ビッグテックはグローバル化+民主主義を前提とする環境のもと、国家主権が後退した空間で成長を遂げた。しかし、彼らがアプリストア、クラウド、ID、広告、AIモデルを通じて国家に似た機能的主権を獲得するにつれ、サイバー空間への主権を取り戻そうとする国家権力と必然的に衝突するようになった。本特集では、書籍『 デジタルインフラの地政学 インターネット データセンター AI 急所を握るのは誰か 』(日経BP)から抜粋し、中国型のサイバー主権、欧州型のデジタル主権、米国型の安全保障化したマルチステークホルダーモデル、そしてビッグテックの機能的主権が衝突する構図を明らかにする。第1回は「中国・ロシア・イランのサイバー主権モデル」について。
サイバー空間のトリレンマ:主権、民主主義、グローバル化の衝突
サイバー空間を誰が統治するのかという対立は、すでに四半世紀近く続いている。2003年から2025年の世界情報社会サミット(WSIS)の過程で米国主導のマルチステークホルダーモデルと国家主導のサイバー主権が衝突し、2013年のスノーデン事件がその分裂を決定的にした。
ダニ・ロドリックの「世界経済の政治的トリレンマ」を小宮山功一朗氏がサイバー空間に応用したモデルが、この分裂の構造を説明する。国境なきデータの自由流通を志向するハイパー・グローバリゼーション、プライバシーと表現の自由を守る民主主義、自国の情報空間を管理する国家主権。いずれか2つの価値を得ようとすれば、残る1つは必然的に犠牲となる。
ビッグテックはグローバル化+民主主義を前提とする環境のもと、国家主権が後退した空間で成長を遂げた。しかし、彼らがアプリストア、クラウド、ID、広告、AIモデルを通じて国家に似た機能的主権を獲得するにつれ、サイバー空間への主権を取り戻そうとする国家権力と必然的に衝突するようになった。さらにトランプ政権はビッグテックとの距離を縮め、デジタル規制そのものを地政学の道具へと変えつつある。
同じ「主権」でも、中国が追求するサイバー主権は自国の情報空間、データ、プラットフォームを国家の管理下に置く思想である。情報の流入を制御し、デジタル空間に論理的な国境線を引く。これに対し、欧州が追求するデジタル主権は他国の技術基盤への過度な依存からの自立を目指し、プライバシーやデータ保護を欧州自身のルールで守る能力を意味する。規制と市場を通じて自律性を取り戻すことを目指す。
前者はスプリンターネット(本来は単一であるインターネットが国や地域ごとに分断されること)を推し進め、後者は条件付きの相互接続を模索する。本特集を貫くのは、中国型のサイバー主権、欧州型のデジタル主権、米国型の安全保障化したマルチステークホルダーモデル、そしてビッグテックの機能的主権が衝突する構図である。
地政学者ハルフォード・マッキンダーは、ユーラシア内陸部の中核地域「ハートランド」を制する者が世界を制すると説いた。これに対し地政学者ニコラス・スパイクマンは、決定的に重要なのは内陸ではなく、大陸と海洋が接する周縁部「リムランド」だとした。スパイクマンの理論を応用すれば、サイバー空間にもリムランド(地政学における大陸の周辺部)の相似形が見えてくる。
中国のグレート・ファイアウォール(GFW)に象徴される閉鎖的なネットワーク空間を、「デジタル・ハートランド」、またその空間をサイバー主権で支配し、潜在的、顕在的に活用する能力を「デジタル・ランドパワー」と呼ぶ。一方、米国を中心とする開かれたグローバルインターネット空間を支配し、潜在的、顕在的に活用する能力が「デジタル・シーパワー」である。この2つが衝突する境界領域が、「デジタル・リムランド」だ。
東南アジア、中東、アフリカのデジタルインフラが整備途上の地域では、中国Huawei(ファーウェイ、華為)の基地局にするか、Ericssonの基地局にするのか。あるいは、AWSを使うのかAlibaba Cloudを使うのか。中国電信や中国移動の海底ケーブルを使うのか、西側通信事業者やGoogleの海底ケーブルを使うのかが交錯する。どのインフラを選ぶかが、そのままどの陣営に近づくかを意味する。米欧中の諸国がGDPR、データローカライゼーション規制、経済安全保障政策で目指しているのは、こうしたデジタル・リムランドに自らの勢力圏を確立することだ。
中国のサイバー主権:三法の城壁
前節で論じたトリレンマで、中国が選択したのは「主権+グローバル化-民主主義」である。中国共産党による一元的な国家統治を維持しつつ、経済成長のためにグローバル市場との接続を維持する。この2つを両立させるために切り捨てられたのが、情報の自由と民主主義だ。GFWは、グローバル経済との接続を維持しながら、体制維持に不都合な情報や価値観の流入を抑えるための装置だといえる。なお、同じ権威主義国家でも、ロシアは中国ほどグローバル経済との統合を重視していない。
サイバー主権を追求する国家は、自国の情報空間を他国やグローバルプラットフォームの影響から切り離し、自国の管理下に置こうとする。その代表が中国の「サイバー三法」だ。2017年施行のサイバーセキュリティ法、2021年施行のデータセキュリティ法、同年施行の個人情報保護法(PIPL)の三法が城壁を構成する。
サイバーセキュリティ法は重要情報インフラの運営者に国内データ保存を義務付け、データの流れに物理的な関所を設けた。データセキュリティ法はデータを一般、重要、国家核心の3段階に分類し、上位ほど越境移転のハードルが上がる。問題は「重要データ」の範囲に実務上なお不確実性が残る点だ。何が該当するか不確実なまま、企業は保守的な解釈をとり、データを越境させない選択を強いられる。法の不明確さそのものが企業を萎縮させ、結果として統制の手段になる。
PIPLはGDPRに似た形式を取りつつ、決定的に異なる設計思想を持つ。たとえばPIPLの域外適用条項は、中国国外の事業者であっても、中国国内の個人に商品・サービスを提供する場合や、その行動を分析する場合には適用対象となりうると定める。これは、GDPRが域外事業者に適用される要件とほぼ重なる。違いは、その枠組みが何のために使われるかにある。GDPRが個人の権利保護を究極の目的に据えるのに対し、PIPLは個人情報保護を掲げつつ、国家安全部などによる国家のデータ統治や治安維持が優先される構造を併せ持つ。
同じ形式の条文が、異なる法益のもとで運用される。三法が重なり合うことで、中国はサイバー空間に、物理的な国境に近い論理的な国境線を引いた。
2025年10月にはサイバーセキュリティ法の施行以来初の大幅改正が行われ、2026年1月に発効した。改正法は域外適用の範囲を、中国の重要情報インフラに危害を与える国外行為から、中国のサイバーセキュリティを害する国外行為一般へと拡張し、AI倫理規制の強化とリスク評価・セキュリティガバナンスの整備が明記された。三法による規制は年々強化されている。
ロシア・イラン:異なるサイバー主権モデル
ロシアは2019年の主権インターネット法で、通信事業者に脅威対処技術手段(TSPU)と呼ばれるDPIなどの装置の設置を義務付けた。連邦通信・情報技術・マスコミ監督局(Roskomnadzor)がこれを管理し、有事には国外ネットワークから切り離してRuNetを独立運用しうる法的・技術的基盤が整備された。
広大な国土と分散したネットワーク接続点を持つロシアにとって、中国型の物理的遮断は技術的に困難だった。そこでTSPUを通信事業者に設置させることで、遮断能力を確保した。2016年にはデータローカライゼーション法違反を理由にLinkedInへのアクセスを遮断。グローバルプラットフォームでも国内法に従わなければ排除する強い姿勢を示した。
2021年以降、ロシアはRuNetの切断テストを繰り返した。成果は公式には成功と発表される一方、独立研究機関の観測では完全な切断には至っていないとされる。TSPUの全国的配備も進んでいるものの、中小通信事業者での導入遅延や、VPNトラフィックの完全遮断が技術的に追いついていない実態がある。ウクライナ侵攻後はYouTubeのスロットリング(意図的な速度低下)やVPN接続への選択的干渉が観測され、中国のGFWに比べれば粗いが着実に統制能力を強化している。
DNS層でもロシアは、外部接続が制限された場合にも国内の名前解決を維持するため、ナショナルDNSの整備を進めてきた。これは、ICANN管理のグローバルなルートから独立して、国内だけで名前解決を完結させるための「代替ルート(Alternative Root)」にあたる。独自レコードの追記や外部接続の遮断が可能な構造であり、有事にRuNetを切り離してもドメインの名前解決が維持できる。ロシアはトラフィック制御と名前解決の双方を国内制度の下に置こうとしている。
イランは中国やロシアとは異なる第3のアプローチを採用した。国境ゲートウェイの管理に加え、国内イントラネットである国家情報ネットワーク(NIN)の利用を経済的なインセンティブで促す。国内通信のパケット料金を国際通信より大幅に安価に設定することで、利用者を自発的に国内サービスへ誘導し、平時から国外サービスへの依存度を構造的に引き下げている。
イランの戦略の実態は2019年11月に露呈した。燃料価格引き上げに対する大規模抗議運動に際し、当局はほぼ全国的なインターネット・シャットダウンを約1週間にわたって強行したのだ。ロイターの報道によれば、この遮断中に治安部隊による弾圧で1500人以上が死亡したとされる。通信の遮断は、抗議活動の組織化を阻止すると同時に、弾圧の実態を外部世界から見えにくくする機能を果たしたとみられる。
遮断能力は2022年のマフサ・アミニ事件での再遮断を経て精緻化された。さらに報道によれば、2026年1月の全国遮断では、体制内部者のみにグローバル接続を残し、一般国民をNIN(国内ネットワーク)に閉じ込める2層構造―兵営インターネットと呼ばれる―が大規模に試行されたとされる。前身となるホワイトSIMカードの仕組みは2013年から存在していた。

[日経クロステック 2026年6月26日付の記事を転載・改題]
白畑真(著)/日経BP/3190円(税込み)
