八重洲ブックセンター本店は2023年3月31日に営業を終了し、44年の歴史に幕を下ろす。1978年9月のオープン以来、本との出会いの場であり続け、東京駅八重洲口の顔として親しまれてきた。同店の内田俊明さんと柏明美さんに、開店以来の歴史や、数多く開催された著名作家によるイベントの思い出を聞いた。

八重洲ブックセンター本店が閉店

3月31日で44年の歴史に幕を下ろし閉店となる八重洲ブックセンター本店。店内ではフィナーレ・イベントが開催中
3月31日で44年の歴史に幕を下ろし閉店となる八重洲ブックセンター本店。店内ではフィナーレ・イベントが開催中
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 1978年9月のオープン以来、本との出会いの場であり続け、著名作家のサイン会も多数行ってきた八重洲ブックセンター本店。東京駅八重洲口の顔として親しまれてきた同店が3月31日で営業を終了し、44年の歴史に幕を下ろすことになった。東京都市計画事業の「八重洲二丁目中地区第一種市街地再開発事業」に該当するエリアのためで、同地に建設予定の超高層大規模複合ビル(2028年度竣工予定)への出店を計画している。本店閉店後も、他の8店舗の営業は続く。

 八重洲ブックセンター本店は44年前、無類の読書家として知られた鹿島建設社長で、政治家としても活躍した故・鹿島守之助氏の発案で開業した。「どんな本でもすぐ手に入る書店が欲しい」という同氏の意向通り、当時、書店としては国内最大規模の750坪の売り場に、20万点60万冊(倉庫在庫を含むと100万冊)もの本や雑誌が並べられた。

 その日本初の光景を見ようと、開店当日は黒山の人だかりができ、開店から数日間の来店者数は十数万人、1年間で1000万人。ビジネス街で、夜間人口が少なかった東京駅八重洲口の人の流れを一変させたといわれている。

 「今となっては意外なことですが、出店するときに、書店組合の反対にあったんです。異業種から大型書店を出した例がなかったことに加え、近隣の書店の営業を圧迫するということが理由です。反対運動の様子は新聞記事になり、東京都議会や国会でも議論されたようです。そして協議を重ねた結果、売り場をおよそ半分にすることに。地下1階から地上8階までの全9フロアで営業する予定が、地上4階までの5フロアに縮小。かつ、雑誌も文庫本もコミックも置かないという制限がありました」(八重洲ブックセンター本店営業部マネージャー兼フロアチームマネージャーの内田俊明さん)

「開店当初は、全9フロアで営業する予定が、地上4階までの5フロアに縮小。かつ、雑誌も文庫本もコミックも置かないという制限がありました」(八重洲ブックセンター本店営業部の内田俊明さん)
「開店当初は、全9フロアで営業する予定が、地上4階までの5フロアに縮小。かつ、雑誌も文庫本もコミックも置かないという制限がありました」(八重洲ブックセンター本店営業部の内田俊明さん)
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 「私が入社したときもまだ、専門書中心の品ぞろえでした」というのは、開店から5年後の1983年に入社して、30年以上ビジネス書を担当する柏明美さん。「文庫もメジャーな新潮や角川は扱えなくて、講談社でも専門的な学術文庫のみ。雑誌も『週刊文春』や『週刊現代』『週刊新潮』などの週刊誌は扱えず、『週刊東洋経済』や『週刊ダイヤモンド』などの専門的なものだけでした」(柏さん)

 そうした規制が少しずつ緩和されていくと同時に、売り場も増床していった。1986年には5フロアから6フロアになり、95年には8フロア、2005年にようやく当初の予定通り、全9フロアで営業するようになった。「86年の増床で誕生した5階の文庫売り場が、当時流通する文庫本約10万冊で埋め尽くされた光景を見て、言葉をなくすほどの衝撃を受けたことを覚えています」と柏さん。それまで、文庫は地下1階の地図売り場の小さな一角にあっただけ。それが1フロアすべて文庫売り場に。見応えのある圧巻の光景だったという。

「86年の増床で誕生した5階の文庫売り場が、当時流通する文庫本約10万冊で埋め尽くされた光景を見て、言葉をなくすほどの衝撃を受けたことを覚えています」(八重洲ブックセンター本店で30年以上ビジネス書を担当する柏明美さん)
「86年の増床で誕生した5階の文庫売り場が、当時流通する文庫本約10万冊で埋め尽くされた光景を見て、言葉をなくすほどの衝撃を受けたことを覚えています」(八重洲ブックセンター本店で30年以上ビジネス書を担当する柏明美さん)
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著名作家による数々のイベントを開催

 「節目ごとの周年イベントや、作家さんのサイン会も鮮明な記憶として残っています。故・宮尾登美子先生は何度もサイン会をやってくださいました。他によく覚えているのは、評論家の故・吉本隆明先生のサイン会です。1993年に発売された『イザイホー 沖縄・久高島』(吉田純・写真/吉本隆明・解説/ジュンフォト出版局)に関連して、吉本先生中心でサイン会を行いました。

 私はお世話係を任されて、こまごまと動いていたところ、突如、娘で小説家の吉本ばなな先生がやって来て、『お父さん、手紙書いてきた!』と隆明先生に手紙を渡されたんです。隆明先生宛てのファンレターではなく、ばなな先生自身が隆明先生宛てに書いたもの。ばなな先生はすでに小説『キッチン』(福武書店/1988年刊)で有名な存在だったので、私は今、すごく貴重な場に立ち会わせていただいている!と心を躍らせました」(柏さん)

 内田さんも、「何人もの先生方にお世話になりました」と振り返る。1991年に入社して、ずっとサイン会などのイベントを手掛けてきただけに、数々の思い出がよぎるようだ。

 「直木賞の選考委員歴がある北方謙三先生がちょうどデビューした頃に、八重洲ブックセンターはオープンしました。宮城谷昌光先生ともゆかりが深く、何度もサイン会をしていただきました。昨年亡くなった西村賢太先生は、7回もトーク&サイン会をしていただきました。小説家では最多です。新型コロナウイルス禍にならなければ、生前にもう1、2回ご登壇していただけたでしょう。残念ながらかなわぬ夢に終わりましたが、閉店に際して、同じ芥川賞作家で生前、西村先生と親交があった田中慎弥先生にご登壇いただいて、一周忌の追悼イベントを行いました」

7階にある講演会場。この場所で、「本と読者、著者と読者をつなぐ」数多くのイベントが開催されてきた
7階にある講演会場。この場所で、「本と読者、著者と読者をつなぐ」数多くのイベントが開催されてきた
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1階フロアの柱には著者からのメッセージも
1階フロアの柱には著者からのメッセージも
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 コロナ禍以前は、お酒の著作のある先生のトークを聞きながらお酒を飲む会など、飲食を伴うイベントも主催したという内田さん。森沢明夫氏の『ヒカルの卵』(徳間書店)の発売イベントでは、物語のモデルになった養鶏農家さんと森沢氏の対談を行うだけでなく、卵かけご飯をふるまった。「2013年のことで、イベントのチラシには『こだわりの卵かけご飯付き』と一言添えました(笑)」(内田さん)

(後編に続く)

取材・文/茅島奈緒深 写真/尾関祐治