戦略論の世界的権威、リチャード・P・ルメルトによると、良い戦略は十分な根拠に基づくしっかりとした基本構造を持っており、一貫した行動に直結するものです。ルメルトが執筆してロングセラーとなっている 『良い戦略、悪い戦略』 (村井章子訳/日本経済新聞出版)を、平井孝志・筑波大学大学院ビジネスサイエンス系教授が読み解きます。 『ビジネスの名著を読む〔戦略・マーケティング編〕』 (日本経済新聞出版)から抜粋。

カーネルの3つの要素

 ルメルトによれば、良い戦略とはずばり単純明快で単刀直入なもののようです。つまり、十分な根拠に基づくしっかりとした基本構造を持っており、一貫した行動に直結するものが良い戦略といえます。ルメルトはこの基本構造を「カーネル(核)」と呼びます。

 カーネルは3つの要素からなります。最初の2つは「診断」と「基本方針」です。特に診断は重要です。現状に対する診断を間違えたら、基本方針も間違えます。

 1993年、ルイス・ガースナーが米IBMの最高経営責任者(CEO)に就任した際、業界の水平分業が進みつつありました。IBMの問題は図体の大きさにあるという診断が社内外でなされており、分社化の準備が進められていました。

 しかし、ガースナーは異なる診断を下します。彼は総合メーカーであることではなく、総合的なスキルを生かせていないことにこそ問題の根幹があると考えたのです。そこで技術力、ブランド力を生かし、顧客にカスタムメードのソリューションを提供する、という基本方針を掲げ、大きく戦略の舵(かじ)を切りました。結果、IBMは復活を果たしました。

 良い基本方針とは、困難な状況に立ち向かう方法を固め、他の選択肢を排除するものなのです。

 それはカーネルの3つ目の要素である「行動」にもつながります。どれほど複雑な状況でも、行動の選択肢は意外にシンプルです。それゆえ行動は目の前の1つか2つの決定的な要素に向けられるべきで、時間的にコーディネートされた一貫行動が大切になります。

 かつてボルボとジャガーを傘下に収めた米フォード・モーターは、2ブランドの設計思想を統一し、共通プラットフォームを使うことにしました。しかしボルボ好きは「安全なジャガー」を、ジャガーファンは「スポーティーなボルボ」を欲しがりません。フォードはカーネルすべてにおいて過ちを犯したのです。

食料品店の経営戦略

 まずは「診断」と「基本方針」がなければ何も始まりません。

 身近な事例で考えてみましょう。今あなたが、町の小さな食料品店を経営する友人からその店の経営戦略について相談を受けたと仮定しましょう。きっとその友人はいろいろな悩みを抱えているに違いありません。

 今まで通り安売りを続けるべきか、それとも多少高くても鮮度の良い食品や有機食品を取り扱う方向に転じるべきか。あるいは、最近、増え始めたアジアからの留学生向けにアジアの食品に力を入れるべきか。それともレジカウンターをもう1つ備えるべきか。駐車場も必要だろうか。天井の色は白がよいか、緑の方がよいか……。

 これらの質問それぞれに個別の答えを出すのは、おそらく得策ではありません。また、町の小さな食料品店でも、可能性のある打ち手はたくさんあり、その組み合わせはすぐに数百、数千になってしまいます。

 もしここで、次のような「診断」があったらどうでしょう。一番の競争相手は近くにできた年中無休の安売りスーパーマーケットであることが分かりました。また、そのスーパーと奪い合っている顧客は、近くに住む価格重視の学生と、短時間で買い物をすませたい忙しいサラリーマンの2つのセグメントに大きく分かれていることも分かりました。

食料品店が抱える悩みに個別に答えを出すのは得策ではない(写真:shutterstock)
食料品店が抱える悩みに個別に答えを出すのは得策ではない(写真:shutterstock)
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 もちろん、双方の顧客セグメントをしっかりと獲得できる一石二鳥があればいいのですが、なかなか難しそうです。また、体力的にもスーパーマーケットに安売りで勝つのは難しいでしょう。

 このように診断をベースに考えていくと、だんだん「基本方針」が見えてきます。例えば、「忙しく働く人たちのニーズに応える」、もっと具体的にいうと、「忙しくて料理をする時間のない人に便利を提供する」といったあたりが有望な基本方針である可能性が高まってきます。

 もちろん、それが唯一絶対の基本方針だとはいえません。しかし、基本方針が定まらない限り、どう行動すべきかは決して定まりません。あちこちに手をつけ、こっちに目を配り、これをやっては失敗し、あれをやってみる、といったふうに一貫性を欠く行動になってしまうことでしょう。

 もし、先ほどのような基本方針を打ち出すことができれば、夕方6時以降の混雑時に備えレジを増設したり、お菓子の品ぞろえを減らして高級総菜を増やしたり、といった優先度の高い「行動」が見えてきます。そして、おそらく天井の色は重要な論点ではなくなってくるでしょう。

 ルメルトはこのような一連の論理や話の流れ、つまり「診断」→「基本方針」→「行動」を、戦略の基本構造=「カーネル(核)」と呼んだのです。

曖昧さを解消する「近い目標」

 行動を起こす際にもいくつか肝となるポイントがあります。ルメルトは、その1つに「優れた近い目標を掲げる」ことを挙げます。行動を起こすためには組織のエネルギーを結集しなければなりません。そのためには「近い目標」が有効だというのです。

 本文中で、ルメルトは興味深い事例を紹介しています。それは、月面着陸計画に先がけて計画された人類初の無人月面探査機「サーベイヤー」の開発時の話です。

 サーベイヤーの設計者にとって最も悩ましかったのが、月の表面が実際どうなっているかを誰も知らないことでした。そこで米航空宇宙局(NASA)のジェット推進研究所の研究主任であり、月面の研究で知られるフィリス・ブワルダは、月面模型を作製しました。設計者に設計のための土台を与えたのです。

 その模型は米南西部の砂漠にそっくりでした。彼女は言います。「地球上で平たい場所はだいたいこんな感じだから、月でも、山から離れたところなら、そうである可能性は高いはず」と。

 彼女は決してすべてを見通していたわけではありませんでした。ただ、彼女は続けて言います。「月面はこうだと条件設定しない限り、技術者は何もできない」。つまり、月面の状況に関してあらゆる可能性を網羅する詳細検討をしていたら、探査機の設計のみならず、月面着陸計画そのものも危うくなってしまうと彼女は考えたのです。

 彼女がしたのは、チーム(組織)の中の曖昧さを解消し、チームが力を結集して目指すべき近い目標を与えることでした。

月面に降り立った宇宙飛行士。この前に計画された無人月面探査機の開発では、月面の様子を誰も知らないことが設計者を悩ませた(写真:shutterstock)
月面に降り立った宇宙飛行士。この前に計画された無人月面探査機の開発では、月面の様子を誰も知らないことが設計者を悩ませた(写真:shutterstock)
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変化のうねりに乗る

 もう1つ行動を起こす際に大事になるのが変化のうねりに乗ることです。テクノロジーの進歩、買い手の意識や嗜好(しこう)の変化、競争や政治の動向など、様々な変化は積み重なることによって大きなうねりを生み出します。

 それはこれまで高地だったところを平らにしてしまい、新たな高地をつくり出したりします。このうねりがかつての競争優位を消し去り、新たな優位を生み出すことを引き起こすのです。

 例えば、米シスコシステムズは、ソフトウエアの台頭、企業のデータ通信の拡大、IPネットワークへの移行、インターネット利用の普及……次々に押し寄せてくる大波にうまく乗り、2000年の一時期とはいえ、時価総額が世界最大になりました。AT&TやIBMなど、ネットワーク機器分野の巨人がいたにもかかわらずです。

 あるいは、スティーブ・ジョブズがアップルのCEOに復帰した後、パソコンで再生を果たしiPhoneで成功する前、次のように言っていたそうです。

 「次のでかいことを待っているんだ」。彼も大きなうねりによって「機会の窓」が開くのを待っていたのでしょう。

 「変化のうねりを早期に捉えること」。これが戦略を実現する上でも重要な役割を果たします。では、どのようにそのうねりを察知すればいいのでしょうか。ルメルトはいくつかのヒントを示しています。

 それは例えば、製品開発コストのための固定費が増大し始めたときはうねりの始まりであり、それを乗り越えると残存者メリットを享受する。あるいは、規制緩和はやはり大きなうねりのきっかけになるといったポイントです。

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リチャード・P・ルメルト著/村井章子訳/日本経済新聞出版/2200円(税込み)