職場のコミュニケーションや人間関係に悩む人は多くいます。しかし、まったく摩擦も衝突も起こらない、スムーズで快適な職場にこそ、実は注意が必要だと指摘するのが、法政大学の梅崎修教授です。組織の文化育成や成長、さらにいえば働く人の人材としての価値の上昇という観点で見ると、実は摩擦や衝突は不可欠だというのです。それはどういうことでしょうか。真の意味で「快適に働く」ための、コミュニケーションを考えます。

あるトヨタの営業担当の話

 今から20年くらい前に元トヨタ自動車販売に勤めていた方のインタビューをしたことがある。全8時間、仕事史をじっくりと語っていただく、口述の歴史研究(オーラルヒストリー)だ※1。その中で私の記憶に残る印象的なエピソードと出合った。

 トヨタは、1950年に大きな経営危機を迎えており、経営の立て直しのために製造と販売を分離する「工販分離」が実行された。それで、販売のトヨタ自動車販売(以下、自販)と製造のトヨタ自動車工業(以下、自工)に分かれた。自販の初代社長は、「販売の神様」と呼ばれた神谷正太郎だ。その後、1982年に自工と自販は合併し、現在のトヨタ自動車に続く。

 仕事経験の語りを聞いて驚いたのは、自工と自販の組織文化の違いだった。職場での鉛筆の削り方について、次のように語られた。
 ものづくりの自工は、鉛筆も最後まで使えとうるさく言われた。2、3本ずつ配給される鉛筆は、手動の鉛筆削りとキャップを使ってギリギリまで使う。一方、自販は、消しゴムが付いたたくさんの鉛筆がタバコの缶に挿してあった。自由に使って、丸くなれば、電動の鉛筆削りでまとめて削るのが効率的というわけだ。

 これは一例であるが、もともと同じ会社であっても、また、その後同じ会社になったとしてもまったく違う文化なのだ。

※1 宇田川勝・四宮正親編『巻島英雄オーラルヒストリー』(法政大学イノベーション・マネジメント研究センター ワーキングペーパーシリーズNo.15, 2006年)

一つの組織の中の「複数の文化」

 組織行動論の代表的教科書によれば※2、「組織文化とはその構成員が共有する意味のシステムで、これによってその組織が他の組織から区別される。共有される意味システムをもっと詳しく見ると、それは組織が価値ありと考える一連の主要な特性(p.373)」である。要するに、何に価値があるかを決める組織内メンバーの共通の見方だ。

 実は、この組織文化は、大規模組織においては優位な文化がある一方で、多くのサブカルチャーが存在する。先ほど紹介したエピソードは「工販分離」によって際立った営業文化と製造文化というサブカルチャーである。

 このような違い、つまり、組織文化の複数性(plurality)は、対立を生むのであろうが、議論も生むので組織全体にとって悪いことばかりではない。見方を変えれば、組織文化の共有が進めばメンバーの思考が同質になってしまい、前例主義が蔓延(はびこ)り、新しい発想が生まれないという危険がある。

 もちろん、単なるバラバラではダメなのだが、さまざまな文化の摩擦こそが新しい発想を生み出すのだ。

※2 スティーブン P.ロビンス著、髙木晴夫訳『【新版】組織行動のマネジメント 入門から実践へ』(ダイヤモンド社、2009年)

「市民」や「公共」という言葉がどこか他人事な理由

 なぜ、このような組織文化の複数性の語りを紹介したのか。 前回 に追加で言いたいことがあるからだ。

 前回私は、親密な仲間が集まる「スナック的空間」、匿名者が自由に集まる「ストリート的空間」、さらに討議に参加する市民が集う「アゴラ的空間」の3つのコミュニケーション空間を紹介し、アゴラ的空間の縮小を危惧しながら、共創的な公共という理想を諦めるべきではないと書いた。

 ただ、そのとき、アゴラ的空間だけを理想化しすぎたかもしれない。私は「公共的空間を立ち上げて内輪のスナックも、匿名で盛り上がるストリートも排除しよう」と呼びかけたいわけではない。

 たまたま一つの空間が縮小しているので応援したいだけであって、本当に求めるべきなのは複数の空間の共存であり、もしくはその空間の間の移動なのだ。「市民」や「公共」という言葉には、どうしても教育や啓蒙の色が強くなってしまう。

複数の空間を共有し移動することの価値

 公共哲学を研究している朱喜哲氏は、リチャード・ローティを取り上げた著書において※3、この「複数の空間」を共有したり、相互に移動したりできる価値を考察している。朱氏によれば、ローティは、バザールとクラブというメタファーを使って公共空間と私的空間を説明する。

 察しのよい読者ならば、私がこのメタファーを参考にして日本人にもイメージしやすいように、スナック、ストリート、アゴラというコミュニケーション空間の3分類を作ったことが分かるだろう。このメタファーの優れている点について、朱氏は「公共空間としての『バザール』の“しんどさ”、そして私的空間としての『クラブ』の“危うさ”が、ともに描き出されていることだろう(p.4)」と説明する。

 正しさについて議論する公的な空間は、安全かもしれないが、本音を常に隠すような息苦しさがある。その一方で、仲間内の盛り上がりは本音の集合が極端な偏見を生み出す危険性があるというのだ。

 このような対比は、コンプライアンスとクリエティビティが同時に重視される企業組織のジレンマに対応している。「内輪のり」は、自由はあるはずだが、いつ公開されるか分からなくなれば、公的に批判される可能性がある。それゆえその空間では、良い意味での自由も失われ、共創にはつながらない。

※3 朱喜哲『バザールとクラブ』(よはく舎、2023年)

「組織内の激しい文化摩擦」を恐れるな

 別の会社で私が聞いた、製販会議(製造販売調整会議)の激しい議論についての語りも紹介しよう※4

 販売部門は、競合他社を意識して、できるだけ短い納期、低い価格で仕事を受けようとする。もちろん、利益は意識するが、受注という達成目標が強く意識される。つまり、受注が成功するか、しないかという競合他社とのゼロサムゲームなのだ。一方、製造部門は、品質重視で丁寧に製品をつくりたい。

 当然、会社内のケンカになったという。怒られたり怒ったり、謝られたり謝ったり、両親分(営業部長と工場長)で手打ちをしたりすることもあった。こんな組織内摩擦を繰り返していたが、ケンカを避けようという話は一切聞かなかったという。

 このような組織内複数性の摩擦が生み出したのは個人の中の複数性だ。営業はケンカしつつ製造の文化を学び、製造もまた営業文化を学んでいた。

 ただ単に組織内に複数の空間(と文化)があっても、それらが摩擦もなしに住み分けているのではダメなのだ。コミュニケーションの摩擦を生み出すことは組織にとっては痛みを伴うことではあるが、それこそが個人の中に複数性を生み出す。

 コミュニケーションの空間の間での共有と移動、そして摩擦が生まれる価値は、前回示した一覧表(※連載第14回参照)よりも以下のようなベン図のほうが適している。それぞれの空間は、単独では成立せず、コミュニケーションの摩擦を生み出しながら共立すべきなのだ。

図 どれを選ぶかよりも、共有と移動、そして摩擦が重要
(図制作=キャップス)
(図制作=キャップス)
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※4 梅崎修「エゴ・ドキュメントから読み解く京セラにおける組織文化の複数性」、『稲盛和夫研究』第5号(刊行予定)

そうして生まれた「わたしの中の多様性」こそが知的資本

 ところで、これまで私は、複数性という公共哲学の言葉を使ってきたが※5、人事の言葉ではダイバーシティ(diversity)と言ってもよい。

 要するに私が言いたいことは「ダイバーシティ」という言葉でも伝わるのであるが、この言葉は性別の多様性などの人事施策の組織的目標(組織内の複数性)として使われすぎているので、少し意味をずらしたいのだ。

 本当に重要なダイバーシティとは、組織の複数性が個人の複数性を生み出すか否かであり、経営学では、「イントラパーソナル・ダイバーシティ(Intrapersonal Diversity)=個人内多様性」と定義され、その効果の研究がある。研究を読むまでもない。このような個人内多様性が高い人材が創造的な人材であることは、職業人ならば疑いようがない事実だ。

 我々が、組織内の摩擦のない快適なコミュニケーションという分断によって失っているのは、個々人の中に育つべきだった多様性=複数性であったのだ。

※5 複数性は、ハンナ・アレントのキー概念である。ハンナ・アレント著、牧野雅彦訳『人間の条件』(講談社学術文庫、2023年)

◆今日のひと言◆
コミュニケーションの快適さだけを求めると、成長を失う。

(イラスト:PureSolution/stock.adobe.com)
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