成功のメカニズムを解明するには、成功だけではなく失敗の側面からもアプローチする必要がある。第2次世界大戦の日本軍の戦いぶりを振り返ると、むしろ失敗例の中にこそ、物事の本質が映し出されている。戦争における成功と失敗のダイナミズムと逆説的論理について、名著 『失敗の本質 日本軍の組織論的研究』 (中公文庫)の著者の1人、野中郁次郎氏が語る。日経プレミアシリーズ 『「失敗の本質」を語る なぜ戦史に学ぶのか』 から抜粋してお届けする。
急転直下、防衛大学校へ
日本軍の研究に意欲を見せた私(野中郁次郎)を、旧知の奥住高彦さんは防衛大学校校長の猪木正道先生のもとへ連れて行きました。猪木先生は奥住さんの高校時代の恩師です。「防衛大学校には戦争の資料やデータベースがそろっているだろう」と見通しを立て、研究への協力を依頼しに猪木先生のご自宅を訪問したのです。ワインやチーズをごちそうになり、歓待を受けました。
猪木先生は直ちに研究への全面協力を快諾しましたが、条件を付けました。私が防衛大学校に移籍するのなら研究に協力しよう、というのです。
戦史に関わる研究は魅力のあるテーマでしたが、職場を移るとなると話は変わってきます。南山大学には大切にされているという実感があり、恩義がありました。同じ時期に別の大学から移籍のオファーも受けていました。防衛大学校は社会科学系の学部を新設したのですが、新設学部にはブランド力が欠けていました。体制を強化するために私に白羽の矢を立てたのでしょう。奥住さんは移籍の話を承知のうえで、私を猪木先生のもとに連れて行ったのではないか、という気がします。
いったん話を持ち帰り、研究仲間らに相談しました。防衛大学校に移籍すると、その後の進路が限られてくるという意見が多く、みんな、こぞって反対しました。
しかし、私は何よりも研究活動を重視する人間です。リベンジを誓った米国との戦争をテーマに研究に取り組める環境には、何物にも代えがたい魅力がありました。
戦地から生き残って帰ってきた親戚の人間から「自分だけが生きていて申し訳ない」「死んだ仲間に顔向けができない」といった話をよく聞かされ、いつの間にか「人間はいつ死ぬか分からないのだから、ダメ元でいいから、やりたいことがあったら挑戦しよう、後悔しない生き方をしよう」と考えるようにもなっていました。最後は「一宿一飯の恩はあるぞ」という奥住さんの一言に背中を押され、防衛大学校への移籍を決断したのです。
成功と失敗のダイナミズムと逆説的論理
こうして失敗の研究の土台は整いましたが、話を先に進める前に、成功と失敗の関係について整理しておきましょう。経営学者として「成功している企業」への訪問を続けてきましたが、成功と失敗の境界線を引く難しさも感じていました。
物語にたとえれば、失敗は悲劇、成功は喜劇にあたりますが、失敗と成功は物事の両面であり、どちらか一方だけを見ても全体像はつかめません。足元では成功しているように見えても、後に失敗に転じる企業もあります。成功か失敗かが判明するまでに時間がかかる事例も少なくありません。成功から失敗へ、その逆に失敗から成功へというダイナミックな動きもあります。企業は栄枯盛衰を繰り返しているので、成功事例だと思って論文を書いているうちに、失敗に転じている場合もあるほどです。
栄枯盛衰が激しく、結論が出るまでに時間がかかる企業研究に比べると、戦争研究は勝敗がはっきりしています。第2次大戦で日本が負けたのは動かしがたい事実であるし、戦争は総じて短期間で終わるので、成功と失敗の本質を明らかにしやすいのでは、と考えたのです。
もちろん、日本軍の作戦はすべて失敗だったというわけではありません。
戦争における成功と失敗の関係を「逆説的論理」という概念を使って説明したのが、軍事戦略と外交政策の米国の研究者、エドワード・ルトワック(1942〜)です。ルトワックは、商業や生産といった平和的な活動には「線形論理」が浸透しているが、戦争中は、すべてを反対方向に転じる「逆説的論理」が支配的になると主張します。線形論理が支配している環境では、良いものが増えれば増えるほど状況は好転します。経済活動での大量生産はその一例です。反対に、戦時には均質性は弱点になりかねない、というのです。
戦場で「勝利による敗北」がときおり起きるのは、戦争中には逆説的論理が蔓延(まんえん)しているためです。ルトワックは戦略論に「時間」の概念を導入し、逆説的論理をダイナミックな存在としてとらえています。
敵軍に勝って敵陣に深く入り込み、十分な援軍がないままに長期戦になると、軍隊は弱体化します。勝利を重ねれば重ねるほど母国や補給地から遠く離れ、補給線が長くなるためです。一方、敗れた側は自らの後方基地に近くなり、人員や資源を補給しやすくなります。勝ち続ける陸軍は敵のゲリラやテロに悩まされます。勝った側は士気が落ち、疲労が蓄積しますが、敗者の側は雪辱を期して士気が高まります。負け続けるうちに相手の戦法に習熟し、革新的な戦法を編み出す可能性があります。勝利を重ねてきた部隊が前進を続けるだけでは、一定の時間が経過すると自らを滅ぼし、敗北してしまいます。まさに逆説的論理が働くのです。
構成/橋口いずみ 写真(イメージ)/shutterstock
勝者と敗者を理解しなくては成功のメカニズムは解明できない――。『失敗の本質』『アメリカ海兵隊』『戦略の本質』誕生のドラマから、研究への姿勢、知的創造理論の進化の軌跡まですべてを語る。
野中郁次郎(著)、前田裕之(聞き手)/日本経済新聞出版/990円(税込み)