短時間勤務のスタッフがシフト制で回している施設や店舗、働く場所や働き方の多様化が進むオフィスなど、「全員」が集まる機会のない職場が増えています。職場の飲み会が自由参加になったなどで、「一体感が失われた」と感じる人もいるのでは? こうした状況で、帰属意識をしっかり培い、働きがいを醸成するにはどうしたらいいのでしょうか。法政大学の梅崎教授と考えます。
短時間勤務スタッフの「帰属意識」はどこから生まれるか
スーパーマーケットにおいて短時間シフト制で働く女性店員の仕事と生活について、インタビュー調査を行ったことがある※1。
短時間勤務とはいえ、勤続年数の長い人も多く、彼女たちは職場の中核を支える実力者である。職場における業務の進め方や家庭生活との両立について、できるだけ突っ込んだ質問をした。家族内の性別役割分業と店舗での働き方は密接に結びついており、その関係性を一つひとつほどくように質問したのである。
調査の途中、私は店舗内会議を見学させてもらえないかとお願いした。複雑なシフト職場について理解するには、インタビューだけでは限界があり、実際の会議の場を観察することが突破口になるのではないかと考えたからだ。
実際に会議を見学してみると、これまで調査をしてきたホワイトカラー職場のリーダー像とはまったく異なる光景が広がっていた。短時間勤務制のため、全従業員が一堂に会することはできず、会議は1日に複数回、例えば午前シフト向け、午後シフト向けといった形で行われていたのだ。
印象的だったのは店長の語り口である。業務連絡をしつつも、まるで漫談家のように(風貌は綾小路きみまろさんに似ていた)、目の前の部下にあれこれツッコミを入れつつ、同時に「ここにはいない」店員のエピソードを挟んでくる。さらに店長の話は、別店舗へ異動した若手社員と久しぶりに再会した際のエピソードが続いていく。
しばらく観察しているうちに、私はこの「雑談」にこそ重要な意味があることに気づいた。店長はシフト間の情報共有をしていたのだ。そう、店長は、職場コミュニティの分断をつなぎ直す「語りのメディア」だったのである。
※1 佐藤博樹編『ダイバーシティ経営と人材マネジメント 生協にみるワーク・ライフ・バランスと理念の共有』(勁草書房、2020年)
「同じ思い出を一緒に思い出せる」という仲間の証(あかし)
どのようなコミュニティも、それが成立するためには、メンバーとメンバー以外の境界が不可欠である。多くの人事担当者は、その境界を雇用契約の範囲と捉えている。
しかしここでは、この境界を「共有される記憶の範囲」と考えてみたい。つまり、メンバーとは記憶を共有している人を指すという考え方だ。
「共有される記憶」を軸に考えると、そこにゆらぎが生まれたとき、我々はコミュニティへの帰属について不安になるということになる。
例えば、のりつけ雅春先生による『アフロ田中シリーズ』にこんなエピソードがある。このマンガは、アフロヘアの田中広を主人公とした大長編ギャグマンガである。
ちょうど全10巻ごとにタイトルを変えていく。『高校アフロ田中』→『中退アフロ田中』→『上京アフロ田中』→『さすらいアフロ田中』→『しあわせアフロ田中』→『結婚アフロ田中』→『マイホームアフロ田中』(連載中)だ。高校生だった田中も結婚し、子供も生まれて家を買うというのか……読者としては感慨深い。
さて、話を戻すと、『上京アフロ田中』には、地元のイケていない男友達と別れて上京した田中が3カ月ぶりに地元(埼玉)に帰り、飲み会をした話がある。地元に住み続ける仲間たちは、新しい仲間(1人)も増えて、いつものノリで盛り上がる一方、田中は、たった3カ月でもうその文脈が理解できなくなっている。その田中の心の焦りに、思わず笑ってしまうのだ。
そもそも他人の飲み会の笑い話なんて、芸人でもなければ面白くないのだ。○○が失敗したから、△△が叫んだから、という文脈が分かるから面白いのであって、誰だか分からない人の行動を聞いてもつまらないのだ。
記憶は、常に想起されることによって人びとをつなげている。そして、記憶を共有できない人は孤立してしまう。だからこそ、やり手の店長は、1人の取りこぼしもないように記憶を共有させ続けていたのである。
コミュニティの核としての「みんなの記憶を預かる場所」
もちろん、この連載でも何度も触れてきたように、職場において働く場所と時間の分散はどんどん加速している。それ故に、記憶の共有は難しくなり、我々はどこまでが本当のメンバーなのか、徐々に分からなくなってきている。
例えば、部署のメンバーで1年間に4回の懇親の場を企画したとする。それらの記憶を完全に共有できるのは、4回すべてに参加した人である。
むろん、宴会好きのおじさんやおばさんはどこにでもいる。それ自体はよいのだが、飲み会の常連さんはどこでも共有された記憶でいつも盛り上がる。そして、「近頃の若者は飲み会に来ないんだよなー」とぼやいたりしている。こんな意味不明な会話ばかりの場所にいたいと思う若者はいないだろう。
では、どうすればよいのか。
まず、最低限やるべきことは、宴会を同じ店にすることだ。毎回お店を変えるような宴会好き幹事の過剰サービスは不要なのだ。同じお店で名物料理を食べれば、4回参加の人も1回参加の人も「同じ体験」(=同じ記憶のようなもの)を共有したことになるのだ(さすがに0回では無理であるが)。「あれはおいしいよねー」と一緒に盛り上がればよいのだ。
お酒のボトルを入れておくという行為も、想起のモニュメントづくりだ。以下の写真は、大学近くのそば屋(翁庵)に入っている梅崎ゼミのそば焼酎ボトルである(飲めない学生には名物料理、かつそばがお薦めだ)※2。毎回参加のゼミ生も、1回だけ参加のゼミ生も「みんなゼミ仲間」だ。

「完全に同期される共有記憶」を目指すのではなく、「非同期の疑似的な共有記憶」を増やすことで、「我々」を拡張できるのだ。
※2 翁庵の名物「かつそば」については、神吉拓郎『たべもの芳名録』(ちくま文庫、2017年)が詳しい。神吉によれば、温も冷もあるかつそばではあるが、「くれぐれも申し上げますが、カツソバは、“冷やし”に限ります。(p.167)」だそうだ。ゼミ内で議論が必要である。
文化とは、みんなの記憶を運ぶ舟である
記憶を共有し、思い出すサイクルを「想起のマネジメント」と呼ぼう。しかし、その職場がもっと大きくなれば、どうなるのか。大企業では、想起への小まめなサポートが難しくなる。
創業からの企業史を調べていると、経営者への過度な神格化は創業期には存在せず、急激な規模拡大が一段落した成熟期に生まれる。創業者の理念哲学を1つの社是としてまとめたりすることは、職場コミュニケーションによる記憶の共有ではなく、文書やモニュメントによって一挙に共有し、時間による風化を防ごうとする試みに他ならない。
このような記憶を巡る試みは、ドイツのエジプト学者ヤン・アスマン(Jan Assmann)が提唱した「コミュニケーション的記憶」と「文化的記憶」の概念にそれぞれ対応する※3。
前者は、日常的なコミュニケーションを通じて共有される記憶である。ただし、この記憶の共有は、世代を越えることが困難だ。両親との記憶共有、祖父母との記憶共有はあり得ても、祖父母の両親や祖父母に対しては日常的なコミュニケーションがほぼ存在しないので、記憶の受け取り手を失っていくのだ。
このような限界を超えるのが、後者の文化的記憶だ。儀式、記念碑、聖典、祝祭、文芸という文化によって個々の具体性は曖昧になるが、文化の形で世代を越えて継承される。例えば、『古事記』は非現実的な物語であるが、物語の形で古代日本人たちの精神(記憶)を運んでいるとも言える。
ただし、文化的記憶は危険性も内包している。歴史を見ればそれは明らかだ。文化という便利な言葉を使って、無理やり1つの「つくられた記憶」を押し付けるという排他的なコミュニティがつくられてきた。かつてのナチスドイツも文化を都合よく使っていたのである。
※3 ヤン・アスマン著、安川晴基訳『文化的記憶 古代地中海諸文化における書字、想起、政治的アイデンティティ』(福村出版、2024年)。
異なるものを持ち寄って共同性を生み出す「分有」の可能性
ところで 前回 、企業組織における個人内多様性の重要性を、「複数性」という言葉を使って説明した。単数性に向かう共有は確かに共同性を生み出すが、組織にとって大事な複数性を失わせる。
コミュニティや組織の一体感を生み出すのは「共有された記憶」という共同性かもしれないが、それらの集団としての活力を生み出すのは、異なる価値観が集まってくる複数性なのだ。
理想を考えれば、コミュニティの一体感を維持しつつ、同時に「共有」ではない「分有」を目指すべきだ。もちろん、ただのバラバラな個人的な記憶ではない。
この記憶の「分有」については、「対人交流的記憶」と訳されるトランザクティブ・メモリー(Transactive memory)という心理学の概念が役立つ※4。同じ知識を記憶すること(全員で共有)は、非効率なだけではなく、組織と個人から複数性を奪う。一方、対人交流的記憶は、コミュニティ内で「誰が何を知っているか(Who knows what)」というネットワークを張り巡らせた結果として生まれる。
ネットワーク的な記憶を組織やコミュニティの中に構築することによって、その集団が巨大な頭脳のように機能し始めるのだ。その時、集団はもちろん、個人の中にも複数性が生まれるのである。
※4 アメリカの社会心理学者であるダニエル・ウェグナー(Daniel M. Wegner)が提唱した。
◆今日のひと言◆
メンバーシップのために、いつもの店でいつもの記憶をつくってみる。

