』(講談社文庫)
『69 sixty nine』(文春文庫)
『走れ! タカハシ』(講談社文庫)
『トパーズ』(角川文庫)
『愛と幻想のファシズム(上)(下)』(講談社文庫)
『希望の国のエクソダス』(文春文庫)
『半島を出よ(上)(下)』(幻冬舎文庫)

●村上春樹作品
●他にも、庄司薫、中上健次、丸山健二、宮本輝、島田雅彦など
●海外の作家としては、フレデリック・フォーサイスも好きだった


田島 では、学生時代に読まれた本から教えてください。

及川 私は子どもの頃からかなり本が好きで、小学校3、4年生くらいから図書館に行っては本を借りて読んでいました。もともとは伝記がすごく好きで、子ども向けの伝記をたくさん読んでいました。伝記以外にも、江戸川乱歩の『怪人二十面相』シリーズなどに夢中になりました。

 中学受験を経験しているのですが、受験でよく出てくる児童文学はもちろん、興味があると受験に関係ない本も手に取っていました。当時有名だった本は、だいたい小学生と中学生の時に読んでいます。

 中学の終わりから高校にかけては、小説が好きでした。(当時の)若手作家の本はたくさん読んでいます。例えば、昨年(注:2021年)に亡くなった高橋三千綱さんの『シスコで語ろう』。サンフランシスコへの大学留学での話が面白おかしく書かれていて、海外生活に憧れた覚えがあります。

 三田誠広さんの本も読んでいます。芥川賞受賞作の『僕って何』から、続く『赤ん坊の生まれない日』『Mの世界』という、簡単にいうと当時の学生運動を描いた本も読みました。学生運動のポジティブあるいはネガティブな面に対して、興味を持って読んだことを覚えています。

 『考えるウォークマン』という三田さんのあまり有名じゃない作品があるんですが、この本にとても影響を受けました。プログラミングやアルゴリズムの面白さを描いた一節があって、記憶に残っています。この本を読んでからITの世界を目指そうと考えるようになりました。

 また、村上龍さんの作品は『限りなく透明に近いブルー』を皮切りに、『海の向こうで戦争が始まる』などを読み、『コインロッカー・ベイビーズ』でファンになりました。村上春樹さんもあの独特の文体に引かれましたね。他にも、庄司薫さんとか、丸山健二さん、宮本輝さん、島田雅彦さんなどの本をよく読みました。

 海外作品だと、フレデリック・フォーサイスの『ジャッカルの日』や『オデッサ・ファイル』あたりがとても好きでしたね。

田島 小説をたくさん読まれていたのですね。なかでも『考えるウォークマン』でプログラミングやアルゴリズムに注目されたのが興味深いです。

及川 『考えるウォークマン』は、少し変わった小説です。これ以外の三田さんの本は、結構リアルというか、半自伝的な内容だったと思います。『僕って何』もそうですし、『Mの世界』『赤ん坊の生まれない日』もそうです。対して『考えるウォークマン』は、三田さんの作品としては普通じゃない、自伝的ではない内容だったのです。

印象的なプログラミングコンテストの一節

 『考えるウォークマン』には、プログラミングコンテストを描いた一節が登場します。決められたルールの下、参加者の作成したプログラム同士が勝負をして得点を競うコンテストです。

 ルールは大まかにいうと「チョキ」のないじゃんけんで、出した手や勝ち負けに応じて得られる点数が決まっています。例えば、「パー」を出して勝てば5点、「グー」で負ければ0点、「グー」同士なら3点、「パー」同士なら1点という具合です。このじゃんけんを200回やって1ゲーム。参加者全員の総当たりでゲームを実施し、総得点の多い人が優勝です。

 私はこの本を読んで、勝ち方をいろいろと考えつつ、そうか、「どのような手を出すか」がアルゴリズムで、アルゴリズムに基づいたプログラムが自立して動くと同時に相手の出方次第で動きを変えるんだ、と強く印象に残ったのです。

 当時は、第2次AI(人工知能)ブームの最中でした。AIに膨大なルールを覚えさせることで、人間と同等か、人間以上の判断ができるはずだ、という第2次AIブーム真っ盛りの時に『考えるウォークマン』を読みました。この本を読んで、コンピューターはただの計算機ではない、人と同じことができる、推論ができて社会を変え得る、ということに意識が向いたのです。

 その時私は大学2、3年生で、コンピューターを自分なりに勉強し始めていました。本の影響で、Prolog(注:AI開発で当時よく使われていたプログラミング言語)にはまりましたね。大学の課題にも、普通はFortranとかC言語で書くところを、必要もないのにPrologで書いて提出していました。先生も困っただろうなとは思いますが。

田島 大学時代にプログラミングをされていたのですね。それで、大学を卒業して、IT業界に進まれると。

及川 すんなりとIT業界に進んだわけではないんですけどね。ITに関する本で印象に残っているものを、以下に挙げてみました。『アルゴリズム+データ構造=プログラム』『構造化プログラミング』といった、アルゴリズムや構造化プログラミングに関する本は大学時代に読みました。

ITに関する本(基礎をきちんと理解する)

●コンピューターの基礎
『アルゴリズム+データ構造=プログラム』(日本コンピュータ協会)
『構造化プログラミング』(E.W.ダイクストラ、C.A.R.ホーア、O.-J.ダール共著/サイエンス社)
『コンピュータ アーキテクチャ 定量的アプローチ』(ジョン・L・ヘネシー、デイビッド・A・パターソン著/星雲社)
『Inside Windows NT(英語版)』(ヘレン・K. カスター 著/アスキー)

●業界の歴史や人物など
『闘うプログラマー』(G・パスカル・ザカリー著/日経BP)
『日本コンピュータの黎明―富士通・池田敏雄の生と死』(田原総一朗著/文藝春秋)
『パソコン革命の旗手たち』(関口和一著/日本経済新聞出版)
『ハイパーメディア・ギャラクシー コンピューターの次にくるもの』(浜野保樹著/福武書店)

●TCP/IP関連
『詳解TCP/IP』(ピアソンエデュケーション)
『TCP/IPによるネットワーク構築』(Douglas E. Comer著/共立出版)


 『コンピュータアーキテクチャ 定量的アプローチ』はヘネシー&パターソン、通称ヘネパタという、RISCアーキテクチャを開発した著名なコンピューター科学者による本で、広く読まれていますよね。現在は第6版ですか。確か日経BPの本だと思うのですけれど。

田島 うちはパタヘネ本といわれる『構成と設計』のほうなんです。

及川 そうでしたね。この『コンピュータ アーキテクチャ』は、社会人になってから読みました。DECでソフトウエア開発をしていたのですが、当時の私はコンピューターサイエンスをしっかり学んでいなかったんですよ。でも、アプリケーションを作る部署から研究開発センターに移動になり、ちゃんと勉強しなきゃいけないと思って読みました。同時に、米マイクロソフトへの出向が決まり、オペレーティングシステム(OS)の開発に携わることになったのです。一大事だと思い、きちんと勉強しようと決意して読みました。分厚くて読み解くのは大変でしたけれども、読めばしっかり分かる。この本でコンピュータアーキテクチャを体系的に学びました。

 同時期に読んだのが『Inside Windows NT』という、本格的なWindowsの基となるWindows NTの中身を解説した本です。米マイクロソフトの人から発売前に英語版をもらって、ヘネパタ本と一緒に読んで理解しました。ヘネパタ本で体系的に学び、『Inside Windows NT』で実践を身に付けた形です。OS開発の入り口を示してくれたのが、ヘネパタ本と『Inside Windows NT』だったのです。

田島 Windows NTが、及川さんが最初に関わったOSだったのですね。

プロダクト開発の醍醐味を感じた本

及川 そうです。Windows NTは、DECで干されていたデーブ(デヴィド)・カトラーというすご腕エンジニアが、自分の仲間を引き連れてマイクロソフトに移籍して作ったOSです。その様子を描いた本が 『闘うプログラマー』 なんです。

『闘うプログラマー』(G・パスカル・ザカリー著/日経BP)
『闘うプログラマー』(G・パスカル・ザカリー著/日経BP)
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 デーブ・カトラーは、廊下ですれ違ったくらいで直接話したことはあまりないんですけれど、めちゃくちゃおっかない人だ、というのは知っていました。『闘うプログラマー』は、デーブがチームを率いてWindows NTを開発する話が生き生きと描かれていて、読み物として非常に面白く、プロダクト開発の醍醐味も感じられます。この本は今でもいろんな人に薦めますし、自分でも読み返しています。

 『闘うプログラマー』に限らないのですが、小学生の時に伝記が好きだった影響もあるのかなと思うんですけれど、業界の歴史や携わった人物を書いた本が好きです。富士通の伝説的なエンジニアである池田敏雄さんについて書いた本『日本コンピュータの黎明―富士通・池田敏雄の生と死』や、『パソコン革命の旗手たち』といった本も読みました。

 『ハイパーメディア・ギャラクシー コンピューターの次にくるもの』は、2014年に亡くなられた浜野保樹先生の本です。コンピューターがメディアを超えたモノ(ハイパーメディア)になることをいち早く指摘した内容で、とても印象に残っています。私は計算機としてのコンピューターに可能性を感じてIT業界に入ったのですが、さらに先の、メディアを超越するモノとしての位置付けを知り、ワクワクした覚えがあります。

 ITの基礎を身に付ける時期に読んだ本としては、ネットワークに関するものも多いです。ネットワーク関連の仕事も結構していたので、『詳解TCP/IP』『TCP/IPによるネットワーク構築』をはじめとしていろいろと読みましたが、この2冊でTCP/IPによるネットワークの仕組みを理解しました。さらに、本で得た知識に基づいてRFC(インターネットの標準的な技術仕様)や実際のソースコードを読み、理解を深めました。もともとDECは、ネットワークにも非常に強く、基礎をたたき込まれましたが、それに加えてこれらの本で仕組みをきちんと理解できました。

田島 ソフトウエアエンジニアとして一人前になって活躍するための本を教えてもらったように思うのですが、及川さんにとってそれぞれどういう位置付けなのでしょう。

及川 人生を変えた本ということでは2冊あって、1冊は『考えるウォークマン』ですね。この本でアルゴリズムの面白さを知っていなかったら、ソフトウエアに関わろうとは思わなかったかもしれない。IT業界に入るきっかけになった本ですね。

 もう1冊は『Inside Windows NT』です。コンピューターサイエンスをしっかり学んでいないのに、OSを作らなきゃいけなくなった。その時に必死になってこの本を読んだ。そして、頑張れば自分でもOSを理解して開発できるという自信を与えてくれたんです。

 何度も読み返す本ということでは、村上龍さんの『69 sixty nine』と、デーブ・カトラーを描いた『闘うプログラマー』です。

 実は私、龍さんにお会いしたことがあります。どの本にサインをもらおうか悩んだあげく、『69』にしました。この本は龍さんの自伝的小説ということもあるのですが、当時の時代感が表れているし、何よりも好きなのが「楽しんだヤツが勝ちだ」というメッセージです。私自身、人間の行動原理で大切なのは「楽しいことをする」だと考えているので、とても共感しました。ですから、若いエンジニアにキャリアの相談を受けたりすると、「今は楽しいですか」というところから話を聞きます。楽しめないとおかしいし、たとえ苦しいことであっても実は楽しいかもと考えるだけで、かなり違ってくる。そういう観点からも、この『69 sixty nine』は何度も読み返しています。

 『闘うプログラマー』は開発記としても面白いし、読み方によっては反面教師的な意味でも、とても参考になると思います。デーブ・カトラーって非常に魅力的な人であると同時に、組織を管理するタイプの人ではないんですよね。デーブは組織人に徹しておらず、むしろ人間味あふれる人であり、他人との対立もいとわない。すご腕だけど、じゃじゃ馬なんです。そして、組織の中には、そういうじゃじゃ馬を飼いならす人も必要です。デーブの場合は、マイクロソフトのVP(Vice President)がきちんとサポートしているのですね。

 なので『闘うプログラマー』は、プログラマーとしてのあり方はもとより、組織のあり方を考えるうえでも、とても参考になります。ソフトウエアエンジニアに限った話ではありませんが、組織には優秀だけど癖の強い人がいる、さらに、そうしたじゃじゃ馬を束ねていいものを作り上げる人もいるわけです。

若いエンジニアにはとがっていてほしい

 自分がどのような立場かによって読み取り方も変わってくるかと思いますが、若いエンジニアには、丸くならずにとがったままでいてほしいなと思って『闘うプログラマー』をお薦めすることがあります。日本の組織だと「決められたことをしっかりやる」ことに最適化しがちですよね。それでも、『闘うプログラマー』に描かれているように、若くても、そして相手が上司だとしても、プロとしてしっかり意見を言う。そうして、みなで侃侃諤諤(かんかんがくがく)の議論をしながら、よいものを作り上げていくようにしなきゃいけないんです。

 一方、じゃじゃ馬を束ねるマネジャーは、高いビジョンを持って、とがった人たちをしっかり率いてほしいですね。例えば、池田敏雄さんは、日本のコンピューター産業のあり方を通産省の役人と一緒に、「この会社とこの会社が組んで、IBM互換機を作れ」「この会社とこの会社は独自路線で行け」みたいな座組みまで考えていたほど、大きなビジョン、構想を持っていました。こうした姿勢は、自分がマネジメントをするときに、大いに参考になっています。

写真(人物)/及川さん提供