2021年に立て続けにシステム障害を起こしたみずほは、22年2月に木原正裕新社長が就任した。「言うべきことを言わない、言われたことだけしかしない」(金融庁)という萎縮した企業風土の改革には、形ではなく「魂」が必要だ。みずほはどこに向かうのか。 『みずほ、迷走の20年』(日本経済新聞出版) より抜粋のうえ紹介する。
木原社長の成長戦略
みずほフィナンシャルグループの木原正裕新社長は2022年2月中旬、投資家相手にオンラインで初めて経営説明会を開いた。「最初に、みずほをどんな会社にしていきたいかという点で、2つほど共有したい。1点目は、社員一人ひとりが働きがいや、みずほで働く意義を感じるような会社にしたいということ。そのために人材投資についてもしっかりやっていく。2点目は、企業風土の改革。一人ひとりの気付きが、皆で共有され、組織運営に生かされる形に変えたい。そのためには経営陣が社員の思いを受け止めて、いろいろな改革に生かし、実際に社員に変化を実感してもらうことが重要だと思っている」
木原氏は岸田文雄首相の知恵袋である木原誠二官房副長官の実兄であることも話題を呼んだ。みずほFGの最高経営責任者(CEO)は3代続けて興銀出身者となったが、興銀OBの1人は「何よりも木原は性格が明るいのがいい。雰囲気を変えてくれるだろう」と期待する。
もっとも、同氏の真価はリスクコントロールにある。みずほは15年に「リスクアペタイト・フレームワーク(RAF)」という経営管理手法を導入している。自己資本比率などの国際規制をキープしながら、事業分野ごとに損失のリスク量を割り振って、最大限のリターンを得る考え方だ。08年のリーマン・ショック後に大手米銀で主流になった経営思想でもある。このRAFをみずほ社内で設計したのが木原氏だ。
銀行経営は「竹中ショック」以降、安全運転が続いて成長戦略を描けていない。RAFの経営手法を取り入れれば、リスクとリターンのバランスをより重視するようになる。自己資本比率規制を決して割り込まない範囲で「全体のリスク量」を設定して、それを個人部門、法人部門、債券部門などに割り振っていく。事業部門はそれぞれのリスク量の範囲内で投資して、自己資本利益率(ROE)を高めることが求められる。経営側は経済成長率や為替相場、株価などが悪化した場合のストレステストも実施する。想定外の損失を出さないようリスク管理を徹底しつつ、金融機関として最大限の成長投資を狙う手法といえる。
木原新体制に求められるのは、次世代の金融ビジネスの中核を明確に見定め、そこに資源を集中投下していく成長戦略づくりにほかならない。木原氏は経営資源をどこに充てていくかについて「サステナブルビジネス、そして最後はやはりDX(デジタルトランスフォーメーション)だ」と主張する。「みずほのDX戦略がどういう形で進んでいるのかを、十分に情報提供できていないという思いがある。リテールのみならず、ホールセールの領域でもいろいろなことが起きている」と話す。みずほの再生プランは、日本の金融再生そのものの絵姿になろう。
巨体を操る統治体制
みずほFGは連結総資産225.5兆円を抱える巨大銀行グループだ。S&Pグローバルのデータによると、世界で14位、日本でみても三菱UFJFG、三井住友FG、日本郵政グループに次ぐ4位の大きさとなる。これほど豊かな経営基盤を持った金融機関が迷走するのは、日本経済にとっても大きな損失だ。
みずほの企業統治体制はその巨体を操るには不完全だ。それがシステム障害というトラブルになって繰り返し表面化する。改めて同社の現在のガバナンス体制をみていこう。
00年に発足したみずほフィナンシャルグループは、13年になってようやく旧みずほ銀行と旧みずほコーポレート銀行を合併してワンバンク体制になった。反社会的勢力への不透明な融資問題が発覚した13年には、さらに米国型の「委員会設置会社」移行を決定している。委員会設置会社は現在では指名委員会等設置会社と呼ばれ、OBなどではない社外取締役が重要人事などを決める仕組みだ。米国ではこうした統治スタイルが主流だが、それは巨額の損失につながるCEOの「暴走」を監視する機能が必要だからだ。
16年には銀行・証券・信託といったグループを一体運営できるように、グループを横串で通す社内カンパニー制を導入している。当時の佐藤康博社長は「Oneみずほ」を標榜したが、そこには旧3行を統合するという狙いと、銀行、証券、信託を一体運営するというもう一つの目標があった。
みずほ全体を個人部門、大企業部門、海外部門など5つのカンパニーに分けて、例えば銀行の個人部門、証券の個人部門、信託の個人部門を「リテール・カンパニー」として一体で業務運営する仕組みだ。銀行、証券、信託といった縦割りの事業会社ではなく、カンパニーという横割りで経営する手法で、5つのカンパニーを統率する「カンパニー長」はグループ人事と戦略立案の2つの権限が与えられる。逆に銀行頭取、証券社長といったエンティティ(事業体)トップは、執行の統率という役割分担になった。
カンパニーとエンティティが入り交じる複雑な仕組みになったのは、規制がそれぞれ異なる業法の壁があるからだが、カンパニーごとに収益目標を立てて顧客本位でビジネスをしていく大きな狙いもあった。みずほの連結業務純益は16年度の6997億円から20年度には7997億円まで増えており、表面的な収益をみれば企業統治改革の成果は着実に出ている。
ワントップは成功だったのか
カンパニー制は、持ち株会社のみずほフィナンシャルグループ(FG)に権限を集約する仕組みでもあった。FGの執行役がそのままカンパニー長となり、個人部門、大企業部門など5部門の権限を持つ。みずほ銀行の藤原弘治頭取(22年3月末で退任)は持ち株会社の取締役でも執行役でもなく、銀行の執行だけに責任を持つというスタイルだ。かつて旧3行出身の首脳が持ち株会社、みずほ銀、コーポ銀の3つのトップを分け合った「3CEO体制」の反省がそこにあるからだが、結果としてFG社長の権限は絶大なものになっていく。
ただ、そのCEOを監視する社外取締役の機能は中途半端なままだった。みずほがカンパニー制の1つのモデルとしたのは、米銀最大手のJPモルガン・チェースだ。複数の有力者による共同経営に近い体制を敷くゴールドマン・サックスと比べ、JPモルガンは現トップのジェイミー・ダイモンCEOに権限が集中する。ダイモン氏は就任から15年を超える絶対的なトップですらある。
同社の取締役会は10人いるメンバーのうち、IBMのCEOだったジニー・ロメッティ氏ら6人は独立した社外取締役で、ダイモン氏ら社内出身者の取締役は少数だ。米国は02年のワールドコムによる粉飾決算事件を受けて、上場規制として社外人材が取締役会の過半数を占めるよう求めており、執行部隊へのチェック機能を強めている。
みずほは13人のうち7人が社内取締役で(22年4月からは12人中6人)、社外出身者は過半数に届かない。グループCEOであるFG社長の権限を高めても、その監視機能は決して強いわけではなかった。重要人事を決めるのは指名委員会だが、同委員長の指示に基づいて原案はFG社長が作成することになっており、外部チェック機能を骨抜きにすることもできる。実際、20年度に指名委を開いたのは7回にとどまり、15年度の12回から大きく減っている。FG社長の権限が強まるにつれ、本来であればそのチェック機能も強化が求められるだろう。
従業員の転職市場が整備されていない日本の場合、経営トップの権限が強まれば強まるほど現場は逃げ場を失って萎縮する。みずほは「3CEO制」の反動でワントップに権限を集約した。それがかえって現場組織を萎縮させて、みずほの「言うべきことを言わない、言われたことだけしかしない」という風土を一段と強めたのではないか。日本経済には終身雇用制のような慣習が根深く残っており、米国型の企業統治となかなか相いれない面がある。
企業統治のモデルに絶対的な正解はない。そもそも、みずほの問題が「言うべきことを言わない、言われたことだけしかしない」という萎縮した企業風土にあるのであれば、これからは一定の失敗を許容する「心理的安全性」が必要になる。その場合は社外取締役による執行へのチェック機能ではなく、むしろ社内取締役を軸とした分散統治体制がのぞましいだろう。企業統治改革は形ではなく「魂」が必要で、みずほはベストプラクティスを求めて試行錯誤を繰り返さなくてはならない。
「世界五指に入るトップバンクになる」――。そんな目標をもって船出した巨大銀行は、度重なるシステム障害、巨額の不良債権処理、厳格な「竹中プラン」の中でもがき続ける。いったい、どこから「みずほの失敗」が始まったのか。生々しい人間ドラマも交えて検証する。
河浪武史(著)/日本経済新聞出版/1760円(税込み)