2019年1月31日、臨時取締役会で岡藤氏はデサントへのTOB(敵対的買収)を決める。デサントは、岡藤氏が師と仰いだ飯田洋三氏との因縁浅からぬ相手。こうして前代未聞と言われたM&Aがその幕を開けた――『ひとりの商人 岡藤正広 私の履歴書』より、その舞台裏を見ていこう。
ビジネスに私情を持ち込むのは禁物だ。だが、やはり人間がやることだ。完全に私情を捨て去ることができないのもまた、事実ではないだろうか。
あの時の私もそうだった。2019年1月31日。早朝7時に開いた臨時取締役会で、私はこう宣言した。
「これは飯田さんの弔い合戦や。飯田さんの無念を晴らす。私は命を懸けて、これをやり抜く」
有無を言わせない口調だったと思う。実際、反対意見は出なかった。こうして前代未聞と言われたデサントからの同意のない、いわゆる敵対的TOB(株式公開買い付け)に乗り出すことが決まった。
再建に向け、エースを送り込む
ここで話を少し過去の経緯に戻そう。伊藤忠とデサントは長年、取引関係が深かったのだが、1980年代に入ってデサントの経営が行き詰まった。米ゴルフブランドの「マンシングウェア」が不振で大量の在庫を抱えたことが原因だった。
支援を求められた伊藤忠は1985年、再建のために繊維部門のエースを送り込んだ。私が師と仰ぐ飯田洋三さんだ。その時から10年余り前に入社した私の新人時代の課長だった方だ。
商社マンとして駆け出しの私から見れば遠い存在に思えたが、飯田さんは商人としてお手本になるだけでなく、私が取引先とトラブルを起こしたと聞けば一緒に出向いて真っ先に頭を下げてくれるような上司だった。個人的に助けられたという以上にリーダーたる者はどうあるべきか、その姿を背中で見せていただいたことに今でも心から感謝している。
「3年で再建してみせる」
本来なら我々繊維部門のトップ、いや、いずれ伊藤忠を背負って立つような器の人だったと思う。それだけに飯田さんが不振のデサントに送り込まれると聞いた時は、驚きを禁じ得なかった。
というのも、私はてっきり飯田さんが意に反しつつも会社の決定に従ってデサントに派遣されたものと思い込んでいたのだが、そうではないことが分かった。日経新聞の「私の履歴書」の連載が終わると、飯田さんと同世代にあたる伊藤忠OBの小池隆策さんから手紙をいただいた。そこに、こんなことが書かれていた。
ある時、繊維部門管掌の副社長だった堀田輝雄さんが皆を集めて、「誰かをデサントに派遣したい」と声をかけられたそうだ。ただ、一同は声もなく下を向いている。その時、手を挙げて「私が行きましょう」と名乗り出たのが飯田さんだったという。
「おお、行ってくれるか」
そう答えたという堀田さんとしては心中で「この男なら」と、ホッとされたのだろうか。あるいは、ここで手放すのは惜しいと思われたのか、今となっては分からない。
ともかく、飯田さんは文句のひとつも言わずにデサントの再建に力を尽くされた。「3年で再建してみせる」と宣言された通りに、見事に3年で巨額赤字から黒字への転換を果たされた。工場の閉鎖や人員削減など厳しい決断の連続だったと思う。
その後も引き留められてデサント社長となった飯田さんを襲った1998年のアディダス・ショック。当時のデサントの売上高の4割、利益の実に8割を占めていた独アディダスから契約を打ち切られたのだ。ここでも飯田さんが陣頭指揮を執って未曽有の危機を脱した。
2度にわたるデサント再建の立役者である。飯田さんこそがデサントの中興の祖だというのは、私のひいき目ではないだろう。
裏切りの古参社員たち
業績が持ち直すと、飯田さんは相談役に退くことになった。すると、きな臭い動きが目に付くようになってきた。「経営が軌道に乗れば伊藤忠は不要だ」とばかりにデサント創業家を担ぐ古参社員たちの巻き返しが始まったのだ。
2013年に伊藤忠出身の社長が突然解任されるという騒動が起きた。後任に収まったのがデサント創業者の孫にあたる石本雅敏氏。筆頭株主の当社には「3年だけ社長をやらせてほしい」と打診があり、私もこれを認めたのだが、その後も居座ることになった。しばらくすると再び経営不振に陥った。
その件について私が問いただすと、なんと隠しどりされた音声が週刊誌に持ち込まれ、面白おかしく報じられた。その少し前にはデサントは突然、ワコールホールディングスとの提携を決めた。社長解任の時と同様に緊急動議。つまり不意打ちだ。
経営不振のただ中だというのに、いったいなにをやっているのだか……。筆頭株主としてもはや看過できないと考えた。飯田さんが立て直した会社をもう一度再建するためにも。
「情と利」に基づく決断
敵対的TOBを決める臨時取締役会で私が居並ぶ役員陣に個人的な覚悟を示したのは、こんな事情が背景にあったからだ。この直前に、飯田さんにお会いしに行った。
「僕は飯田さんのためにも命をかけてやります。必ず仇(かたき)を取りますから」
まるで任侠(にんきょう)映画のセリフのようだが、こんな風にお話ししたことを覚えている。私の決意を聞いた飯田さんはというと、実に達観されたものだった。
「無理するなよ。中小企業をいじめていると世間から誤解されないようにな」
こんな忠告をいただいたが、もちろん情だけでなく利も伴うため、経営者として敵対的買収を断行する道を選んだ。
TOBが成立した後にもう一度、ご報告に行くと飯田さんはいたく喜んでおられた。その表情を見て、少しは恩返しができたのかなと思ったものだ。
繰り返す。ビジネスに私情は禁物だ。特に私は多くの株主からの期待に応える責任を持つ上場企業の経営者だ。合理的な判断を下す責務を負っている。デサントの件ではその後の業績にも、そして買収した際の不良資産の処理も含めて、十分に経済合理性を吟味した結果だということには自信を持っている。
ただ、世間を賑わせたあの敵対的TOBの裏に、こんな個人的な思いがあったこともまた偽らざる事実だ。
「こんなことをやっていたら会社が潰れる」――一流半と揶揄(やゆ)された伊藤忠商事を躍進させた男は、一度も海外赴任経験のない異端の革命児だった。大好評の日本経済新聞「私の履歴書」に大幅加筆を行い、待望の書籍化!
岡藤正広著/杉本貴司編集/日本経済新聞出版/1870円(税込)

