指導者が暗殺と背中合わせだった時代。高橋是清『随想録』には、かえって世事から解脱した静謐(せいひつ)な雰囲気が流れる。本書を手に取る意味合いは懐古趣味などではない。昭和恐慌と積極財政、低金利と円安誘導、赤字国債と日銀引き受け。高橋財政を巡る問題群は、安倍晋三元首相暗殺を機に、経済論戦の表舞台によみがえってきた。大不況に際して高橋は何を語り、いかに行動したのか。

原敬の暗殺を予感

 閣議の日だった。「原の目の辺りが、どうも影が薄いように見えた」。いわば死相である。予定されていた京都行きを思いとどまらせようと再三の説得を試みるも、原は聞き入れない。かくて1921年11月4日、東京駅で原は暗殺される。原とは平民宰相と称された原敬。『 随想録 』(高橋是清著、上塚司編/中公文庫)の冒頭に出てくるエピソード「原が刺さるヽ朝」である。

『随想録』(中公文庫)(写真/スタジオキャスパー)
『随想録』(中公文庫)(写真/スタジオキャスパー)
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 故人を偲(しの)ぶ随想のなかには、1932年2月9日に暗殺された井上準之助についての一文「井上準之助君の死を聞いて」も収められている。浜口雄幸内閣の蔵相として入閣するに際して、高橋を訪ねた井上とこんな会話を交わしたという。

井上「緊縮財政により(財界を)いじめつけて金解禁をしなければならぬ」
高橋「君も万難を排して進むつもりであろうが、正しい真直ぐな道を歩くことを忘れてはならない」

 金解禁とは浜口内閣が1930年1月に実施した金本位制(円の価値を金で裏付ける通貨の仕組み)の復活のこと。そして、金解禁後の昭和恐慌で疲弊した経済の立て直しのために乞われ、蔵相に復帰した高橋も1936年のニ・ニ六事件で凶弾に倒れる。享年83。その時を覚悟していたかのような本書が刊行されたのは、事件の直後である。

 指導者が暗殺と背中合わせだった時代。高橋のこの本には、かえって世事から解脱した静謐な雰囲気が流れる。もちろん本書を手に取る意味合いは、単なる懐古趣味などではない。

 昭和恐慌と積極財政、低金利政策と円安誘導、赤字国債と日銀引き受け。いわゆる高橋財政を巡る問題群は、2022年7月の安倍晋三元首相の暗殺を機に、日本の経済論戦の表舞台によみがえってきた。昭和恐慌に際して高橋は何を語り、いかに行動したのか。

円安、低金利、積極財政

 金解禁の最大の問題は、為替相場が日本経済の実力以上の円高に設定されたことだ。円高水準を維持するために、井上蔵相の下で高金利と緊縮財政が採られた。折から1929年10月に始まる世界恐慌が重なり、日本は厳しいデフレ不況に突入する。昭和恐慌である。金解禁は挫折し、1931年12月には政権が交代する。後を襲った犬養毅内閣の蔵相に就任したのが、高橋である。

 高橋の初仕事が金解禁の取りやめである。経済の実力に応じて円を下落するに任せたことで、日本の輸出は急回復する。円防衛のための高金利は低金利政策に転換され、緊縮財政で疲弊した農村の救済を狙った積極財政へのギアチェンジが行われた。円安、低金利、積極財政の組み合わせは高橋財政と称される。

ケインズ『一般理論』に先んじる

 不況対策としての財政政策を説いたケインズの『 雇用・利子および貨幣の一般理論 』(普及版は塩野谷祐一訳/東洋経済新報社)。その刊行は1936年である。高橋財政はケインズに先行する独創的なものだったが、決して無手勝流だったわけではない。

 実は高橋は『一般理論』以前のケインズの著作に接していた。『随想録』を読むと、こんな記述が出てくる。いわく、「『ケーンズ』の説はすべてを承服することはできぬ。あれは英米資本家の説が加わっておったもの…」。国民経済に立脚した財政家だったのである。

 高橋財政のおかげで日本は各国に先駆けて世界恐慌からの脱却に成功した。積極財政の財源は赤字国債の発行であり、国債の日銀引き受けである。高橋の言葉を借りると、「日本銀行をして引き受けせしめる。そうして日本銀行は銀行なり保険会社なり個人なり『売ってくれ』と望む者がある場合、これを売ってやる」。

 というのも「国民にいきなり公募して行った日には追いつかない。…明らかに発行する公債は市価が安くなって、…公債を持っている会社、銀行、個人に対しては、ますますその富を減らすことになる」からだ。「公債を博打(ばくち)、賭け事の道具に使われてはたまらない」から、まず日銀に引き受けさせ、次に民間へ売り渡すというわけだ。

 当時も真っ先に危惧されたのはインフレだが、昭和恐慌下の日本ではヒト、モノ、カネがだぶついていた。「公債は出るけれども、その公債を出して政府が使った金は色々働きをしてまた再び中央銀行に戻ってくる」。これがひとまず昭和恐慌を克服した1934年3月時点での高橋の認識である(「時勢一家言」)。

高橋是清の肖像(出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」 https://www.ndl.go.jp/portrait)
高橋是清の肖像(出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」 https://www.ndl.go.jp/portrait)
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 しかし、長幸男『昭和恐慌』(岩波現代文庫)によると、1936年度予算編成の頃になると、満州事変をきっかけに強まった軍事予算の拡大で、軍需インフレの圧力が顕在化する。日銀による公債の市中売却にも支障を来すようになり、高橋は軍の予算要求に抵抗を試みる。そしてニ・ニ六事件。「高橋惨殺によって『財政の生命線』も踏み破られてしまったのである」(『昭和恐慌』)。

 21世紀に目を転じよう。白川方明日銀と民主党政権の時代に、日本が苦しんだのはデフレ不況と超円高だった。2008年のリーマン・ショック後の世界不況は、1929年以降の世界恐慌に相当する。安倍政権と黒田東彦日銀が二人三脚を組んで進めた、異次元の金融緩和と円高是正、機動的な財政政策は、装いを新たにした高橋財政といえるだろう。

100年前と変わらぬ課題

 そして今、デフレからインフレへと世の中の景色が変わるなか、21世紀の高橋財政であるアベノミクスも軌道修正を迫られている。何よりも生産性の向上が必要とされる。その点で、高橋が挙げる生産に必要な四大要素、つまり資本、労働、経済の能力、企業心の働きの議論は、100年近くたっても少しも古びていない。

 「企業心というものがなければ、物の改良も拡張もできず、新規の仕事も起こせない。多少の危険がある。初めて企業を起こす。…その企業に必要なのは経営者なのである」「労働者もそのとおり、労働者の能率が外国の労働者に劣っておった場合には、我が国の生産品が外国の生産品に負ける結果になる」(「どうすれば一国の生産力は能く延びるか」)。

 七転び八起きの人生をたどった高橋の現代へのメッセージはとても新しい。