時代が大きく変わり、これまでの生き方、当たり前とされてきた概念が通用しなくなりつつあります。例えば15年前の自己啓発本を開いてみると、普遍的な部分も確かにありますが、そうじゃない部分、「今の時代にこれは通用しない」と感じる部分のほうが、圧倒的に多いのではないかと思います。多様性やハラスメントの概念に関しては、特にそう実感するはずです。

 そこで今回は、先人たちの教えが無効化されつつある「指針なき時代(いま)」の生き方のヒントとなる7冊を選んでみました。小説、哲学、自己啓発とジャンルもさまざまですが、関連性をひもときながら、順を追って読むことで、より楽しく「これからの生き方」の探索ができるはずです。

「善意が空転する時代」に、わが身を守るものは何か

1. 『利他・ケア・傷の倫理学 「私」を生き直すための哲学』 近内悠太著、晶文社

『利他・ケア・傷の倫理学 「私」を生き直すための哲学』 近内悠太著、晶文社/画像クリックでAmazonページへ
『利他・ケア・傷の倫理学 「私」を生き直すための哲学』 近内悠太著、晶文社/画像クリックでAmazonページへ

 現代の哲学に大きな影響を与えたウィトゲンシュタイン哲学を研究する近内悠太さんが、この『 利他・ケア・傷の倫理学 「私」を生き直すための哲学 』で伝える最大のメッセージは、「多様性の時代は善意が空転する時代である」ということ。なかなかインパクトのあるメッセージですが、実際に僕たちは日ごろから、この「善意の空転」を感じる機会が増えているのではないでしょうか。

 少々乱暴な言い方ですが、ひと昔前は国民にとって足りないものや必要なものが共通していた時代でした。だからこそ、おなかが空いている人には「あんぱんを分け与える」ことが、問答無用の「善」になり得た。しかし、物質的に満たされた今の時代は、あんぱんを渡しても「迷惑です」と拒否されてしまうこともある。よかれと思って他人にしたことが、受け入れられない時代になってきているのです。

 お互いの心は「見えない」ので、すれ違いが起きることは仕方のないことでもありますが、そもそも「心」ってなんだろう? と近内さんはこの本で語りかけます。

 心は普段は見えません。でも、人は「傷ついたとき」に初めて、「心」があることに気づける。さらに、多様性の時代は違う性質を持つ者同士が関わり合おうとするため、「傷つくことが当たり前になってきている」といいます。

 ただ、傷つくことは決して悪いことではなく、人が生きる上では避けては通れない。だからこそ、「ケア」という観点が必要なのだそうです。国が国民をケアする。自分自身をセルフケアする。特に興味深いのは、セルフケアの手法として近内さんが提唱している、「物語る」という行為です。

 自分だけの物語を構築できれば、たとえ善意が空転して他者に受け入れられなくても、「今はこういうストーリー展開なんだ」と好意的に受け止めることもできる。誰もが違う価値観で生きる多様性の社会では、時に自分に都合のいい物語を紡げることが大切なんだと分かる1冊です。

本当の「多様性の蓋」を開ける覚悟はあるか?

2. 『正欲』 朝井リョウ著、新潮社

『正欲』 朝井リョウ著、新潮社/画像クリックでAmazonページへ
『正欲』 朝井リョウ著、新潮社/画像クリックでAmazonページへ

 この『 正欲 』は、多様性の時代に対する、ある種のアンチテーゼとも捉えられる作品だと思います。特に印象深いのが、次のフレーズです。

「多様性、という言葉が生んだものの一つに、おめでたさ、があると感じています」

「想像を絶するほど理解しがたい、直視できないほど嫌悪感を抱き距離を置きたいと感じるものには、しっかり蓋(ふた)をする。そんな人たちがよく使う言葉たちです」

(『正欲』 朝井リョウ著、新潮社より引用)


 これは、「多様性」と言っている時点で、多様性の本質が分かっていない、とカウンターパンチをくらわすような言葉です。

 例えば、特殊な性癖を持った人を許容できるのか? ということもあるでしょう。人間は社会とうまく折り合いをつけながら生きようと頑張っている。だからこそ、多様性の蓋を開けるということは、これまで知らなかった隣人の「ゾッとする側面」に遭遇することにもなる。しかし、社会は「きれいな多様性」しか見ようとしない。多様性を訴えれば訴えるほど、本質から遠ざかっていることに気づきもしません。

 この本が突き付けてくるのは、「あなたは本当のダイバーシティ、多様性に向き合う覚悟はあるのか?」「いわゆる“きれいな多様性”ではない、ゾッとするような多様性の蓋を開けてそれらを直視し、許容できるか?」という、とても難しい問題です。

 僕自身は今も答えが出せずにいます。ただ少なくとも「多様性」という言葉を使おうとするたびに、この本のことが頭に浮かぶようになりました。多様性について真剣に考えたい人こそ、この本を一度は手に取ってほしいと思います。

思考を放棄した「目的合理性の社会」を考える

3. 『コンビニ人間』 村田沙耶香著、文藝春秋

『コンビニ人間』 村田沙耶香著、文藝春秋/画像クリックでAmazonページへ
『コンビニ人間』 村田沙耶香著、文藝春秋/画像クリックでAmazonページへ

 人間の感情が分からない、社会にうまく適応できない――。『 コンビニ人間 』は、学生時代から協働的な行動を取れず、社会から爪はじきにされてきた女性が主人公の物語です。

 主人公が生きられる唯一の居場所は「コンビニ」。コンビニでは人の気持ちが分からなくても、さして問題にはなりません。次にどんな行動を取るべきか、目的と合理的な手段が常に用意されているからです。

 マニュアル通りに生きていればよく、思考も要らず、大きな失敗も起こらない。そんな安心が約束された『コンビニ人間』の世界観は、「多様性」を考えることとは対極にあるといえます。多様性にはマニュアルなどなく、一人ひとりが答えを模索しなければなりません。多様性はむしろ、『コンビニ人間』的な世界観を破壊するものです。

 とはいえ、両極のどちらかに立つ必要はないともいえます。目的に対して合理的なマニュアルを作り、それに沿って生きることで評価される社会がいいとは思えませんし、目的合理性の社会が形成されることで、「いちいち考えるのは面倒だから、もうやめにしない?」と多様性が排除されるのも違う、と思うからです。

 先ほど紹介した『正欲』と、この『コンビニ人間』は、対極の世界観を描く物語です。ですが、この両極の世界観に触れることで、見えてくるものがある。併せて読むことで、答えのない多様性の「正解」について、「中庸」というもう一つの選択肢が浮かび上がってくるのではないかと思うのです。

コスパもタイパも無視した「衝動」が人生を切り開く

4. 『人生のレールを外れる衝動のみつけかた』 谷川嘉浩著 筑摩書房

『人生のレールを外れる衝動のみつけかた』 谷川嘉浩著 筑摩書房/画像クリックでAmazonページへ
『人生のレールを外れる衝動のみつけかた』 谷川嘉浩著 筑摩書房/画像クリックでAmazonページへ

 今の社会には、『コンビニ人間』の世界のような、目的合理性に特化した組織や仕組みが山ほどありますよね。仕事効率化ツールはますます進化して、誰かに何かを伝える場面でも、足を動かしたり、汗をかいたりする必要がないときもある。そして人はますます、非合理的なことをやらなくなっています。

 著者・谷川嘉浩さんは若い哲学者ですが、『コンビニ人間』で描かれるような「合理性に対するアンチテーゼ」として、この『 人生のレールを外れる衝動のみつけかた 』では「自分を解放していこうぜ!」といった熱い思いを伝えています。

 もちろん、仕事における「最適化」はコスト削減にもなるため、善とも捉えられるでしょう。しかし、プライベートまで合理性に侵食されてしまっている人も少なくない。「旅行が趣味です」という人に理由を尋ねてみると、「旅をすると仕事のいいアイデアが浮かぶんです」といった返事がきます。この場合、合理性という階層の下に「趣味」があるわけです。そうした合理性を全て捨て去った上で、「あなたの衝動は何ですか?」と問いかけてくるのが、この本なのです。

 “教養のための○○”といったタイトルの本がよく売れるのは、合理性を求める現代人に刺さるからでしょう。それが「教養のためのアート」だとしても、単に本を売るためのレトリックなのでそんなに目くじらを立てることではないかもしれませんが、「アートを冒涜している」と捉えることもできます。

 合理性がまん延した現代では、「全てが目的のための手段になりつつある」ということを認識すること自体が難しくなっている。だからこそ、合理性やコスパ、人からどう思われるかとは無関係に湧き出てくる、「衝動」を持っている人がこれからの時代を生き抜くのだ、と谷川さんは訴えます。

 ちなみに僕の場合、一生かけても読みきれない本が本棚に並んでいます。1週間に10〜15冊ほど買っているので当然なのですが、今後も電子書籍にするつもりはありません。紙の本を買って読む。これこそが、僕の「衝動」だからです。極めて非合理的な行為だと分かっていますが、自分自身でも止めることができないのです。

今の自分は「自由」ではないのかもしれない

5. 『目的への抵抗』 國分功一郎著、新潮社

『目的への抵抗』 國分功一郎著、新潮社/画像クリックでAmazonページへ
『目的への抵抗』 國分功一郎著、新潮社/画像クリックでAmazonページへ

 谷川さんの『人生のレールを外れる衝動のみつけかた』の延長で読むと面白いのが、哲学者・國分功一郎さんの『 目的への抵抗 』です。この本では、「自由とは何か」について論じているのですが、國分さんによれば、現代人の大概の行動は「自由ではない」という答えになるでしょう。なぜなら自由とは、「目的の外」にあるものだからです。

 こうして僕が「おすすめの本」を語っているのも、自由気ままに語っているように見えて、「目的」の範囲にあるといえます。それは、「日経BOOKプラスの記事をたくさんの人に読んでもらうため」「荒木という人間を知ってもらうため」…そんな目的への「手段」かもしれないから。本当は、「なぜこれをやっているのか自分でもよく分からん」という行為こそが「自由」である、と國分さんはこの本で伝えます。この考え方は、先ほど紹介した『人生のレールを外れる衝動のみつけかた』の「衝動」にも通じる話です。

 人と会うにしても、多くの人は「こういう理由であなたに会いたいです」と、アポイントを取る際に用件を伝えますよね。ただ「会いたい」だけでは、相手を困惑させてしまうからです。でも、友達や家族に関してだけは、そうした用件は必要ありません。

 仕事には何もプラスにはならないような、自分にとっての本当の「自由」な時間こそが人生を豊かにする。國分さんはそう教えてくれるわけですが、合理性がはびこる現代で生きる僕たちは、そうした時間をつくること自体がそもそも「難しい」と感じるかもしれません。しかし、自分は「自由ではない」と自覚することから、目的にのまれない生き方への一歩が始まると思うのです。

世の中の「定説」に自ら問いを立てよ

6. 『ロッキード』 真山仁著、文藝春秋

『ロッキード』 真山仁著、文藝春秋/画像クリックでAmazonページへ
『ロッキード』 真山仁著、文藝春秋/画像クリックでAmazonページへ

 1976年7月、首相だった田中角栄が収賄の容疑で逮捕された、戦後最大の疑獄事件ともいわれる「ロッキード事件」。さまざまな調査がなされ、世の中的には「終わった事件」として扱われる中、小説家の真山仁さんは改めて「疑う」ことから始めました。

 たくさんの“手あか”がついた事件に対して、自らの手足を動かして取材に奔走し、現金の引き渡しがあったとされる場所や時間を調べ、本当に実現できるのかということを検証までした。「そこまでする必要ある?」と舌を巻くほどの、徹底した取材ぶりがこの『 ロッキード 』から伝わってきます。これはもう、真山さんの「衝動」ともいえるのかもしれません。

 ですが、真山さんが立てた仮説を読んでいくと、これまで「定説」といわれてきたことの辻つまが徐々に合わなくなっていくわけです。アメリカの尾を踏み逆鱗(げきりん)に触れた田中角栄がはめられたといった陰謀論的な論調も、決してそうではなかった、ということが見えてくる。

 「世の中の定説を疑う」ことを考える上で、これほど最適な本はありません。今の時代、流れてくる情報をすべてうのみにしていては、僕たちはあっという間にオートメーションのロボットになってしまう。「定説」にも自ら問いを立て、調べ上げ、結論を出す。真山さんがこの本で伝えたいのは、そんな骨太のメッセージとも解釈できるのです。

「Back to Basic」の読書、古典にこそヒントがある

7. 『ビジネスシーンを生き抜くための仏教思考』 松波龍源著、野村高文編集、イースト・プレス

『ビジネスシーンを生き抜くための仏教思考』 松波龍源著、野村高文編集、イースト・プレス/画像クリックでAmazonページへ
『ビジネスシーンを生き抜くための仏教思考』 松波龍源著、野村高文編集、イースト・プレス/画像クリックでAmazonページへ

 今回の選書では、僕なりの解釈を添えつつ、「多様性を探索し、合理性にとらわれず、自ら問いを立て考えよ」というメッセージを得られる本を紹介してきました。しかし、これらの本は決して、「今の時代」だけの特殊性を伝えるものではなく、むしろ人間の普遍的な部分への理解を深めるための作品だと思っています。最後に紹介するこの『 ビジネスシーンを生き抜くための仏教思考 』も同様です。

 不確実な今の時代を「VUCAの時代」と呼ぶようになりましたが、実は仏教の世界では、何千年も前から同じようなことが考えられてきました。仏教では「縁」の話がたくさん出てきますが、「縁」は重なり、つながるもの。詰まるところ、縁とは「予測できない」ものなんだということです。

 先が読めない未来に対して、「今」の行動と「縁」が何かしらの関係性で紡がれていく。いくらテクノロジーが発達しようと社会が変わろうと、「未来の自分を正確に予測できない」というのは、いつの時代も変わりません。

 仏教を通して見ると、昔と比べて多少の誤差があるだけで、決して今が特殊な時代ではないことが分かります。むしろ僕たちは「Back to Basic」の方向に進んでいるのではないか、とも感じる。だとしたら基本に立ち返ると、先人たちが考えていたことに正しい導きがあるかもしれない。この本が教えてくれるのは、「今こそ古典を読むことに有用性がある」という、“灯台下暗し”の気づきでもあります。

取材・文/金澤英恵 編集協力/山崎 綾 構成/長野洋子(日経BOOKプラス編集部)