近年、文化人類学はビジネスへの応用が進んでいる。文化人類学者の大川内直子さんにインタビューする連載第3回は、文化人類学のあり方を論じた本と、文化人類学と考古学の成果から人類史を見直した本を取り上げる。『人類学とは何か』では、文化人類学とは文化の標本を集める民族誌ではなく、他者と共にどのように生きるかを学ぶことだと説く。『万物の黎明』は、文化人類学者と考古学者の共著。単線的なこれまでの人類史観を覆す。

模索と内省を続けてきた文化人類学

 今回は文化人類学のあり方を論じた本と、文化人類学と考古学の連携から見えてきた、スリリングな人類史の大著を取り上げます。

 1冊目は『 人類学とは何か 』(ティム・インゴルド著/奥野克巳、宮崎幸子訳/亜紀書房)。本書はこれまでの文化人類学について語っているというより、今後、文化人類学はどうあるべきかという著者の考えが示されています。

『人類学とは何か』(ティム・インゴルド著/奥野克巳、宮崎幸子訳)
『人類学とは何か』(ティム・インゴルド著/奥野克巳、宮崎幸子訳)
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 実は文化人類学は、誕生以来ずいぶんとごちゃごちゃした歴史をたどってきました。

 文化人類学はヨーロッパの宣教師が植民地から持ち帰った資料を基に、民族や文化について論じたことに始まります。その後、資料の分析だけでなく、現地に行って、人々と信頼関係を築きながら調査をするという、現在のフィールドワークに近い手法に変わっていきました。

 しかし、従来のフィールドワークというのは「調査する側」と「調査される側」が固定された、非対称な関係です。フラットに現地の生活を記述し、理解しているように見えて、現地の人々には分からない英語で勝手に論文を書き、発表してきました。そうした非対称の関係はおかしいという批判が高まり、1970年代以降は内省の時代に入ります。

 「そもそも何のために調査をするのか」「どういった調査であれば、恣意的な誘導にならないのか、人道的にはどうなのか」といったことが模索され、「ポストモダン人類学」と呼ばれる実験的な人類学的調査・報告も見られるようになりました。

 また、自然科学が台頭していく中で、「文化人類学も科学でなければならない」「客観的なデータが重要だ」という考え方も根付いていきました。

 インゴルドの見方はそれとは異なります。文化人類学とは世界各地の文化的な標本を作ることではない。フィールドワークの結果を民族誌にまとめることでもない。文化人類学とは、他者の中に入っていき、人々と共に学ぶことなのだと説きます。

 インゴルドには『 応答、しつづけよ。 』(奥野克巳訳/亜紀書房)という本もあります。世界と向き合い、応答し続けるプロセスそのものが生きていることである。文化の標本を作っていくような、これまでの文化人類学とはまったく異なる立場です。

 インゴルドの意見に賛同するかどうかはともかく、文化人類学に関わっている人や、トラッド(伝統的)な文化人類学ではなく「今の文化人類学」に関心のある方には非常に参考になると思います。

文化人類学と考古学の連携

 続いては『 万物の黎明 人類史を根本からくつがえす 』(デヴィッド・グレーバー、デヴィッド・ウェングロウ著/酒井隆史訳/光文社)です。

 この本は文化人類学者のデヴィッド・グレーバーと考古学者デヴィッド・ウェングロウの共著です。本書の魅力は、私たちが当たり前と思っていた知識を次々と覆していくところにあります。

『万物の黎明』(デヴィッド・グレーバー、デヴィッド・ウェングロウ著/酒井隆史訳)。本書はグレーバーの遺作となった
『万物の黎明』(デヴィッド・グレーバー、デヴィッド・ウェングロウ著/酒井隆史訳)。本書はグレーバーの遺作となった
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 私たちが学校で学んだ知識は、太古の人類はまず狩猟採集民として暮らし、初期の農業においては、タネをまいたり収穫をしたりする中で、次第に労働力が組織化されていく。そして村長(むらおさ)のようなリーダーが生まれ、分業が広がって、王や貴族、商人が誕生し、確固たるヒエラルキーが出来上がっていく。それは不可逆的な過程である、というものだと思います。

 本書はそうした単線的な歴史観は間違いであることを、数々の証拠を基に論証します。

 狩猟採集をしていた人々が農業を始めたと思ったら、また狩猟採集に戻ったり、季節ごとになりわいを変えたりする人々も存在しました。同じアメリカ大陸でも、格差の大きい社会があれば、非常に民主的な運営がされているところも存在し、まさに多種多様です。

 その多様性はたまたまそうなったということでもないようです。どういう社会であればより良い生(せい)を生きられるのかという政治的な思想、そこまで真剣でなくても、ちょっと試してみようかという人間の心持ちがあってさまざまな社会、共同体、都市、国家が選択されてきたということが、最新の考古学的知見と幅広い民族誌の蓄積を基に示されています。

 先に紹介したインゴルドは、『人類学とは何か』で「知識」と「知恵」の違いを語っています。ほとんどの学問は知識を生み出してきましたが、文化人類学は知恵を生み出すべきである。知識とは、実験室の中でデータを得て、可能性を狭め、答えを絞っていくものだが、人間を対象とする文化人類学が生み出す知恵は、人間の可能性を開いていくべきもの、と述べています。

開かれた歴史観

 このことは『万物の黎明』にも通じます。これまでの人類史の見方は閉じていました。閉じていたからこそ、分かりやすく腑(ふ)に落ちるものでした。『 銃・病原菌・鉄(上)(下) 』(倉骨彰訳/草思社文庫)のジャレド・ダイアモンドや、『 サピエンス全史(上)(下) 文明の構造と人類の幸福 』(柴田裕之訳/河出文庫)のユヴァル・ノア・ハラリもしかりです。

「文化人類学者自身も開かれた態度を取って、社会に貢献していくべきです」と話す大川内直子さん
「文化人類学者自身も開かれた態度を取って、社会に貢献していくべきです」と話す大川内直子さん
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 これに対し、『万物の黎明』は固定化した知識というブラックボックスを開き、読者を混乱させようとします。例えば、氷河期だった頃の人間社会は、「牧歌的で平等な社会」か「ヒエラルキー社会」の二択で考えられてきました。本書はさまざまな考古学的、文化人類学的証拠を基に、そんな単純なものではないと喝破します。歴史とはもっと多様なものである、それを想像できない私たちこそ思考の貧困に陥っていると、アイロニカルに指摘しながら、歴史観を塗り替えようとします。

 本書は主張の斬新さに加え、アメリカやユーラシア大陸などの考古学、文化人類学の驚くような事例がたくさん出てきます。グレーバーというと『 負債論 貨幣と暴力の5000年 』(酒井隆史監訳/高祖岩三郎、佐々木夏子訳/以文社)や『 ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論 』(酒井隆史、芳賀達彦、森田和樹訳/岩波書店)が有名ですが、最後にこういう本を書いたというのは感慨深いと思います。

 これまでビッグヒストリーに関する本を読んできたビジネスパーソンの読者に、ぜひ手にしてほしい本です。

取材・文/三浦香代子 取材・構成/桜井保幸(日経BOOKプラス編集) 写真/木村輝