組織で働く人にとって、「自分はこの場所でどう生きるか」「どううまく振る舞えばいいのか」は、年齢や立場を問わず共通するテーマでしょう。現代社会では特に、成果や効率、強さや正しさが求められる一方で、人間らしさや弱さ、他者への共感は置き去りにされがちです。

 「組織で生きる」ことの難易度が高まる今、自分を見失わず、他者とどう関わり、どう自分の価値を見いだしていけばいいのか。今回は、そのヒントをくれる本を選びました。

 理不尽な思いをしたとき、ブルシットジョブに嫌気が差したとき、自分のキャリアが見えなくなったとき、あるいは組織の人間関係に悩まされたとき──。そんなときこそ立ち止まり、考えるきっかけをくれる5冊です。

 現代の組織論にとどまらず、古典や詩人の言葉も交えながら、多面的に「組織で生きる」ということを考えてみたいと思います。

「不正とは無縁ではない」自分に気づく

1. 『マクベス』 シェイクスピア著、福田恆存訳、新潮文庫

『マクベス』 シェイクスピア著、福田恆存訳、新潮文庫/画像クリックでAmazonページへ
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 シェイクスピア四大悲劇のひとつである『マクベス』。将軍マクベスが、預言者や妻にそそのかされて王を暗殺し、やがて疑心暗鬼に陥って破滅していくという物語です。学生時代に読んだことがあるという人も多いかもしれませんが、僕がこの作品を読み返して感じたのは、「組織のダークサイドや不正」を描いた現代社会にも通じるリアルな側面です。

 組織の中で不正が起きる背景には、「不正のトライアングル」と呼ばれる理論があります。これは、〈やったほうが得になる〉という「動機」、〈やろうと思えばできてしまう〉という「機会」、そして〈やる理由を自分の中で正当化してしまう〉という「正当化」の、3つの要素で構成されています。この3つがそろったときに、不正は起こりやすくなると考えられています。

 マクベスの場合、まず「王になりたい」という強い野心が「動機」として存在しています。そんな中、「王が兵を従えず、自分の家に無防備に泊まりにくる」という絶好の「機会」が偶然訪れます。そして、「私が王になれば国は良くなる」と自分に言い聞かせることで、「正当化」も成立してしまう。こうして「不正のトライアングル」の3つがそろったことで、マクベスはついに一線を越え、破滅の道をたどることになるのです。

 中でも注視したいのは、「機会」が生まれると人は簡単に暴走してしまうという点です。この構造は、僕らが生きる現実にも通じるものがあります。例えば、目の前に大金が置かれていて、しかも誰にも見られていないとしたら。どんな人でも一瞬は、「もし手を出してしまったら…」と思うかもしれません。

 だからこそ大切なのは、「自分だけは大丈夫と思わないこと」にある。「俺はあいつとは違う」なんて聖人君子を気取らず、不正が成立するような「機会」を意図的に潰しておく。それが、組織を守るマネジメントの肝であり、自分を守るセルフマネジメントの要でもあるのです。

 これは、経営層や管理職に限らず、どんな立場の人にも当てはまる話です。たとえ悪意がなかったとしても、仕組みや状況次第で、人は意外と簡単に一線を越えてしまう。その暴走を防ぐには、「自分にも不正をしてしまう可能性がある」という前提に立つことから始めるしかありません。

 そうした人間の弱さやもろさに焦点を当てて組織を見つめるとき、『マクベス』は単なる古典劇ではなくなる。現代で働く僕たちに警鐘を鳴らし、組織の中で生きるための重要な気づきを与えてくれる一冊になるのです。

弱さを「正しく語り合える」組織が強い

2. 『強いビジネスパーソンを目指して鬱になった僕の 弱さ考』 井上慎平著、ダイヤモンド社

『強いビジネスパーソンを目指して鬱になった僕の 弱さ考』 井上慎平著、ダイヤモンド社/画像クリックでAmazonページへ
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 著者の井上慎平さんは、NewsPicksパブリッシングの創刊編集長として活躍していた方です。まさにバリバリのビジネスパーソンだった彼は、スタートアップの現場で「強くなければ生き残れない」と、自分を無理に奮い立たせて働き続けた末に、うつ病を発症してしまいます。そんな挫折の経験を基に、「弱さ」と向き合うことの意味を静かに見つめ直したのが、この『弱さ考』です。

 先ほど紹介した『マクベス』でも分かるように、人間は案外弱くて、不純な動機を持ったりする生き物です。“そういうものである”という前提で、組織設計や人生設計をしなければいけない。にもかかわらず、ビジネスの現場では今なお「弱さ」はネガティブなものとして扱われがちです。不安や迷いを口にすれば、「そんなことを言ってはいけない」と制されてしまう。

 これは、COTEN創業者であり、僕の友人でもある深井龍之介さんの言葉ですが、「本当に強い組織というのは、感情を〈感情抜きの話法〉で語れる組織だ」と――。

 例えば、「今、不安を感じている」と伝えるとき、その不安を相手にぶつけるのではなく、「不安を感じている自分がここにいる」と、メタ的に語れる関係性。それがあるだけで、組織はずいぶん風通しが良くなる。怒りや悲しみ、戸惑いといった感情を、感情的にならずに理性的な言葉で共有することができれば、それは結果的に創造性やイノベーションの源にもなり得る。

 井上さんの『弱さ考』には、「弱さは欠陥ではなく、組織の伸びしろだ」というメッセージが貫かれています。不安や悲しみや怒りは、隠さなければならないものではない。感情を、感情的にならずに正しく語ることが大切なのです。

 人間はAIでもロボットでもありません。組織の中にあっても、人間は“動物”です。だからこそ不安も抱えるし、迷いもする。時には立ち止まることだってある。そうした“人間臭さ”を組織が正しく共有できたとき、初めてその集団は強くなる。そんな逆説的だけれど真っ当なことを、この本は真っすぐに語ってくれます。

「他者の靴を履く」とは、所属を超えること

3. 『他者の靴を履く』 ブレイディみかこ著、文春文庫

『他者の靴を履く』 ブレイディみかこ著、文春文庫/画像クリックでAmazonページへ
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 「他者の靴を履く」——これは英語の慣用句で、相手の立場になって考えることを意味します。でもこの本で語られているのは、単なる思いやりや想像力のことではありません。もっと深くて根本的な、「共感(エンパシー)」のあり方を問い直す一冊です。

 サブタイトルにもなっていて、著者のブレイディみかこさんがこの本で取り上げているのは、「アナーキック・エンパシー」という、少し不思議な言葉です。これは、立場や肩書といった“所属”をいったん脱ぎ捨てたときに初めて成立する、知的で深い共感のことを指します。

 ブレイディさんが着目した、金子文子のエピソードはとても印象的です。金子は大正時代の社会運動家であり、無政府主義者でした。どこにも帰属意識を持たずに生きていた彼女が監獄に収監されたときのこと。自分を監視する看守が食べていた“めざし”の匂いから、その看守の生活の貧しさを感じ取り、思わず同情してしまったといいます。この瞬間、彼女は“看守と囚人”という敵対関係を超えて、一人の人間として相手とつながったのだと思います。

 これこそが、「アナーキック」な共感です。敵か味方か、上司か部下か、入社3年目か新人か。そうした所属のラベルを外し、ただの一人の人間として相手を見る。それができたときにこそ、本当の意味で「他者の靴を履く」、つまり相手の立場になって考えることができるのではないか、とブレイディさんは考察しています。

 でもこれは、実際にはとても難しいことです。例えば、仕事がうまくいかない部下に対して「もう3年目なんだからできて当然だろう」と思ってしまうとき、それは年次や肩書にとらわれている状態です。ブレイディさんが説く「アナーキック・エンパシー」は、そうした見方を手放し、「この人にはこの人なりの世界があるのかもしれない」と、真っさらな視点で相手を見つめ直すことを促してくれます。

 組織の中で働いていると、気づかぬうちに“所属”が思考を妨げてしまうことがあります。マネジメント層でいえば、「部長としてこうあるべき」「上司なんだから弱さを見せてはいけない」といった「べき論」にとらわれることで、部下や他者の声が届かなくなってしまう。でも、本当に他者の声に耳を澄ませるためには、「組織の肩書や役割を一度脇に置いてみる」ことが必要なのだと、この本は教えてくれます。

「落としどころ探し」は何も生み出さない

4. 『編集宣言』 松岡正剛著、工作舎

『編集宣言』 松岡正剛著、工作舎/画像クリックでAmazonページへ
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 本書は、2024年に亡くなられた松岡正剛さんの、ある種の“遺言”のような一冊です。この本で松岡さんは、「編集者とは何をする人か?」という問いに対して、「エディトリアル」という新しい概念を提示しました。

 松岡さんが語る「エディトリアル」とは何か。それは、単に人と人の間に立って調整したり、落としどころを探ったりすることではありません。そうした行為は、むしろ“編集芸”と呼ぶべき。そうではなく、「エディトリアル」とは、まったく異なる価値観や言語体系を持つ両者の“間”に立ち、最大限のエンパシーと知的想像力を働かせて、新たな価値を生み出すこと。これこそが、「エディトリアルワーク」の本質なのだと本書は説いています。

 これは、編集者だけに向けられたメッセージではありません。部署間の折衝においても、エディトリアル的な思考は有効です。

 例えば、営業部と制作部では、組織内での立場も見えている風景も使っている言語もまったく異なる。そうした両者の間に立ち、それぞれの視点に寄り添いながら翻訳を超えて創造へとつなげていく。それが、松岡さんの言うエディトリアルです。

 ただし、両端にエンパシーを働かせるほど、「落としどころ探し」に終始してしまう危険もあります。こちらは10がいい、あちらは5がいいと言っているから、7.5くらいで手を打とう…。これでは、松岡さんが言う“創造的につなぐ”行為とはほど遠いのです。少しずつ双方のニーズをくみ取った結果、誰にも刺さらないものが作られるだけの“編集芸”になってしまう。

 僕が思うに、エディトリアルとは単なる調整ではなく、共感と想像力を土台にした“創造的な媒介行為”なのだと思います。本来つながらない要素をアクロバティックにつなげていく。

 そんなエディトリアル的創造こそが、組織にも自分の生き方にも変化をもたらすのだと、この本は静かに、けれど力強く語ってくれます。“編集芸”から「エディトリアル」の視点へと切り替えられたとき、組織の風景はがらりと変わるかもしれません。

他者の言葉に答えはない 孤独な「内省」のすすめ

5. 『若き詩人への手紙・若き女性への手紙』 リルケ著、高安国世訳、新潮文庫

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 「僕でも詩人になれますか?」この問いに対して、詩人リルケが返した言葉はとてもシンプルで、本質的でした――。「私には分からない。自分で考えろ」

 本書は、詩人志望の若き青年が、リルケに宛てて送った手紙に対して、リルケが返した10通の返答で構成されています。リルケの言葉は、時に突き放すようにも感じられるかもしれません。でもその根底には、「他人に答えを求めるな」「本当に大切な問いには、孤独な内省でしかたどり着けない」という、静かで厳しい誠実さがあります。

 例えば、こんなふうに書かれています。

 「あなたは外へ眼を向けていらっしゃる、だが何よりも今、あなたのなさってはいけないことがそれなのです。誰もあなたに助言したり手助けしたりすることはできません、誰も。ただ一つの手段があるきりです。自らの内へおはいりなさい。あなたが書かずにいられない根拠を深くさぐってください」

 「もしあなたが書くことを止められたら、死ななければならないかどうか、自分自身に告白してください。何よりもまず、あなたの夜の最もしずかな時刻に、自分自身に尋ねてごらんなさい。私は書かなければならないかと」

 ここで問われているのは、「詩人になれるかどうか」という表面的な問題ではありません。この問いは、組織の中で働く僕たちにも、そのまま響いてきます。

 肩書や評価、上司の言葉、SNSで飛び交う“正解”らしきもの。外側にはいつも多くのノイズがあって、つい自分の内なる声がかき消されそうになる。だから僕らは、会社の仲間と飲みに行ったときに、つい「俺これから何したらいい?」「俺って何が向いていると思う?」なんて聞いてしまう。そしてそういうときに限って、大抵ロクな答えは返ってこない。

 ブレイディさんの「アナーキック・エンパシー」も重ねて考えると、何か大きな選択を前にしたときこそ、所属や他者の期待にとらわれず、「自分の靴を履いているか?」と、誰でもない自分自身に問い直すことが必要なのではないかと思います。

 というのも、組織の中で働いていると、「誰かが用意した靴」を無意識のうちに履いてしまっていることがあるからです。サイズが合わないまま慣れてしまい、「これが普通なんだ」と思い込んでいることもある。

 でも、本当はそうじゃないかもしれない。他人の言葉に、自分がどう生きるかの答えを求めてはいけない。自分の内側を深く見つめ、その問いの答えを、自分自身で見つけるしかない──リルケの言葉は、そう語っているのだと思います。

 孤独な夜に、自分の心の奥深くをじっと見つめてみる。自分が何を欲し、何を諦めずにいたいのか。ノイズの多いこの時代だからこそ、そんな静かな作業を、僕たちは意識的に行っていく必要があるのではないでしょうか。

取材・文/金澤英恵 構成/長野洋子(日経BOOKプラス編集) 編集協力/山崎綾