ライフネット生命保険創業者で、立命館アジア太平洋大学(APU)前学長・名誉教授の出口治明氏は、「地政学を国家の勢力争いを語るものではなく、人間の生きる知恵」だと考えているそうです。世界の先行きがますます不透明になりつつある今こそ、地政学を改めて考えてみる必要があります。出口氏が田中孝幸氏の新刊『 世界を解き明かす 地政学 』(日本経済新聞出版)の読み方、考え方を解説します。
今、世界は大きく揺れています。中国による台湾への圧力、泥沼化するロシア・ウクライナ戦争、アメリカ・イスラエルのイラン攻撃、アメリカ大統領の発言ひとつで揺れる国際社会など、挙げればきりがありません。 ニュースを追うだけでも、世界は再び大国が勢力圏を競う時代に入ったかのように見えます。
先行きの見えない時代を読み解くためのヒントが、地政学です。地政学はしばしば、国家権力や軍事戦略と結びつけて語られることが少なくありません。ですが僕は、地政学を国家の勢力争いを語るものとは捉えず、「人間の生きる知恵」だと考えています。
地政学が必要とされる理由は、極めてシンプルです。それは「国は引っ越しできない」からです。
もし嫌な隣人がいたら、個人であれば引っ越せばすみます。しかし、国家にその選択肢はありません。隣国との距離も、山脈の高さも、海峡の深さも、人間の都合で変えることはできません。
ひとつの国家や民族の帰趨(きすう)は、その国の内部事情だけで決まるわけではありません。いかなる地理的環境にあり、どのような隣国と接しているのか。海への出口の有無、資源や交通路の配置といった条件も含めて、国の選択は左右されます。
人類の歴史を振り返れば、多くの国家や民族が、「変えられない自然条件」の中で、よりよく生きるために知恵を絞ってきました。与えられた場所で何を選択すべきかを考える。それが地政学的な思考の本質です。
3つの視点から国際情勢を説明
本書『 世界を解き明かす 地政学 』は、混迷する世界の現状を、地理という変えられない条件から捉え直す一冊です。 特筆すべきは、本書が著者の28年にわたる記者生活で培われた「現場の視点」と取材で得た「一次情報」に基づいていることです。世界40カ国以上で取材を重ね、政財界の要人や軍関係者など幅広い相手に直接話を聞いてきた経験が、記述の随所に生かされています。
本書に主観的な主張の押しつけはありません。「だからこうすべきだ」という結論を急ぐのではなく、事実を丁寧に積み上げています。このフェアなスタンスがあるからこそ、本書は国際情勢を自分の頭で判断するための材料として信頼できます。
著者が取り上げているのは、台湾、中国、ロシア、ウクライナ、イスラエル、インド、アメリカなど、日本と世界の関心が集中している国や地域です。
なぜ中国は沖縄やバシー海峡をターゲットにするのか。地形ゆえに守りにくいウクライナの地理的悲劇とは何か。鉄道の「線路幅」が大国の勢力圏とどう関わっているのか。トランプ大統領の振る舞いが国際社会にどう受け止められ、なぜ影響力を持つのか。
本書は、地理、国際社会の仕組み、時間という3つの視点で国際情勢を説明しており、各国がなぜそう動くのか、その理由がひとつずつ腑(ふ)に落ちてきます。
地球儀を手元に置いて本書を読めば、国の位置関係や距離感が具体的に把握できます。なぜその場所が焦点になっているのか、理解が進むでしょう。
不確実性の高い時代には、感情やスローガンに流されるのではなく、数字と事実、そして論理に基づいて世界を見つめる姿勢が求められます。
自分たちの置かれた環境を正しく認識することは、平和に生きるために何を選ぶのかを考える前提になります。本書は、その視点を与えてくれる好著です。
構成/藤𠮷 豊
