日本経済新聞朝刊1面下の名物コラム「春秋」を20年にわたって書き続けてきた大島三緒編集委員の『「春秋」うちあけ話【改訂新版】』(日経プレミアシリーズ)が刊行されました。2020年に旧版が発売されてから5年、社会やメディア、SNSをめぐる状況も大きく変わりました。「バズる」情報の嵐の中で、新聞コラムを書くということはどのような意味を持つのか。誰もが気軽に発信できる時代、どのように日本語を書けばよいのか…。著者の社会部記者時代の後輩でもある政治学者の原武史さんが本書の読みどころと魅力を紹介します。
本書『
「春秋」うちあけ話【改訂新版】
』の著者、大島三緒さんは、私が1987(昭和62)年に日本経済新聞社に入社し、東京本社編集局社会部に配属されたときの先輩に当たる。
当時の社会部は、いまでは想像できないほどガサツで男臭い職場だった。女性の記者は一人もおらず、部屋には一日中たばこの煙がもうもうと漂っていた。電話が鳴ってすぐ受話器を取らないだけでデスクに怒鳴られた。「バカヤロー!」「お前それでも記者か!」「何年生だ!」……。こんな言葉が、日常的に飛び交っていた。
しかし大島さんは違っていた。まず怒鳴るということがない。パワハラに当たる言葉をかけられた記憶もない。それどころか、ウイットが利いた言葉がごく自然に出てくる。当時から読書量も半端でなかった。
少なからぬ思い出のなかから一例を挙げよう。
いまでは廃止された「泊まり番」として、社内で未明まで一緒に詰めていたときのことだ。どういう脈絡だったかは忘れたが、大島さんが発売されたばかりの永井荷風の日記の抄録『
摘録 断腸亭日乗
』上下(岩波文庫、リンクは上巻)の話をはじめた。荷風の文化勲章受章が決まった52(昭和27)年10月21日の日記に新聞記者が多数やって来たという記述があり、そのなかに「経済新報」の記者もいた。この「経済新報」とは日経ではないかと言われたのだ。目のつけどころの鋭さに驚かされたものだった。
その後、私は昭和天皇の病気に伴い宮内庁詰めになったりして体調を崩し、新聞社を辞めて学者への道を進むことになったが、大島さんとの付き合いは絶えることなく今日まで続いている。本書は、私が初めて会ったときにはまだ20代だった大島さんが60代になり、「春秋」の書き手として日本記者クラブ賞を受賞するに至った文章力の源泉がどこにあるかを縦横に語った一冊だ。
「春秋」というのは日経1面の下に書かれたコラムで、字数はせいぜい500~600字ほどしかない。だが朝日新聞の「天声人語」や毎日新聞の「余禄」などと同様、読者が必ずと言っていいほど目を通す、いわば新聞の「顔」だ。ここで取り上げられた本は、決まって売り上げが急に伸びる。日本語の手本になる文章として、大学入試などで出題されることも少なくない。
たかが500~600字と思うことなかれ。字数が少ないぶん、一字たりともゆるがせにはできない。漢字表記にすべきかひらがな表記にすべきか、同じ言い回しが重なっていないか、起承転結がしっかりしているか、体言止めを多用していないか等々、注意すべきポイントは山ほどある。本書を読むことで、いかに大きなエネルギーがこのコラムに費やされているかを実感できる。
紙の新聞という文化のエキスがぎっしり詰まった一冊
私自身もいま、ある新聞の土曜版に毎週エッセイを連載しているので、何度もうなずきながら読んだ。SNSが発達し、誰もが気軽に日本語で発信できるようになったばかりか、AIを使ってもっともらしい文章をすぐさま作成できるようになった時代だからこそ、ただ意味が通じるだけでない、簡潔にして味わいのある日本語の文章を書くことの重要性はますます高まっている。本書は、そのための最良の入門書としての役割を果たしている。
最近は社内公用語を英語にしている企業も現れるなど、英語さえできれば世界に通用するという風潮もまた目立っている。そうした風潮にあらがい、日本語で文章を書くことの原点に気付かせてくれる本でもある。
毎朝起きると、郵便受けにはすでに朝刊が配達されている。それを取り出し、朝食をとりながらまず1面をざっと見る。見出しを確認してから「春秋」のような1面下のコラムに目を通す。4コマに分かれた縦書きの文章を数分で読み終えると、次に紙面をめくって政治面や社会面を開く。
デジタル化が進んだ現在、こうした生活はもう廃れつつある。しかし「紙」ならではの手触りに慣れ親しんだ読者は、高齢者を中心としてまだまだいるはずだ。本書にはそうした「紙」がはぐくんできた新聞という文化のエキスが、ぎっしりと詰まっている。たとえ明治以来の新聞の歴史が大きく変わろうと、本書の言葉が色あせることはないと断言できる。
そして本書でも、荷風の『断腸亭日乗』について言及されている。大島さん自身、「『断腸亭日乗』はコラム書きにとって座右の書です」と明言されている。この一文とともに脳裏によみがえるのは、昭和がまさに終焉を迎えつつあったとき、空気のよどんだ日経本社社会部の部屋で、『断腸亭日乗』の面白さを夜更けまで熱く語っていた若き日の大島さんの快活な姿にほかならない。
