伊藤忠商事に入社したはいいものの、「岡藤は使えない」と散々な酷評を浴びた岡藤正広氏。営業の師である峠一氏の手ほどきを受け、一人前になりつつあった岡藤氏は「違いを生み出すビジネス」を求めて試行錯誤を続ける。そこで出合ったのが、キャリアの分岐点となるブランドビジネスだった。『ひとりの商人 岡藤正広 私の履歴書』より、その原点を抜粋してお届けする。
「明日、帝国ホテルで英国屋の生地の展示会があるんやけど、せっかくやから岡さんも一緒に行かへんか」
生地の展示会なんて面白くもない。それにわざわざ土曜の半ドンを潰してもう一泊なんてめんどくさいなぁ……。正直なところこう思ったのだが、この時はなぜか私の営業の師匠だった峠一さんがやけに熱心に誘ってきた。
「そうやなぁ……、ほな行ってみよか」
ここで私は、成功への手掛かりを見つけたのだ。
展示会でひらめく
帝国ホテルのホールに所狭しと並べられた生地の数々。ここで一般の消費者に直接選んでもらってオーダーメードのスーツを作るのだというが、これだけの生地が一カ所に展示されると、正直なところプロの目から見てもどれも似たり寄ったりに思えてしまう。
「こんな山のようにある生地の中から、いったいどうやってスーツに仕立てるものを選ぶんやろうか」
こんなことを思いながら脇に目をやると、いかにもお金持ちという風貌の男性がテーブルに座り、展示会を主催する英国屋の営業マンからなにやら話しかけられている。おおかた生地の山の中からオススメの品でも聞かされているのだろう。
その様子を観察していると、すぐに気づいた。テーブルに座るお金持ちらしき人は営業マンの話などろくに聞いてはいない。すると2人の女性がテーブルに近づいていった。見たところ男性の奥さんと娘さんのようだ。
「パパ、この生地がいいんじゃない」
「んん……、そうかなぁ」
そう言って男性はその場でスーツの生地を決めてしまった。その様子を目にした私は、突然ひらめいた。
「これや! 男はスーツの生地なんか全然見てへん。女の人が決めてるんや!」
この時にひらめいたアイデアが、紳士服用の生地にいかにも女性が好みそうなブランドの名前を付けて日本で売る、というものだった。ブランド側とライセンス契約を結んで生地に名前を使わせてもらうのだ。
これなら問屋にお伺いを立てるような従来の隷属的な商売とは違い、伊藤忠が主導権を握ることができるはずだ。「なにか違いを」と考え続けてきたからこそ、あの時にひらめいたのだと思う。これが私のキャリアの分岐点となった。
ターゲットはサンローラン
早速、同行していた峠さんにこのアイデアをぶつけると、「岡さん、その通りやで」と賛成してくれた。間髪入れず、私の思いつきを商売に昇華させる上で貴重なヒントを与えてくれた。
峠さんは「女性受けするブランドやったら三喜商事に聞いてみたら?」と言うのだ。三喜商事は女性向けの輸入高級アパレルで業界トップの会社だ。
「なるほど、三喜商事か……」。これは居ても立ってもいられない。私は大阪に帰るなり三喜商事に足を運んだ。応対してくれたのは創業者の堀田(ほりた)一社長だった。
「紳士服の生地に女性が好みそうなブランド名を付けたら売れるんやないでしょうか」
私がそう言うと、堀田さんは黙って聞いてくれた。普通なら「なぜ男性用の紳士服に女性が好むブランドを?」と疑問に思うはずだ。私がその意図を英国屋の展示会で見た風景を交えながら説明すると、堀田さんはすぐに理解してくれた。
「そら、ええアイデアやな」
そう言いながら、こう付け加えられた。
「それやったらイヴ・サンローランや」
このひと言で、私はフランスの高級ブランドであるイヴ・サンローランをターゲットにすることに決めた。
この新しい形のビジネスについて伊藤忠社内で説明しても、「なにをアホなことを言うとるんや」と相手にされなかったが、もはや私の耳には入らない。反対論が多い中で繊維部門のトップである堀田(ほった)輝雄常務が大いに関心を持ってくれたことも心強かった。
果たしてサンローランに出したプロポーザル(提案書)に対する返信が届いたのは、それから1カ月ほど後のことだった。「検討してもよい」と書かれていた。なかなか返信がなく半ば諦めていた私は飛び上がって喜んだ。交渉はとんとん拍子に進み、5年契約でまとまった。
こうして動き始めた大型プロジェクト。英国で生地を大量に買い付けてサンローランからブランド使用の承認を得るため、欧州に飛ぶことになった。その直前には当社の堀田(ほった) 常務と三喜商事の堀田(ほりた)社長による共同記者会見が開かれた。
場所は東京・銀座のマキシム・ド・パリ。広告費などで2000万円の予算を使ったPRの一環となる食事をとりながらの豪華な会見を、私は誇らしげに眺めていた。
当時の課の年間利益は7000万円だから大盤振る舞いだ。周囲に取り残され自信を失っていた私が、アイデアひとつで誰もやってこなかったビジネスの扉を開いたのだ。
この時、フランスで試練が待ち受けているとは、知るよしもなかった。
突然の変心、天国から地獄に
英国中部の街、ハダースフィールドはラグビーリーグ発祥の地として知られている。もうひとつの顔が世界三大毛織物産地のひとつ。イヴ・サンローランとの契約を取り付けた私はまずは生地を買い付けるべく、この土地を訪れた。
ここで高級毛織物メーカーを回って200反ほどの生地を仕入れた。一反は約60メートルで、スーツにするとざっと20着分になる。200反なので4000着分。これだけの生地を買い付けると、いよいよ次はサンローランの本拠があるパリへと向かった。
この生地を承認してもらい、「イヴ・サンローラン」の名前で日本で売るためだ。
意気揚々と訪問したのが、サンローランのオフィスだ。赤い壁に大きく金色で書かれた「YSL」のロゴを見ると、ファッションの本場に来たんだなという実感がわく。
ここにハダースフィールドで仕入れたばかりの大量の生地を並べて交渉相手の登場を待った。
しばらくするとピエール・レヴィを筆頭に7~8人ほどがずらずらと登場した。レヴィはサンローランのデザイン部門を率いる最高幹部のひとりだ。あいさつを済ませ、さっそくずらりと並べた生地を見てもらったのだが、なにやら雲行きが怪しい。
「ちょっと席を外します」
そう言うと全員が退席してしまった。10分くらいして戻ってくると、一方的に告げられた。
「例外的なことではありますが、契約を打ち切らせてもらいます」
衝撃の一言である。思わず耳を疑った。
いったいどうしたっていうんだ――。問い直すと我々が持ち込んだ生地を指さして、「どれもイヴ・サンローランのテイストではない」と言うではないか。こちらが再考を促しても頑として聞いてくれない。どうにもラチがあかず、我々はいったん引き下がるしかなかった。
「話が違うやないか。どないなってるんや!」
同行した上司が烈火のごとく怒り始めた。私としては反論の余地もない。
「お前がなんとかせえ」
それだけ言い残して、なんと同行していた上司たちは帰国してしまった。私はパリの安ホテルにひとり残された。もともと質素な部屋だったのだが、不思議なことに意気揚々だった先日までとうってかわって、なんとも狭く薄暗い陰気な部屋に思えてくる。
やることがないのでベッドに寝転んで打開策を考えるが、妙案が浮かばない。まさに天国から地獄に突き落とされた心境だ。
「このままおめおめと帰るわけにはいかない」
私は功を焦りすぎたのだろうか。周囲に追いつこうと「なにか違うことを」と追い求めた先に見つけたのが、この「女性に好まれそうなブランドの名前を紳士服の生地に付ける」というブランドビジネスのアイデアだったはずだ。
帝国ホテルでの展示会でヒントを見つけ、サンローランにターゲットを絞り、とんとん拍子で契約がまとまったと思った時には、ようやく「違い」を作ることに成功したと思えた。
それがこのザマだ。窮屈で陰湿な安ホテルの部屋に閉じこもる時間が続いた。言葉も分からないので食事に出かけるのは一日一回だけ。そもそも食事も喉を通らない状態だ。それでも手持ちのフランはどんどん減っていく。
「このままおめおめと帰るわけにはいかない」
そんなことを思いながら異国の地でベッドから天井を見つめるだけの日々が、1週間ほど続いた。これでは飛び込み同然の私の話に耳を傾けてパートナーになってくれた三喜商事の堀田社長にも、社内では鼻で笑われた私のアイデアを認めて後押ししてくれた堀田常務にも、合わせる顔がない。胸を締め付けられるような思いで見つめたあの天井が、今でも忘れられない。
それにしても気になっていたのが、サンローランの心変わりの理由だった。「うちのテイストではない」という言葉の真意はなんだったのだろうか――。天井を見つめながらじっと考えた。
「俺のやり方のなにが間違っていたんや。テイストじゃないって、どういう意味なんや……」。とりとめもなく思考の時間が過ぎていく。そして、こんな仮説に行き着いた。
私が持ち込んだ生地に対して、レヴィは「全部ダメだ」とは言っていない。だったら、なにがダメだったのだろうか。
ようやく思い当たった。私は、こちらのイメージを彼らに押しつけているのではないだろうか。そう考えると合点がいく。「サンローラン」のイメージを打ちだそうとするあまり、クセの強いガラを選んでしまっていたんじゃないか。
「突然の心変わりの原因はこれなんじゃ……、いや、おそらくそのはずや」。たどりついた仮説は、どうやら間違ってはいなさそうだ。では、どうやってこの状況を巻き返せばいいか。天井を見つめながら止まっていたはずの思考が急回転し始めた。
ストライプなどのクセの強いガラ物については、販売元となる三喜商事に諦めてもらい、残る無地や落ち着いたテイストの生地をサンローランに認めてもらうよう交渉してみてはどうか。
翌日、私は再びサンローランのオフィスを訪れた。カシミヤも混ぜて高級感を出した無地を中心にするが、ガラ物もいくつかは認めてもらいたい。そう再提案すると、渋々認めてくれた。サンローランブランドの生地を売ることになる三喜商事も納得してくれた。
これでどうにか帰国することができる。成功を確信してパリに乗り込んだ1週間ほど前のような高揚感はまったくない。とても成功だとは思えず、なんとか形にできてホッとしたというのが正直なところだった。
こうして迎えた日本での商談会。サンローランブランドの紳士服地のお披露目の場となる会場は、大阪・瓦町にある三喜商事本社内のショールームだ。心中、ドキドキしながら訪れると、私の顔を見るなり女性スタッフが声をかけてくれた。
「サンローラン、よう売れてますよ!」
それを聞いて隣に立つ峠さんと目が合った。無言でガッチリと握手。「二人で日本一になろう」。いつかそう語り合ったあの青くさいストーリーが動き出した瞬間だった。
「こんなことをやっていたら会社が潰れる」――一流半と揶揄(やゆ)された伊藤忠商事を躍進させた男は、一度も海外赴任経験のない異端の革命児だった。大好評の日本経済新聞「私の履歴書」に大幅加筆を行い、待望の書籍化!
岡藤正広著/杉本貴司編集/日本経済新聞出版/1870円(税込)

