2010年4月に伊藤忠商事の社長に就任した岡藤正広氏は、「こんなことをしていたら会社が潰れる」と強い危機感を抱くことになる。万年4位だった伊藤忠を、どうやって変えたのか。『ひとりの商人 岡藤正広 私の履歴書』より、その過程をくわしく紹介する。

 私には小さなポケットサイズの手帳に、その時々に思ったことを書き込む習慣がある。社長就任が決まった当時は「社長になったらやること」を思いつくままに書き込んでいた。

 月刊の社内広報誌の見直しから始まり、業務改革など9項目にわたる。いずれも鉛筆で走り書き。「率先垂範」など心得的なものもあるが、「MBA中止」や「社員にクレームをつけさせる」という本当に制度化した項目もある。

 そして「会ギ大きらい」の一文――。そう、私は昔から会議が大嫌いだったのだ。昇進するたびに痛感していたのが、会議に関する無駄がなんと多い会社かということだった。

会議は誰のため?

 あれは丹羽宇一郎さんが会長だった頃だと思うが、丹羽さんが「お金はお客さんのところに落ちているのだから、とにかくお客さんのところに行け」という趣旨のことを話されていた。ごもっともなのだが「これだけ会議が多いというのに、いつ客先に行けと言わはるんですか」とかみついたことがある。

 特に問題視すべきは、会議で上司が発言するためにどれだけ多くの部下の時間を潰してしまっているかということだった。例えば、毎週月曜午前に開かれていた各カンパニープレジデントと海外主幹者による情報連絡会。私がまだ繊維カンパニープレジデントだった頃にモスクワに出張に行くと、繊維出身の支店長が切実に訴えかけてくれた。

 あるカンパニー出身の駐在員たちは1週間、この会議のネタ探しのために走り回っているのだという。モスクワだけではない。このカンパニーでは金曜日になると世界中から東京が情報を集約して、月曜の会議でプレジデントが披露するために資料をまとめているという。もちろん「ボツ」となる情報も多いが、とにかくネタ集めを徹底するよう、厳しく言い渡されているのだとか。

 開いた口が塞がらないとはこのことだ。私も繊維のプレジデントとして大阪から電話会議で参加していたが、まずは自分で情報収集して分からないことがあれば担当者に直接聞いていた。

 確かに、そのカンパニーのプレジデントは世界中の情勢に精通しているといった調子で毎週、見事なプレゼンを披露するのだが、自分の話が終わればホッとしてしまって他部門の話などロクに聞いちゃいない。一方、海外で情報収集を終えた部下の中には時差の関係もあり、月曜は昼からの"重役出勤"を決め込んでいる者もいるのだという。

受験勉強の失敗を生かす

「こんなことをやっていたら会社が潰れる」

 本気でそう思った。社長になるとすぐにこの情報連絡会の時間を短縮した。続いて毎週月曜開催から月一回に。ついには廃止してしまった。年に一度、3日間をかけて開催していた特別経営会議も半日に圧縮した。

 もっと重要なのは、会議を実りあるものにするため、各会議で上司にあたる者に予習を課したことだ。議題を事前に把握して上司が仮説や結論を持って臨めば、会議は報告の場から意思決定の場に変わる。それだけで生産性がどれだけ向上するか。

 私の会議ギライは大阪弁でいう「いらち」な性格が原因なのだろう。短気でせっかちという意味だ。

 ただ、実は受験に失敗したことも教訓になっている。ろくに学校の授業も聞かずに、よく理解しないまま独りよがりの勉強をしていた頃は成績が上がらなかった。効率が良いのは予習を徹底することだと、途中で気づいた。それ以来、商社マンになってからも予習や準備を徹底することが私にとって仕事の決め事だったのだ。

 会議の削減はほんの一例だが、こういった無駄な仕事を徹底的に削るという実に地味な作業から私なりの経営改革は始まった。「削る」だけではない。無駄な損失を「防ぐ」、そして「稼ぐ」力を最大化していく。

 稼ぐ、削る、防ぐ――。その頭文字をつなげて「かけふ」。これが経営改革の合言葉だ。

「岡藤さんは大阪出身だから、やっぱり阪神タイガースのファンなんですね」

 今までに何度も聞かれた。「まあ、そんなところですわ」と曖昧に答えることもあったが、この際だからここで告白しておくと、野球にはあまり関心がない。

 実は単に語呂がいいから「かけふ」にしただけだ。ただ、おかげさまで覚えてもらいやすいキャッチフレーズとなり、個人的にはとても気に入っている。

ポケット手帳に改革案をびっしり書き込んだ(写真:著者提供)
ポケット手帳に改革案をびっしり書き込んだ(写真:著者提供)
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ヒントは蟹穴主義

 稼ぐ、削る、防ぐで「かけふ」。社長就任前に自宅で五大商社の決算書に目を落としている際に浮かんだ言葉だった。これには当時の伊藤忠が置かれた状況が大きく影響している。

 長年にわたり業界内での伊藤忠の立ち位置は「万年4位」。当時の業績はバブル末期に財テクに走ったツケを払った1990年代末と比べれば、そこまで悪いというわけではない。それだけに、私の目には現状に甘んじる空気が社内に流れているように見えた。

 成長を期するなら、やはり財閥系に追いつけ追い越せだ。ただし、いきなりトップを狙えと言うと現実味が乏しく社員も本気にならない。身の丈をわきまえながら、もう一歩の努力で手が届きそうな目標をいかに作り、組織をそこに導けるか。これこそが私なりのマネジメントの極意だ。

 ヒントとなったのが、日本の資本主義の父と呼ばれる渋沢栄一さんが著書『論語と算盤』で説いた「蟹穴(かにあな)主義」だ。蟹は自分の甲羅の大きさに見合った穴を掘るのだという。身の丈にあった行動を取りながら、その甲羅を取り換えて成長していく。

 会社の成長は「分を守る」という蟹に見習うべきだと思う。万年4位という思い込みからくる負け癖を取り除くには、小さな成功を積み重ねて社員たちに「やればできる」と実感させることが先決だ。現状では到底手が届かない目標では最初からやる気をなくしてしまう。逆に、簡単に達成できてしまう目標では、達成感が小さく成長につながらない。

 リーダーに問われるのは、ギリギリで手が届きそうな甲羅のサイズをどう設定するかという点だ。

勝ち癖をつけさせるための戦略

 決算書をにらみながら私が注目したのが、売上総利益(粗利益)だった。社長就任前年の2009年3月期の時点で、伊藤忠はすでに三菱に次ぐ2位。稼ぐための地力は十分にあるということだ。だが、経費が大きく、これを差し引いた営業利益となるとガクンと落ちる。そこから特別損失などを引いて純利益となると、住友を下回って4位になってしまう。

 見方を変えれば、無駄を削り損失を防げば万年4位はすぐに返上できる。そう考えた。これが最初のターゲットだ。果たして就任から2年後の2012年3月期決算で純利益でも住友を上回り、万年4位からは脱却した。

 その次の甲羅は「非資源でナンバーワン」だ。伊藤忠が財閥系に劣る資源分野を勝手に除いた数字で対抗しようと考えた。恣意的な数値に基づく目標と言っていただいて結構。勝ち癖を付けさせるために意図的に選んだ新しい甲羅だった。

 その先は純利益で初の首位。これは2016年3月期に達成した。ただし、この時は財閥系が軒並み資源関連の損失を出し、「敵失」に助けられた面も否めない。本当の意味で財閥系と伍する地位を目指そうと掲げたのが純利益、株価、時価総額で首位に立つ「商社三冠」だった。2020年6月、ついにこの高みに立った。

 社長就任を前に奈良・学園前の自宅で構想を練った日から10年――。この間の社員たちの奮闘を思えば、さすがに感無量だった。「万年4位からよくぞここまで」、と。

 もっとも、次の甲羅への挑戦はこれからも続く。すべては伊藤忠の優秀な社員たちに持てる力を最大限に発揮してもらい、今より強い会社に、良い会社にするために。

 もちろん、目標設定やかけ声だけで勝てるほど財閥系のライバルたちとの戦いは甘くない。少しずつ蟹穴を大きくしていくための実行計画こそが「かけふ」だった。

商社の革命児による、初の自著!

「こんなことをやっていたら会社が潰れる」――一流半と揶揄(やゆ)された伊藤忠商事を躍進させた男は、一度も海外赴任経験のない異端の革命児だった。大好評の日本経済新聞「私の履歴書」に大幅加筆を行い、待望の書籍化!

岡藤正広著/杉本貴司編集/日本経済新聞出版/1870円(税込)