インターネットの普及により、膨大な情報を容易に取得できるようになりました。しかし、私たちは本当に必要な情報を得ることができているでしょうか。SNSの「デマ」や「炎上」を分析してきた計算社会科学者の鳥海不二夫さんは、ネット上の情報には制約がかかっていると言います。日経プレミアシリーズ『 デジタル空間とどう向き合うか 情報的健康の実現をめざして 』から抜粋。

能動的か受動的か

 私たちがインターネットで情報を受け取る場合、大きく「能動的か」「受動的か」の2つに分けられます。

 能動的に情報を受け取るというのは、自分自身で情報を探しにいくことで、ネット上では検索エンジンを利用した情報検索が主な手段でしょう。ところで、この検索結果はどのように提示されているのでしょうか。検索エンジンは、その人が知りたいだろう情報を、なるべく上位に出すアルゴリズムを使っています。

 このとき、どのような順番に検索結果を提示するのかは、検索エンジンの質に関わる重大な問題です。インターネット黎明(れいめい)期の検索エンジンには、各サイトの表題に検索キーワードが入っていれば、重要なサイトと判断して上位にもってくる、あるいはサイト上にキーワードの数がたくさんあれば、上位にもってくるという方法を取っていたものもありました。

 そのためサイト運営者の中には、検索結果の上位に表示されるように、目に見えないくらいのサイズで、白い背景のところに白文字で大量に文字を書いて、いろいろな単語の検索に表示されるようなハッキングをするところもありました。検索エンジンはそういったいわゆるSEO(検索エンジン最適化)対策を避けながら、利用者が本当に欲しい情報を検索上位に持ってくるための努力を続けています。

 その意味ではグーグルの「ページランク」は画期的なアルゴリズムで、開発当初は他の検索エンジンを圧倒する精度で検索結果を提示していました。ページランクは、「重要なページにリンクされているページほど重要」という考えに基づいて検索結果の重要性を判断しています。このアルゴリズムによって、後発だったグーグルが世界を席巻することになったのです。

 しかし、検索エンジンの挑戦はここでは終わりません。現在ではより高度なアルゴリズムを組み合わせて、より利用者が満足するようなアルゴリズムを導入しています。

個人に特化した検索結果

 多くのウェブサイトで、ユーザーの閲覧履歴やIDを保存するCookieの利用が加速するにつれ、個人ごとに違ったサービスが展開されるようになりました。

 2000年代以降は、検索結果も個人に特化した形で現れるようになっています。例えば、グーグルでは、位置情報の使用をユーザーが許可すれば、ユーザーがいる場所に応じた情報を出してくれます。沖縄に旅行に行って夕食を食べたいと思い、「夕食」と検索すれば、ちゃんと沖縄の現在地に近いお店が出てきます。

 こうした検索エンジンの進化は、知りたい情報に素早くアクセスするためだったり、より良いユーザーエクスペリエンスを得るためだったり、私たちにとっては有益な進歩と言えます。しかし、一方で、そのアルゴリズムがどのようなものかを私たちは知らず、また膨大な検索結果のごく一部しか提示されていないため、本当にこの結果で良いのかどうかの判断をすることはできません。もし検索エンジンが特定の情報を意図的に表示しないようにすれば、私たちは隠された情報が存在することを知るチャンスすらありません。

 その意味では、私たちはグーグルというフィルターを通した情報にのみ、能動的に接触していると言えるでしょう。

私たちは「推薦」の中で生きている

 検索が能動的な情報取得だとすれば、受動的な情報取得には「推薦」があります。私たちが接触する情報の大部分は推薦システムに依存しています。ニュースやユーチューブの動画を見たいと思ってサイトに行けば、その裏では推薦のシステムが動き、その人が見たいであろう情報を優先的に出してきます。ネット上で情報を得る場合、気づかない間に推薦システムの影響を強く受けています。自由意思で情報を取得しているように見えて、実際は推薦システムなどによって接触する情報が制限されています。

 そして、推薦される情報は、推薦システムを提供するプラットフォーマーによって制御されています。このとき推薦される情報の選択には、アテンション・エコノミー(関心を競う経済)の論理が働いているであろうことは想像に難くありません。クリックされることが金銭的な動機づけになるアテンション・エコノミーにおいては、システムの側はクリックされやすい情報を私たちに推薦してきます。

 これはもちろんプラットフォーマーの都合によるものですが、ユーザー側にとっても必ずしも悪いものではありません。的確に見たいものを推薦してくれるのであればそれで満足できるわけですから、ウィン-ウィンの関係であると言えるでしょう。

 結局、私たちが見ている世界は、推薦システムにコントロールされています。システムの側はユーザーが見たいと思うものを見せてくれるので、ユーザーはたいていの場合それで満足しますが、推薦システムが提供してくれない情報に触れる機会は推薦システムに支配される以前と比較すると減少しています。これがまさにフィルターバブルと言われる現象です。

(出所)日経プレミアシリーズ『デジタル空間とどう向き合うか』74ページ
(出所)日経プレミアシリーズ『デジタル空間とどう向き合うか』74ページ
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 私たちは皆、推薦システムが作るバブル(泡)に囲まれており、バブルの外にある情報にはアクセスしにくくなっています。情報量が増えて私たちは便利になったはずなのに、実は私たちが得ている情報にはフィルターがかかっていて、既に限定されているわけです。

自分自身で作り上げるエコーチェンバー

 フィルターバブルと同様に、私たちが接触できる情報を制限する現象に、エコーチェンバー現象があります。エコーはこだま、チェンバーは部屋という意味で、閉鎖空間でコミュニケーションがこだまのように繰り返され、特定の信念が増幅されてしまう現象のことを指します。

(出所)『デジタル空間とどう向き合うか』78ページ
(出所)『デジタル空間とどう向き合うか』78ページ
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 フィルターバブルとエコーチェンバーはよく似た概念ですが、フィルターバブルがシステムによって作られた空間であるのに対して、エコーチェンバーは自らが心地良い情報環境を作り出そうとした結果作られた空間であるという違いがあります。

 自分が作り出したものであっても、エコーチェンバーを作ろうと思っていなくても居心地の良さを求めると自然に作られてしまうものであるため、自分自身がエコーチェンバーの中にいるということは、なかなか気づきづらいものです。

私たちは推薦システムが作るバブルに囲まれている(写真:shutterstock)
私たちは推薦システムが作るバブルに囲まれている(写真:shutterstock)
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炎上、分断、誘導、中毒――いまネット上で何が起きているのか?

アテンション・エコノミー(関心を競う経済)にさらされている私たちは、ネット世界とどう折り合いをつけるべきか? インターネットは利便性を高める一方で、知らず知らずのうちに私たちの「健康」を蝕(むしば)んでいます。気鋭の計算社会科学者と憲法学者が、デジタル空間に潜む様々な問題点を指摘、解決への糸口を探ります。

鳥海不二夫、山本龍彦著/日本経済新聞出版/990円(税込み)