人気小説シリーズの最新刊『チップス ハゲタカ6』を発売した小説家の真山仁氏と、『世界を解き明かす 地政学』の著者である田中孝幸氏の対談シリーズ最終回。小説家と記者が、現場取材にかける思いや、これからのメディアのあり方をテーマに語り合った。(取材・文/伊藤 理子、対談写真=吉成 大輔)
取材を重ねたからこそ、現地の「ありよう」のみを伝える
真山 仁氏(以下、真山):『チップス ハゲタカ6』について、田中さんにいろいろな角度から読み解いてもらったので、今回は私から『世界を解き明かす 地政学』の感想を伝えたい。まず率直に、「本当に書くのがうまくなった」と感じました。びっくりしました。横柄に聞こえるかもしれないけれど、旧知の仲だからこそ、率直な感想としていちばんに伝えたいと思いました。
田中 孝幸氏(以下、田中):本当ですか、ありがとうございます! どの辺りでそう感じていただけたのでしょう。
真山:前作の『13歳からの地政学 カイゾクとの地球儀航海』(東洋経済新報社)は、子どもにも分かるように書かなければいけないから、田中さんが普段使わないような言葉を使い、やや説得しているような印象を受けました。でも最新刊は『チップス ハゲタカ6』に出てくるチャールズのように淡々としていて、すごくフラットに書いている。
世界各地での現場取材を経て、田中さん自身はいろいろな感情を抱えているはずなのに、それらを一切排除して、取材を通して見てきたものの「ありよう」だけを伝えている。

田中:現地取材を通したものの見方、考えは私の中にももちろんありますが、そこは少し抑えて、フラットな書き方は意識しました。
真山:地政学は様々なアプローチがあります。この本は「一緒にレンズの中をのぞいて世界全体を見てみませんか」と、短い言葉で要点を伝えてくる。文章が削ぎ落とされているからすごく読みやすいし、世界の現状が偏見なく目に映る。
田中:真山さんにそう言っていただけると、うれしいですね。
真山:地政学には、宗教的、あるいはオカルト的なイメージがつきまといます。土着のものや民族闘争、宗教などが関わるからそのようなイメージがあるのは仕方がありません。田中さんは、その辺りを上手に避けつつ、現地で取材した記者だからこそ知り得る当事者の言葉を持っている。そこに、伝わる本質がある。さらに自分で撮った写真を掲載しているから、非常にゆるぎない内容になっている。
それでいて圧倒的な取材量を自慢したり、押し付けたりしている感じがない。それは、伝え手としてとても大事なことだと思います。何かを伝えたいときに前のめりになり過ぎると、相手は引いてしまうんです。
田中:自分自身、そう感じてしまった経験があります。
真山:芝居の世界では、演技がうまい人は「ささやく」と言います。ささやくと聞き手が前のめりになり集中して聞くようになる。田中さんはまさに「耳元でささやくように世界を教えてくれる」人ですね。
田中:世界のあらゆる国や地域で、現地の声を拾い、自分が見て聞いた話をどう届けるか。届けるだけでなくどう響かせるのか。そこはさらに難しいところです。
真山:田中さんは日本経済新聞の記者としてロシアのモスクワやオーストリアのウィーンに赴き、ウクライナ情勢について報道するなど、過酷な道を選んでこられた印象があります。こうした取材の経験を通して、自分の中で変わったものはありますか。

田中:ウクライナではかなりの現場を取材しました。現地の「人のありよう」を感じることができたのは、自分にとって大きな糧となりました。
戦争って、人間の天使のような面と、悪魔のような面のどちらも引き出すのです。「人間を観察する」という意味では、かなり貴重な機会に恵まれました。
ウィーンは国連関連機関がある都市の一つで、欧米の秩序を支えてきた柱みたいな場所です。そこに軸足を置いて「なぜ欧州はこんなに豊かなのか」を掘り下げるのには最適なロケーションでした。
他にも、国連関係機関は世界にたくさんあるのに、そのほとんどがヨーロッパにある。なぜアジアにはないのかなど、あらゆる事実には理由や背景があるということをつかめたのは、現地に行った経験があってこそだと思います。
真山さんが台湾の取材でたくさん「現場のにおい」を感じ、それを小説に反映されたように、現場に行き、歩いて、その町の空気を感じることがどれだけ大切か。特に文章には如実に表れるなと改めて感じました。
細部を突き詰めることで、全体が見えてくる
真山:「神は細部に宿る」とよく言いますが、それは重箱の隅までディテールにこだわるということではない。細部を突き詰めると、全体が見えるんです。
田中:なるほど。詳しく聞かせてください。
真山:例えば、戦場での小さな出来事を掘り下げ、突き詰めてみる。そうすると戦争の背景や国の思惑などが見えてきます。田中さんの地政学の本も、細かい事実をピンポイントで押さえ、そこにフォーカスすることで、より全体が見えるようになり、理解しやすくなっている。これこそが「伝えること」なのだと改めて感じます。
田中:新聞ジャーナリズムの問題点として個人的に感じているのが、「ニュースは伝えるけれど、解説を伝えられていない」ということ。国際情勢を見ると不安なニュースばかりですが、ファクトだけ伝えられる一方で「なぜこれが起きたのか」がない。病気なのに病名を教えてもらえないような不安感が残る。
最近は「ニュースデトックス」という言葉があるらしいです。それは我々メディア側の責任でもある。根本を解き明かす営みが、明らかに足りていなかったという反省があります。
でも平時の新聞ではスペースの問題もあり、なかなか深く書きづらいのも事実。だから書籍のほうが伝えられるものが大きいと思ったんです。長らく国際報道に携わっている自分ですら不安になることがあるのだから、こういう機会を提供しないと、若者はもっと不安だろうと。
真山:確かにそうですよね。
田中:中学生や高校生を対象に、『13歳からの地政学』について講演する機会があるのですが、彼らの国際問題への関心は驚くほど高いんですよ。そんな彼ら彼女らに触れるたびに、根本の原因や背景の深い事情、物事を多くの角度から見る重要性などを伝えるようにしています。
真山:以前、若いジャーナリストたちと勉強会をやっていた際に、彼らに「事実を報道するのは重要だが、時の流れの中でこのニュースは今どの位置にあるのか、意識して取材しているか」と聞くと、ぽかんとした表情を浮かべていました。出来事は伝えられても、そもそも自分自身の中に洞察がない。
ウクライナ問題もそう。なぜここで戦争が起こるのか、これまでの歴史からひもといて考えると、善対悪という分かりやすい対立構造ではないと気付くはずです。ただ、多くのメディアの現場では「分かりやすく鮮明に対立構造を書け」と言われがち。だから見えている現実に自分なりの疑問を抱き、考えてみる余裕がない。田中さんの本には、その余裕があるんです。
田中:若い記者にどうやって記事を書けばいいのか聞かれることがあります。難しい話ではありません。最初にファクト、そして次になぜそれが起きたのかを書く。そこまで理解できていれば、次に何が起きる可能性があるのかも見当がつくはずなので、それも書く。
ただ、これを書くには普段からきちんと勉強しなければいけません。人と触れ合い、取材する経験を積む必要もある。そもそも人に興味を持っていないとできませんね。
真山:田中さんはあっさり言ったけれど、3つ目の「次に何が起こるのか」が分からない人は多いと思う。おっしゃるように「人に興味がない」からでしょうね。
例えば、大化の改新とはどんな事件で、いつ起きたのかは知っているけれど、そこで止まってしまい、その後どうなったのか、結果としてどんな政治になったのかまでは理解していない。栄華を極めた人がダメになる経緯こそ興味深いし、ささいなことで破滅するから人は面白いのにね。
田中:真山さんは作品を書く前に、徹底して関連する人物に会いに行きますよね。
真山:そうですね。多くの関係者を取材していると、正直、無駄骨もありますが、中には「事の顛末(てんまつ)まですべて知っていそう」な人に出会うことがあります。ただ、ここは気を付けなければいけないんです。
田中:どういう点で気を付けるべきなのでしょう。
真山:一から十まで全部を聞いてしまうと、それに縛られて、小説を書けなくなってしまうんです。だから、3通りぐらい答えがイメージできた時点で「ここまででいいです」と取材をストップします。そして、最も「こんなのあり得ない」と思った最悪の予想を小説にするんです。
田中:そこはやっぱり小説ならではですね。
真山:ただ、執筆後に取材先から電話があって「私、最後まで話しましたっけ? 書いてある通りなんです」と打ち明けられることもあります(笑)。
つまり、世の中ではあり得ないと考えられる事象が実際に発生している。そして、それが起こるのには必ず理由があるということ。
手に入ったいくつかの情報のピースから、「もしかしたらこういうことが起こっているのかも」と想像し、取材先にぶつけてみれば、思わぬ情報を引き出せたりもします。それも面白さの一つですね。
田中:イスラエルのネタニヤフ首相の側近によると、首相は日々、情報機関からブリーフィングを受けているそうです。その際に「一番起こりそうなこと」と「起こりそうだけれど実際に起こったら最も困ること」の2つのシナリオを提示させているそうです。
それを見て、常に最悪を想像し、どういう備えをすればいいかを判断する。だから彼らは、中東で生き残ってきたんですね。これってまさに、真山さんの考えと共通しています。複数のシナリオの中から、最悪を想像する。
でも同時に、厳しい世相になり世の混乱が深まるほど、人間の良さが表出する場面がある。紛争地域などの現場でそういう体験をすると、最悪の状況であっても希望が必ず残る。必要以上に悲観的にならないことも大切だなと感じます。
真山:ダメだと諦めたら、そこでおしまいだものね。現場取材を通じた世界への発信に、今後も期待しています。

[日経ビジネス電子版 2026年6月17日付の記事を転載]
真山仁(著)、日経BP、上下巻 各2090円(税込み)
田中孝幸(著)、日本経済新聞出版、1980円(税込み)

