メール・チャット・電話・オンライン会議・対面…うまく使い分けられていますか? コミュニケーションツールが増え、働く環境が便利になった一方、数ある選択肢から「選ばせられる」機会が増えています。さらに、かつては「同僚と机を並べているのが当たり前」だった職場でも、「出社するか、リモートで働くか」「フリーアドレス制の会社のどこで働くか」などをある程度個人に委ねる(=個人で選ばなければならない)ケースも増えています。なかには、便利なツールを使いこなせていなかったり、快適な働き方をできていなかったりする人もいるのではないでしょうか。今回のテーマは「無限と有限のあいだ」。有限のリソースを持つ個人と、無限かのように増えていく選択肢とのあいだで「快適に働き、つながる」方法について考えます。
騒がしすぎる職場とたった一つの頭脳
さて、何をどこまで決める会議であったのかと思い出そうとしつつ、携帯電話を取り上げる。いくつかのメールアドレス、いくつかのSNS、社内グループウエアの中をあれこれ探して、「あ、そうだ、これは対面で会ったときに約束したんだ」と気づくまでに時間がかかってしまった。
こんな経験をしている人は多いのではないでしょうか。チャットでどんどん連絡する人もいれば、メールしか使わない人もいる。一方的に電話ばかりという、かなり迷惑な人もいる。選択できる範囲は広がり、自分が自由なのはうれしいが、同じような自由な相手の行動に合わせるのは草臥(くたび)れる。
大変自分勝手な言い方ではあるが……。
確かにITの発展は、多くの便利さをもたらした。技術はコミュニケーションのチャネルを増やしてくれたのだが、人の脳は、これまで通りなのである。人間には、縄文時代から大して変わらない同じ性能の身体が一つあるだけである。
このような認知能力の限界があるがゆえに、人間は合理的であろうとしても、その合理性には限界があるという現実は、ハーバート・サイモン(Herbert A. Simon)によって「限定合理性(bounded rationality)」と名付けられている。
選択の幅はどんどん無限に近づいているのに(≒∞)、一人の認知能力と与えられた時間は有限なのである。
このような限界を事実で確認しよう。仮想オフィス(バーチャルオフィス)サービスを手がけている
oViceが実施した調査によると、大企業の情報システム・総務部門に所属し、社内のオンラインツールの管理に携わっている会社員の約9割が「社内でオンラインツールを複数利用」と回答しながらも、8割以上がそれらの運用に悩んだ経験があった。さらに、それら全てを使いこなせている従業員の割合は、30%という回答が最多であった。さらに、約7割の人が「コミュニケーションが複数のツールに分散し、情報が一元化できていないこと」に課題感を持っていた。
要するに、まったく使いこなせていないのだ。
分散する職場と「いつでも接続」という日常
この職場コミュニケーションの騒がしさは、チャネルの急激な増加という単なる数だけの問題ではない。ネットがあるということは、いつでもつながっていることを意味する。そして、つながり続けているが、同時に人々は分散している。
まず、「四六時中連絡がつくことになったので、勤務時間外でも気が抜けない」という「強制された接続」に負担を感じることもある。勤務時間外に仕事上のメールや電話への対応を拒否する権利として、「つながらない権利」も主張されている。
しかし、その一方で「席を外していたタイミングで口頭の伝達があり、自分だけ聞き逃した」という予測不可能な切断に戸惑うこともある。
自分で書いていて、あまりにも自己中心的な意見だと思うのだが、こちらのタイミングでつながりたいときにつながり、つながりたくないときには切断したいのだ。むろん、みんなが同じような本音を持ってわがままに行動すれば、職場コミュニケーションもチームワークも大混乱になる。
理論社会学者の鈴木謙介氏は、『ウェブ社会のゆくえ <多孔化>した現実のなかで』(NHKブックス、2013年)の中で、「空間的現実の多孔化」という言葉で、この現状を的確につかまえている。
鈴木氏は、かつて物理的空間は特権性を持っていたと言う。この特権性とは、目の前で同じ空間を共有している人同士は、親しい関係であるという前提を意味する。つまり、「近接していれば親密である」という関係がどんどん崩れて、空間に穴が開いているというのだ。
例えば、職場の懇親を目的とした飲み会、みんなで乾杯をした後、30分も過ぎると、あちこちで携帯を触り、SNSでこの場所にいない誰かとチャットをしている人が顕(あらわ)れる。「なんのための飲み会なのだ」と、懇親会の幹事ならば思うに違いない。このような多孔化は、職場においてコロナ禍以降に加速した。対面会議が基本であれば、携帯を触らないことは一つのマナーであった。しかし、オンライン会議中、我々は別の関係に接続し放題である。
鈴木氏は、「ひとつしかない物理空間に、複数の意味が流入してくるようになると、当然のことながらその空間をどのように意味付ければいいのかという点についてのポリティクスが発生する」と説明する。職場の騒がしさとは、あれこれと様々な人間関係、役割期待という意味が一つの空間に流れ込み、そこで様々な摩擦が生まれることを意味する。その騒がしさの中で、情報の歪(ゆが)み、誤解、偏りが頻発していることは言うまでもない。先ほど、認知能力や時間の有限性について述べたが、空間もまた有限なのである。
我々現代ビジネスパーソンは、このような無限性と有限性の板挟みになって苦しんでいるのだ。
なぜ私たちは、ミニマリストに憧れてしまうのか
このような板挟みへの対処は、2つのコミュニケーションの戦略に極化する。つまり、コミュニケーションのチャネル数の最大化と最小化というコミュニケーション戦略である。
チャネルの最小化の戦略のほうが分かりやすい。SNSは使わず、毎日出社して対面を大切にする。このようなSNS離れは、先述した接続の無限性を自分で扱える有限性まで縮小しようとする動機に基づく。
ミニマリストという言葉をよく聞くが、身の回りのものを断捨離して、自分にとって本当に必要なものだけを残すという戦略は、生活の中で選択するものを少なくすることで、「選ぶ」という能動性を取り戻し、心地よい生活のしなやかさを生み出すことを目的としている。
このミニマリストの極小化戦略は、騒がしいこの社会の中ではとても魅力的だ。その魅力は、多くの人に伝わっている。
例えば、ヴィム・ヴェンダース監督の映画、『PERFECT DAYS』は、東京のトイレの清掃作業員、平山さんの日常を描く。彼の日常は、掃除の仕事だけでなく、趣味の音楽も、読書も、写真も、銭湯も、飲みも、彼によって厳選されたものの繰り返しになっている。
映画の中で平山さんは多くを語らないが、ルーティン化がもたらしてくれるものは、家出をしてきた姪(めい)っ子さんに投げかける「今度は今度、今は今」という言葉によくあらわれている。心地よい生活のしなやかさとは、「いま、ここにある」という感覚と共に生きるという平山さんのような生き方なのだろう。うらやましい。
ビジネスパーソンにとっての現実的な着地点は?
しかし……である。未来の利益を探し続けるビジネスの現場では、このような最小化戦略はとりにくいと言える。人的ネットワークを拡大させ、ビジネスの機会を目ざとく、素早くつかみ取らねばならないのだから。「あの話をあのときに聞いておけば」と思わないためにも、どうしてもチャネルの数は増やさざるを得ないのである。
それゆえに我々には、自分の認知能力の限界を圧倒的に向上させたいという動機もまた存在する。この能力向上に向けた弛(たゆ)まぬ努力については、この連載でも取り上げてみたいのであるが、私はそんな努力には限界があると考えている。我々が目指すべきは、極大化と極小化のあいだなのである。
選択環境を極小化するでもなく、選択能力の極大化を目指すのでもなく、選択環境と選択能力の相互作用を踏まえて、しなやかなコミュニケーションの場を作り出すこと、それこそが職場コミュニケーションを整えるというメッセージの意味だ。
この連載では、様々な事例と思想を紹介しながら、この目標への考察を深めたいと考えている。
◇きょうの一言◇
極大化と極小化のあいだの「職場のコンフォートゾーン」を探せ。
