戦略論の世界的権威、リチャード・P・ルメルトは、「売り上げを毎年20%伸ばす」「お客様に選ばれる会社になる」といったものは戦略ではない、と言います。ルメルトが執筆してロングセラーとなっている 『良い戦略、悪い戦略』 (村井章子訳/日本経済新聞出版)を、平井孝志・筑波大学大学院ビジネスサイエンス系教授が読み解きます。 『ビジネスの名著を読む〔戦略・マーケティング編〕』 (日本経済新聞出版)から抜粋。

戦略論の世界的権威が説く

 『良い戦略、悪い戦略』の著者リチャード・P・ルメルトは英経済誌『エコノミスト』の「マネジメント・コンセプトと企業プラクティスに対して最も影響力のある25人」にも選ばれた戦略論の世界的権威です。本書ではこれまでの膨大な研究成果を生かし、良い戦略とは何か、悪い戦略とは何かについて論じています。

 ルメルトはまず「戦略」という言葉がとても便利な言葉になってしまったと指摘します。買収をすれば「成長戦略」、マーケティングにかかわることならすべて「マーケティング戦略」といった具合です。「戦略」も何を意味し、何を意味しないのかをハッキリと線引きすべきです。

 現在、戦略として発表されるものは、専門用語や業界用語によるごまかし、美辞麗句で飾られた空疎な目標になっているケースが大半です。

 破綻した米エンロンの戦略は「電子取引プラットフォームの運営者」「相対取引の仲介者」「情報の収集・提供者」になることでした。ただ、これは戦略とは違います。パン屋さんがパンを作りますというのと同じで、意味がないからです。戦略は何をどうやって実現するのか、それはなぜかを示さなければなりません。そうでなければ単なるスローガン、掛け声です。

 「売り上げを毎年20%伸ばす」「お客様に選ばれる会社になる」といったものも戦略ではないとルメルトは言います。単なる業績目標にすぎません。特に非現実的な目標、間違った目標、各事業部が作った計画を寄せ集めたホチキス目標は百害あって一利なしです。

 これらの目標を与えられた組織は何をどうすればよいのか途方に暮れ、しらけてしまいます。本当に有効な戦略を練り上げて実行しようとしている人にとって、大きな障害物にもなります。戦略策定の難しさは、結局のところ選択の難しさにあります。本当になすべき大事なことを明らかにし、何をしないのかをハッキリさせることがとても重要なのです。

インテルはなぜ世界最大になったのか

 ルメルトは本書の中で、インテルが復活を果たすターニングポイントとなった1985年の出来事を紹介しています。

 インテルは半導体メモリーからビジネスをスタートし、様々な高度技術を開発し、躍進を遂げてきた会社でした。ただ1980年代中ごろになると、追い上げてきた日本企業に価格競争を仕掛けられ、赤字に陥ります。赤字は増える一方でした。しかし、中核事業であり、研究、製造、キャリア形成でも花形であり続けたメモリー事業をどうすべきかについて経営陣は決断できません。果てしない議論を続けるだけだったのです。

インテルが復活したターニングポイントは1985年だった(写真:shutterstock)
インテルが復活したターニングポイントは1985年だった(写真:shutterstock)
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 ある日、最高経営責任者(CEO)のアンディ・グローブは、会長であるゴードン・ムーアに質問をします。「もし、我々が更迭され、取締役会が新しいCEOを連れてきたとしたら、その男はまず何をするだろうか?」。ムーアは即答します。「メモリー事業から撤退するだろう」。グローブは少し考えた後こういいます。「では、なぜ我々が、クビになったつもりで、それをやらないんですか?」

 インテルはその後メモリー事業から撤退し、マイクロプロセッサー事業にフォーカスすることにしました。そして、1990年代初頭、世界最大の半導体会社に上り詰めたのです。マイクロプロセッサーとは、パソコンなどで日々皆さんが目にする「Intel Inside」のCPU(中央演算処理装置)のことです。

 このインテルの事例は、選択の難しさが戦略策定の根底にあることを示しています。みんなの意見を捨てる困難さに負け、選ぶという作業を避け、誰の体面も傷つけないようにしていては、良い戦略は生まれません。また、頑張ることは大事ですが、赤字を垂れ流しながら「最後のひと踏ん張り」をひたすら要求するだけのリーダーでは能がありません。悪い戦略は、誤った考えとリーダーシップの欠如から生まれるのです。

どのように戦略策定を進めればよいか

 では、事業の戦略立案を任されたとき、どのような姿勢で戦略策定に臨めばいいのでしょうか。ここでは、電気機器や自動車のある基幹部品を製造・販売する部署に所属するAさんを取り上げてみましょう。

 今Aさんが、既存事業を拡大するための戦略立案を任されたと想定します。ルメルトの指摘に沿って、陥ってはならない罠(わな)について議論していきましょう。

 戦略立案という重要なミッションを任されたAさんが、最初に陥りがちな罠は、現実離れした壮大な目標を掲げてしまうことです。近年、ビジョンや理念が大事であるとか、「モノ」ではなくサービスも含めたソリューション提供、つまり「コト」が大事であるとよく言われます。

 もちろんそれらはとても重要です。しかし、そういったアイデアに安直に飛びつくのは避けた方がいいでしょう。それらはあくまで結果の姿であって、それを掲げたからといって実現するとは限らないからです。大事なことは、そこに至る論理や方法論が存在するかどうかです。

 例えば、いきなり「基幹部品プラットフォーム・プロバイダーになる」とか、「ソリューション・ビジネス・パートナーを目指す」とだけいってしまっては、なんとなくすごそうな感じはするけれど、中身がついてこなくなってしまいます。

戦略立案で最初に陥りがちな罠は、現実離れした壮大な目標を掲げてしまうこと(写真:shutterstock)
戦略立案で最初に陥りがちな罠は、現実離れした壮大な目標を掲げてしまうこと(写真:shutterstock)
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 まずはしっかりと現状の重要な問題に向き合うべきです。Aさんの会社が作る部品の横で使われる別の部品を製造する競合他社が、すべてを一体化したモジュールを作ろうとしているかもしれません。あるいは、Aさんの会社が作る部品を制御するソフトウエアが進化して、Aさんの会社の部品の価値を著しく低下させてしまうかもしれません。

 これらの課題を見ずに避けて通り、頑張ればまだまだ拡販できるはずだとか、まだまだ価格は維持できるはずだと考えても、決してその通りにはなりません。ついつい面倒そうな重要な課題は避けたくなるものです。ただ当然のことながら、それらを避けた戦略が機能するはずはありません。それは戦略ではなく単なる願望です。

 次に陥りがちな罠は、ついつい業績目標をいくらにするかということに意識がいってしまうことです。もちろん、組織を行動に駆り立てていくために業績目標は大事です。ただ、これも先ほどの壮大な目標を掲げてしまうというのと同じ誤謬(ごびゅう)に陥ってしまうことがあります。業績目標もあくまで達成すべき結果であって、そこに至るための論理ではないのです。

 大切なことはそこに至るための理由であり、そこに至るための有望な機会の明確化なのです。Aさんは業績目標をいくらにすべきかで悩むのではなく市場環境や競争環境を分析した結果、業績目標はいくらになるかをしっかりと考える方に時間を使うべきです。

 その後で、組織を鼓舞するために多少のストレッチの味つけをすればよいのです。もしAさんの部署の売り上げが下がっているのなら、急回復するような「V字回復」の目標は多くの場合、非現実的です。それより、利益率目標を重視するとか、事業ポートフォリオを電機から自動車にシフトするとかいう目標の方がまだましだと言えるでしょう。

最も注意すべき過ちとは

 最も注意すべきは「間違った戦略目標を掲げる」という過ちです。ルメルトは皮肉たっぷりに米国西海岸のある市長の「戦略プラン」を取り上げています。その戦略は、全部で47項目、取組事項は178項目もあったそうです。そして、その122番目に「戦略プランを作成する」と書かれていたそうです。

 寄せ集めの戦略は間違った戦略であることの最たる例です。Aさんも、もし自分が立てた戦略の中に、あまりにも多くの項目が並んでいた場合は要注意です。顧客ニーズを満たす、コストを削減する、組織の機動性を取り戻す、新機能○×を追加する、新規市場を開拓する……。これらの項目が数限りなく並んでいたら、それは「間違った戦略」なのです。

 その大きな過ちは、それら項目の間に矛盾するものがあったり、ヒト・モノ・カネを奪い合う結果、折り合いがつかないものがあったりするからです。そのような戦略は実行不可能です。

 良い戦略は、しっかりとした論理構造と、本当になすべき重要なことで構成されているべきなのです。ここでルメルトの言う4つの陥りやすい罠を再確認しておきましょう。

 (1)空疎である
 (2)重大な問題に取り組まない
 (3)目標を戦略と取り違えている
 (4)間違った戦略目標を掲げている


「戦略の大家」によるロングセラー!

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リチャード・P・ルメルト著/村井章子訳/日本経済新聞出版/2200円(税込み)