呼吸・発声・身体機能を整えることで、人は何歳になっても良い声を維持できます。『60歳からは、声を磨きなさい』は、5万人以上の声の悩みに向き合ってきたボイストレーナー・佐藤恵さんが、声磨きの実践法を公開した本。本書から抜粋する記事の2回目は、「声の土台」である呼吸について。
人生後半の身体に合った「呼吸の再設計」
第1回で触れた「切り札声」は、身体が整った結果として、自然に立ち上がってきます。その身体の状態を決定づけているものが、呼吸です。
ここで、ひとつ質問をします。あなたは今、「自分の呼吸」を意識していますか。多くの方は、こう答えるでしょう。「息はしている」「呼吸は止まってはいない」「とくに問題は感じていない」
しかし、人生後半からの声に必要なのは、こうした「生きるための呼吸」ではありません。
若い頃は、多少呼吸が乱れていても、勢いと筋力によって声を通すことができました。
しかし人生後半になると、同じやり方は通用しなくなります。
声が途中で落ちる。語尾が消える。長く話すと疲れる。会話の途中で息が足りなくなる。これは老化現象ではなく、呼吸の使い方が、今の人生ステージに合っていないだけなのです。
多くの人は、呼吸というと、「深く吸うこと」「たくさん吸うこと」「肺を大きく膨らませること」をイメージします。しかし、良い声に必要なのは、吸う量ではなく、吐き方と支え方です。
どれだけ吸っても、吐く力が安定していなければ、声は揺れます。どれだけ肺に空気があっても、身体で支えられていなければ、語尾が落ちます。
ここで扱うのは、呼吸法の知識ではなく、人生後半の身体に合った「呼吸の再設計」です。無理に吸わない。力まない。頑張らない。それでも、声が前に通る。そんな呼吸の土台を、ここから1つずつ整えていきます。
呼吸が整うと、まず身体が変わります。立っていて楽になる。座っていて楽になる。話していて疲れにくくなる。
次に、声が変わります。張らなくても通る。語尾が落ちなくなる。空気が落ち着く。
そして最後に、人との関係性が変わり始めます。それが、あなたがこれから取り戻す「人生後半の声の基盤」です。
では、最初にやるべきことは何か。いきなり腹式呼吸はしません。いきなり声も出しません。まずは、呼吸を「吐くところ」から整えます。切り札声のエンジンを、静かにかけ直していきましょう。
還暦以降に「変わる人」と「変わらない人」
還暦を過ぎても、声に張りがあって落ち着いて話せる人がいます。一方で、声が弱くなり、話すこと自体が億劫(おっくう)になっていく人もいます。この違いは、才能でも性格によるものでもありません。現役のときの職業や実績の差でもありません。決定的な違いはただひとつ、呼吸を使い続けているかどうかです。
還暦を過ぎても声が変わらない人は、呼吸を「もう一度、使い始めた人」です。いい声をつくる要素はいくつもありますが、その中でも最も重要なのが呼吸です。
声は、吐く息に音が乗ったものです。呼吸という土台の上に、声が乗っている。その土台が不安定なままでは、どれほど話し方を工夫しても声は安定しません。だから、まず土台を整える必要があります。
声の悩みは人それぞれです。「声が通らない」「説得力がない」「暗く聞こえる」「長く話すと疲れる」「語尾が消える」など。
しかし原因をたどっていくと、多くは呼吸というひとつの場所に行き着きます。
理屈ではなく、まず体感をしてみましょう。
目の前に大きな山があると想像してください。
天気の良い日に、思わず叫びたくなる場面です。
「ヤッホーーーッ」
このとき、「ホーーーッ」と伸ばしている間、吐く息が自然と長く続いていることに気づくはずです。

このシンプルな体験が示しているのは、たったひとつの事実です。声は、呼吸に完全に依存しているということ。
緊張すると早口になったり、声が震えたりするのも同じ仕組みです。ドキドキすると心拍数が上がり、呼吸が速くなり、乱れます。速くなった呼吸に音が乗るから早口になる。
乱れた呼吸に音が乗るから声が震える。だから私たちは、こう言っています。
「呼吸を制する者は、しゃべりを制す」。これは精神論ではありません。身体の構造自体がそうなっているのです。
呼吸は「鼻から吸う」が基本中の基本
話すための呼吸の基本は、鼻から息を吸うことです。鼻から吸うことによって、口から吸うよりも多くの酸素を取り込めると言われています。しかし重要なのは、量だけではありません。鼻呼吸は、浅く乱れた呼吸から、深く安定した呼吸へ切り替えるスイッチになります。
普段は無意識に鼻呼吸をしていても、話しているときは、口が開いている分、つい口から息を吸ってしまいがちです。
「~で(はぁ、と口で息継ぎ)」「~で(また、はぁ、と口で息継ぎ)」。この状態が続くと、呼吸はどんどん浅くなります。息が続かなくなり、結果として、通る声、安定した声は出ません。
安定して話すためには、もっと深いところまで空気を取り込む必要があります。それを可能にするのが、鼻から吸う腹式呼吸です。
ここで大切なのは、「大きく吸おう」としないこと。鼻から静かに吸うだけで、身体は自然に、必要な量を取り込み始めます。
今この瞬間、軽く試してみましょう。口を閉じ、鼻から静かに息を吸ってみます。肩は上がらず、胸は大きく動かず、お腹の周りがじんわり広がる。この感覚があれば、もう正しい方向に進んでいます。話すための呼吸は、力を入れる必要はなく、空気の通り道を整えるだけで、自然に整っていきます。
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佐藤恵著/日本経済新聞出版/1760円(税込み)
