名著 『失敗の本質 日本軍の組織論的研究』 (中公文庫)は、日本軍の敗因分析から様々な教訓を引き出し、勝てる組織になるための方法を提言している。本書の著者の1人、当代きっての経営学者、野中郁次郎氏はなぜ日本軍の研究を始めるに至ったのか。研究意欲に火を付けたのは、幼少期の強烈な戦争体験で抱いた「いつか必ず米国を倒す」という強い思いだった――。日経プレミアシリーズ 『「失敗の本質」を語る なぜ戦史に学ぶのか』 から抜粋してお届けする。
事例研究を基に理論構築に挑む
帰国して日本の経営学界を見渡すと、独自の理論を展開する学者がほとんどいませんでした。一言でいうと、外国の経営学の解釈学だったのです。外国の文献を読み、海外の著名な学者が「こう言った」と引用しながら細部に立ち入っていくスタイルです。訓詁(くんこ)学といってもよいでしょう。ドイツの文献を参照する研究が主流でした。文献研究でも、独自の解釈を加え、新しい概念や、命題を打ち出せればよいのですが、海外の文献紹介の域を出ない論文が大勢でした。
経営学に限った話ではありません。日本は戦後、経済復興を遂げた後、高度成長を続け、先進国の仲間入りを果たしました。しかし、学問の世界ではなお「輸入学問」が幅を利かせていたのです。
留学中に、理論は学ぶものではなく、自分でつくるものだという姿勢をたたき込まれました。外国でできあがった理論を受け入れるだけの日本の風潮に違和感を覚えたのです。
企業の事例研究を積み上げ、その背景にある構造や法則を見出し、理論を構築するというのが、米国で学び取った方法論です。帰国後は、その方法論をもとに日本企業の事例研究に取り組んだのです。
事例研究とは、一つのパターン認識です。人間は事例を通じて物事の因果関係を理解しています。事例研究を豊富にしないといいアイデアが出てきません。企業を訪問し、人に会って話を聞くと、その事例のなかに、必ずどこか一つ、面白いところがあります。様々な企業を訪問すると、新しい命題が次々と湧き出てくるのです。
高まる失敗事例研究への思い
企業を対象に事例研究をするには、企業側の協力が欠かせません。無名に近い経営学者が大企業のトップや担当者に話を聞きたいと申し入れても、そう簡単には会えません。
私が事例研究を始めようとしたころ、日本にも米国流の経営学を取り入れようとする動きが出始め、組織学会という名の学会が誕生していました。会長を務めていたのが、一橋大学教授などを歴任した高宮晋先生でした。米国から帰国し、日本では学界の人脈が乏しい私に目をかけ、経営者へのインタビューに同行する機会を与えてくれました。
インタビューで経営者とどのようなやり取りをし、何を引き出し、どのように研究成果につなげるのか、大いに学びました。私の事例研究の出発点といえます。
ただ、企業を訪問する事例研究には制約がありました。企業が協力してくれるのは、成功事例として取り上げてもらえると期待しているからです。成功事例だけではなく、失敗事例の研究をしたいと思っても、協力してくれる企業は現れません。
留学中の研究成果をベースにした初の著書『組織と市場』(1974年)で取り上げたのも、当時のエクセレントカンパニーです。
調査の対象は、米国最大の液体漂白剤メーカー、クロロックス、世界最大の精密エレクトロニクス測定器具メーカー、ヒューレット・パッカード、米国の3大アルミニウムメーカーの一つ、カイザー・アルミニウム・ケミカル、世界的なジーンズブランドのリーバイ・ストラウスの4社。
事業部長や製品マネジャーを中心に質問票を送り、その結果をもとに市場の多様性を示す計測値をそれぞれ算出しました。論文を仕上げるにあたり、会社概要や内部資料も参考にしていますが、質問票への回答が得られなければ、論文は成立しなかったでしょう。事例研究には企業側の協力が欠かせません。
企業の成功事例から学ぶ点が極めて多いのは確かです。企業の協力を得やすいし、論文も書きやすいため、米国の学界でも成功事例に焦点を当てた研究が活発でした。
しかし、そこに安住していたら、物事の一面しかとらえられません。そこで、失敗事例を調べようとしても、なかなか協力を得られません。
企業の栄枯盛衰は一種の物語といえます。物語には様々な種類があります。ロマンス、冒険劇、喜劇と悲劇、風刺もあります。企業の成功と失敗の物語は表裏の関係にあり、どちらの側面から本質をえぐり出せるのでしょうか。どちらからアプローチすれば、物事の意味づけや価値づけが可能なのでしょうか。私はずっと成功した企業を追いかけてきましたが、失敗の研究のほうが面白いのではないかとの見方を強めたのです。
奥住氏からのヒント
失敗の事例研究はなかなか難しいと奥住さんにも話をしていました。するとあるとき、日本軍はよい研究対象になるのではないか、と提案してきたのです。奥住さんは第2次世界大戦で航空予備学生に志願しました。特攻隊に入って死を覚悟しましたが、台湾の高雄にいるときに終戦を迎え、死を免れた経験の持ち主です。経営学者の私に日本軍の研究を勧めた真意は分かりませんが、日本軍の敗因を明らかにしたい、という気持ちが強かったのでしょう。
日本軍の研究は魅力のあるテーマだと感じました。私には従軍の経験はありませんが、幼少期に強烈な体験をしています。戦時中に、故郷の東京から、母の出身地である静岡県に疎開していた小学校4年生のときでした。その当時、関東地方を攻撃する米軍の航空機B29は、富士山を目指して駿河湾から入り、富士山の手前で右折していました。疎開先の元吉原村(現・富士市)はB29の飛行経路になっていたのです。沿岸に迫る米軍の空母から航空機が飛来し、機銃掃射をしていました。元吉原村には大昭和製紙(現・日本製紙)の主力工場があり、標的になっていたのです。
そんなある日、木陰に身を隠しながら帰宅を急いでいると、低空飛行の戦闘機が近づいてきました。松の木の下に逃げ込みましたが、機銃掃射の音が激しくなったので危険を感じ、トウモロコシ畑のほうに飛び移りました。しばらくすると松の木は炎に包まれ、根元から折れて倒れてしまいました。あっという間の出来事でしたが、元の場所にとどまっていたら命を落としていたかもしれません。
低空飛行の艦載機のパイロットの表情が見えました。笑っているようでした。この瞬間、「いつか必ずアメリカを倒す」という強い怨念が生まれたのです。「米国へのリベンジ」は私の人生を貫く太い幹となります。唐突ともいえる奥住さんの提案に乗る気になったのも、この思いが根底にあったからです。米国へのリベンジを果たす前に、なぜ日本は米国に負けたのかをきっちり解明しておきたい。研究意欲に火が付いたのです。
構成/橋口いずみ 写真(イメージ)/shutterstock
勝者と敗者を理解しなくては成功のメカニズムは解明できない――。『失敗の本質』『アメリカ海兵隊』『戦略の本質』誕生のドラマから、研究への姿勢、知的創造理論の進化の軌跡まですべてを語る。
野中郁次郎(著)、前田裕之(聞き手)/日本経済新聞出版/990円(税込み)