貧しいスコットランド移民の子が電信局の配達人として働き始め、鉄道会社を経て、アメリカを代表する鉄鋼王へ。『カーネギー自伝』は内外の経営者や大志を抱く若者たちに広く読まれてきた。しかし、本書は単なる出世物語にとどまらない。ステークホルダーの重要性、富の分配や道義という、現代世界に突き付けられている課題への回答ともなっている。
渋沢栄一が翻訳に尽力
YKKの吉田忠裕相談役が日本経済新聞に2023年4月連載中の「私の履歴書」。YKK創業者である父・忠雄を記した連載2回目で、鉄鋼王アンドリュー・カーネギー(1835~1919年)に触れた箇所にハッとした。父が少年時代にカーネギーの自伝を読み感銘を受けたというのだ。
「他人の利益を図らなければ自らの繁栄はない」。カーネギーが繰り返したそんな言葉から、忠雄は「善の巡環(じゅんかん)」という経営哲学に行き着いたという。企業活動で得た果実は顧客、取引先、経営者と従業員を含む自社に分配すべきだ。そんな経営理念はステークホルダー・キャピタリズム(幅広い関係者に配慮する資本主義)に通じる。
1908年生まれの忠雄が接したのは、小畑久五郎訳で富山房から刊行された『アンドルー・カーネギー自叙伝』であろう。刊行は1922年5月。本書を手にしたとき、忠雄少年はカーネギーの成功物語に、どれだけ心を奮い立たせたことか。日本全国、いや世界中にはあまたの忠雄少年がいたはずだ。
訳書の成立に尽力したのは、誰あろう日本資本主義の父・渋沢栄一(1840~1931年)である。「富は目的にあらず」。渋沢もカーネギーのそんな生き方に共感した。生前4回にわたり訪米した渋沢はカーネギーとの面談を希望したが、時間が折り合わなかった。その無念が自伝の翻訳出版につながる。
今日、この本は『 カーネギー自伝<新版> 』(坂西志保訳/中公文庫/2021年)として容易に手に取れる。アメリカ文学者の亀井俊介氏とフランス文学者の鹿島茂氏の委曲を尽くした解説もうれしいが、収録された渋沢の一文「国家的観念の権化カーネギー氏」(1912年)からは、鉄鋼王に寄せる深い共感がほとばしる。
電信局の配達人として働き出す
スコットランドで父の事業が傾き、カーネギー一家は新大陸アメリカに移住する。13歳で働き始めたカーネギーの転機は14歳のとき訪れる。「ピッツバーグ市電信局の配達夫となり、傍ら電信技手たるの技術を修めたが、偶々一技手の知遇を得て、電信技手に抜擢(ばってき)さるるに至った」。
カーネギーは見よう見まねで電信の技術を習得し、当時としては先端を行く電信技手となる。やがてペンシルベニア鉄道に引き抜かれる。鉄道会社では実績を重ねたが、レールや鉄橋をつくるには鉄が必要、これからは鉄の時代と見抜き、製鉄所の経営に乗り出すのだ。
一見するとわらしべ長者のような成功物語。だが、決して脇目を振らず、本業に磨きをかけているうちに、次の道が開かれていくことに注目したい。電信-鉄道-鉄鋼とカーネギーの人生行路は一本道に貫かれている。それが可能になったのは、アメリカが本格的な産業革命を迎えた19世紀後半から20世紀に生きたという幸運な時代背景もある。
公平性を重んじる経営哲学
カーネギーにとって会社とは何か。電報配達人だった頃の思い出にその原点が見える。一定の距離を超えて配達すると「10セント余分の料金」がもらえた。その特別料金をめぐり少年たちにいざこざが起きそうになったとき、カーネギー少年はこんな仕組みを提案した。
「この特別電報の料金を合同資金としてため、毎週週末に現金を平等に分ける案」である。特別料金を共同資金としてためるというのは、「実際一種の会社組織であった」とカーネギーは振り返る。会社運営の公平性を重視する彼の経営哲学の根っこである。
従業員との接し方もおのずと決まってくる。「働く人たちに高給を支払うということはよい投資であって、またほんとうの意味での効率の配当を生むものだ、と私は確信している」。内部留保のため過ぎを批判され、今や賃上げを競い合っている日本企業の経営者は、この言葉をどう聞くのだろうか。
「資本と労働者と雇用主は三脚椅子であって、どちらがさきとか、上位だとかいうことがあってはならない」。つまり「三位一体で、三つとも欠くことのできないものである」。
そう言い切るカーネギーといえども、スコットランドへの里帰り中に起きた1892年のホームステッド工場のストライキでは苦汁をなめた。死者が出て、ペンシルベニア州の8000人の州兵が動員される事態を招いたのである。経営者に聖人はいない。
人心掌握のエピソードも満載
もちろんエピソードの持つ面白さから、さりげない成功の秘訣がくみ取れるのも、本書の魅力だろう。例えば大統領エイブラハム・リンカーン(1809~65年)のこんな話。彼は再選を望んでいるのに、自分からはそう言い出せず、サイモン・キャメロン陸軍長官にどうすればいいか聞いた。
「28年前にジャクソン大統領が、あなたがなさったように私を呼び出して、あなたと同じことを私にいったのです」。キャメロン長官は人を食ったエピソードを披露しつつ、秘策を伝えた。「いちばんいい方法は、嵐のさなかに船長は船を棄てるべきではないといって、どこか一つの州の議会が決議することなんです」というのだ。
「では、万事お任せします」と大統領。長官はジャクソンの際の決議を少し手直しして、州議会を通過させてみせた。再出馬の要請決議が相次ぐのに相好を崩したリンカーンは「きょうもう二つ、キャメロン、もう二つ!」と叫んだという。
90歳を超えたキャメロンから直接聞いた話を、カーネギーはこんなふうに書き留めた。これなどは、組織の上に立つ人がまねしたくなる人心収攬(しゅうらん)術だろう。
もう1つ、英首相ウィリアム・グラッドストーン(1809~98年)との対話も印象深い。「あなたのイギリスの星占いはどんなものですか」。大宰相に尋ねられ、カーネギーは率直に答えた。「英帝国がもはや工業国として優位を保持することができなくなるとしても、……世界の国々の間に道義の優勢を誇ることができる」。
「道義の優勢、道義の優勢」。グラッドストーン首相はそう繰り返し、物思いにふけっていたという。そう記すカーネギーの筆致は経営者の自伝を超えたスケールとなっている。資本主義に綻びが見え、国際政治が力の衝突する舞台に成り果てている。そんな今こそ、本書からくみ取れるメッセージは多いはずだ。