キャリア官僚となる国家公務員総合職の合格者のうち、東京大学出身者の数が減っている。公共の担い手となる霞が関の官僚よりも、20代から高給を得られる外資系コンサルティング会社を志望する受験エリート。その意識の変化の背景には何があるのか? 日本経済新聞社編 『「低学歴国」ニッポン』 (日経プレミアシリーズ)より抜粋して解説します。(登場人物の肩書は取材当時)

東大出身者の就職先が変わった

 近代国家としての国づくりが進められた明治期に、その担い手となる官僚の養成機関として設立された東京大学で、中央省庁を目指す若者が減っている。

 キャリア官僚となる国家公務員総合職の採用試験(全区分)の2020年度合格者で東大出身は349人と、旧Ⅰ種試験時代の1999年以来最少だった。

 省庁事務方トップの事務次官などを輩出してきた法学部も、学生の就職先が変わった。

 80年代にポツポツといた外資系コンサルティング会社への就職は2000年代に入ると定着。今では優秀な学生が霞が関の官庁よりコンサルを選ぶことが珍しくない。外資系のコンサルでは20代から高給が得られ、省庁の委託などを受けて政策立案にも携われる。対して霞が関は国会対応などで長時間労働が当たり前。行政改革で外郭団体などのポストが減り、天下りのうま味も薄くなった。

 90年代以降続発した官界の不祥事や官僚に批判的な世の風潮に加え、小泉純一郎政権以来の政治主導の流れの中で官界の独立性が弱くなったこともあり、若者の霞が関離れが進んだ。

霞が関は東大生の目指す場所ではなくなりつつある(写真/Shutterstock)
霞が関は東大生の目指す場所ではなくなりつつある(写真/Shutterstock)
画像のクリックで拡大表示

 そんな状況を、東大法学部はどう見ているのだろう。

 21年7月、インタビューに応じた大沢裕法学部長は「以前はたいていのゼミ生が公務員志望ということがあったが、かなり前からそうではなくなった。公務員が非常に重要な仕事であることは十分認識しているが、自分がその仕事に就く選択をしない学生が多くなった」と振り返った。

 その上で「学生の公共心は健在。ただ、現在では昔とは違い、公共に関わる分野が民間を含む色々な方面に広がっている。進路の選択肢も増えた」と指摘する。

ノブレス・オブリージュなき受験エリート

 確かに、今日では公務員だけが公共の担い手ではない。非営利団体(NPO)やベンチャー企業のような、新しい活躍の場も増えた。東大法学部も学生の進路の多様化や職種間の人材流動性の高まりに対応し、17年度の進学者からカリキュラムを大幅に変えた。必修科目を減らし、学生が自由に選択できる科目を増やすことで、幅広い学修を促すことが狙いだ。大沢氏は「(公務員だけでなく)様々な分野で活躍できる人材を育てていきたい」と力を込める。

 法学部生の脱・霞が関の傾向には「何となく官僚を目指す学生が減っただけで、高い意識を持って公務員になろうとするコアな層は昔と変わらない」(同学部教授)という指摘もある。

 だが22年春の国家公務員総合職試験でも東大の合格者数は217人で、現在の試験制度になってから最少だった。是非をどう見るかはともかく、官僚の育成場という東大法学部のイメージはもはや過去のものだ。

 歴史を振り返れば、明治政府が1877年(明治10年)に東大を設置した目的は国の運営に必要な人材の育成であり、教育の目標は明確だった。帝国の発展のため、国家に有為な人材を育てるという使命があった。個々の国民との関係で見れば、欧米列強に並ぼうとする国の意思と個人の自己実現が重なったといえる。勉学を通じて培った能力を社会の指導的な立場で発揮することで「立志」と「立国」が同時に実現した。

 現代はどうか。日本の国力は落ち、国際社会での地位は相対的に低下している。国の将来像は不透明で、人々の価値観も多様になり、志や倫理意識は希薄化しがちだ。それは当然、教育にも影響する。霞が関離れのような東大生の意識の変化は、日本という国が将来の絵姿を十分に描けなくなったことの一つの表れだ。

東大の安田講堂。官僚の育成場という東大法学部のイメージは過去のものに(写真/Shutterstock)
東大の安田講堂。官僚の育成場という東大法学部のイメージは過去のものに(写真/Shutterstock)
画像のクリックで拡大表示

 東大出身の元官僚で、女性政策の立案などで活躍した坂東真理子・昭和女子大学総長は言う。「戦前と違い、今の受験エリートは勉強するのは自分のためと教えられて育ってきた。だからノブレス・オブリージュ(高貴さに伴う義務)や社会に恩返しする感覚がない」

 創立者の福沢諭吉が教え子たちに「気品の泉源、智徳の模範」「全社会の先導者」であれとした慶応義塾も近年、OBや学生の不祥事が目立つ。伊藤公平塾長は「福沢の教えと全く異なることが起きている。学生にもっとメッセージを出さなくては」と危機感を隠さない。

「やった感」優先の大きなツケ

 変化を嫌い、旧来の教育を守っている間に時代は大きく変わった。どんな人を育て、何を実現するのか。今必要なのはビジョンだ。

 経済同友会の教育改革委員会は「教育の将来ビジョン」を2021年度の検討課題とした。委員長の遠藤信博・NEC会長は「現在の教育は均質性重視の大量生産型。企業を含む社会との間のマッチングがとれていない」と批判。「社会で価値の創造を担える人材の育成という視点から全体を考え直したい」と意気込む。

 米国のジョー・バイデン大統領は今後10年で幼児教育の機会拡充や子育て支援に4000億ドル(約45兆円)を投じる計画を打ち出した。中国は2035年の「教育強国」実現へ、高等教育の機会拡大などを進める。教育が国力を上向かせるという考え方は同じだ。

 日本にも5年ごとに改定される「教育振興基本計画」があり、現在第3期計画が進行中だが、ビジョンとしての存在感は薄い。08年の第1期計画の策定時、文部科学省は国内総生産(GDP)比で3.5%の教育支出を10年間で5%に引き上げる数値目標を盛り込むことを目指した。教育界や自民党の文教関係議員も賛同したが、財務省の反発に遭い頓挫。迫力を欠く内容になった。

 当時、中央教育審議会の特別部会の委員として教育予算拡充を唱えた片山善博氏(元総務相・元鳥取県知事)は「微修正のような改革をやめ、世の中を教育重視に大きく動かすきっかけにしたかったが、骨抜きにされた」と憤る。そして「今の教育界は閉塞している。教育の枠組みを動かし、教育予算に余力を持たせるにも未来のビジョンをつくらないといけない」と訴える。

 小手先の対応策で「やった感」を出し、岩盤を砕く抜本改革は見送る。その繰り返しをしている間に世界と差が開いた。片山氏の言う微修正のループから抜け出すには、骨太な教育の未来図が要る。

日経プレミアシリーズ『 「低学歴国」ニッポン
理解が早い子も遅い子も満足できない学校教育、真のエリートを輩出しづらい入試システム、いまだにPTA頼みの学校運営……日本の教育界にはびこる旧弊を追いかけ、その打開策を考える。日経連載「教育岩盤」を大幅加筆のうえ書籍化。

日本経済新聞社編/日本経済新聞出版/990円(税込み)