元東京読売巨人軍代表で『2004年のプロ野球―球界再編20年目の真実―』(新潮社)著者の野球史家・山室寛之氏に、元オリックス・シニアチェアマン宮内義彦氏の『諦めないオーナー プロ野球改革挑戦記』(日経BP)編集者が球界再編の内幕や、身近で見た故・渡邉恒雄氏の素顔について聞いた(全2回の後編)。 *取材は2024年10月に実施した

前編  山室寛之 元巨人球団代表が明かす球界再編「前夜」と渡邊恒雄氏の素顔 から読む

山室寛之(やまむろ・ひろゆき)氏
画像のクリックで拡大表示
山室寛之(やまむろ・ひろゆき)氏
1941年北京生まれ。九州大学文学部卒業後、読売新聞社入社。広報部長、社会部長、西部本社編集局長を経て、98年東京読売巨人軍代表に就任。2001年読売新聞社総務局長、03年読売ゴルフ社長を歴任し現職。社会部記者時代は警視庁クラブで「プロ野球黒い霧事件」「富士銀行不正融資事件」などを取材。警視庁キャップ時は「三浦和義事件」「グリコ・森永事件」、社会部次長時に「リクルート事件」担当デスク、社会部長時は「オウム真理教事件」「阪神・淡路大震災」などの取材対応を指揮。新著に『2004年のプロ野球―球界再編20年目の真実―』(新潮社)。

日経ビジネスクロスメディア編集長 白壁達久(以下――) 前編では、セ・パ両リーグの話がまとまらなかった過去について、「セ・リーグのほうが歴史が古いことが関係している」と山室さんは分析されています。これはどういうことでしょう?

山室寛之氏(以下 山室) 日本のプロ野球は、1949(昭和24)年まで「日本野球連盟」という1リーグ体制で運営されていましたが、毎日新聞社が球団を設立して参入を希望したことに対し、読売ジャイアンツや中日ドラゴンズなどの既存球団が反対しました。結果、参入に反対する球団が「セントラル野球連盟」(以下セ・リーグ)、賛成する球団が「太平洋野球連盟」(以下パ・リーグ)を結成し、2リーグ制になる。

 敵国スポーツとして弾圧された時代から野球を知る球団が集まるセ・リーグと、球界の将来が見えつつあるときに球団が次々と変わっていったパ・リーグ。その歴史の差に、セ・パの意識の違いがあると私は思っています。

 「パ・リーグの犠牲の上にセ・リーグがある」などと、パ・リーグを被害者のように話す他の球団幹部がいます。でも、苦しい時代を生き延びてきたセ・リーグの球団にしてみれば、「それを知って野球界に入ってきたのはそちらの判断でしょう。なぜ努力しないのか」という感情を抱くのも無理はないと思います。

そのあたりは、『諦めないオーナー』の中で、オリックスの宮内さんも述懐されていました。

山室 宮内さんが著書で振り返っている「1対5対6」の理論。1が巨人、5が巨人の庇護の下にいるセ・リーグ球団、6は巨人やセ・リーグの放映権収入や人気をうらやむパ・リーグ球団という意味ですが、球界再編前の状況を表すには、まさに言い得て妙だと思います。巨人の恩恵を受けているセ・リーグ球団の経営も苦しい。一方、パ・リーグの立場で考えると、人気のあるセ・リーグ球団と対戦できる機会が、『日本選手権シリーズ(日本シリーズ)』と『オールスターゲーム』しかない。収益改善のために、とにかくセ・パ交流戦をして人を集めたい」というのも一理ある。ただ、巨人の庇護を受けているセの5球団は収入減につながるので反対する。結局、12球団で利害が一致せずに対立する。これでは、赤字を改善するための議論はなかなか進みませんよね。

「1対5対6」の構造はこの20年で変わりましたか?

山室 2004年以降、明らかに変わったでしょう。ただ、昔のような「1対5対6」という強固な構造ではないものの、パ・リーグ球団には、やはり巨人戦、もしくは東京ドームで試合を主催したいという潜在意識が残っていると思います。今も年1回、福岡ソフトバンクホークス主催で「鷹の祭典」という名のゲームを東京ドームや京セラドーム大阪で開催しているはずです(編集部注:2024年は「白のキセキ」名で開催)。野球の国際試合の中核拠点として使われ、プロ野球の中心との印象が定着している東京ドームで試合を主催すると、知名度と利益がかなり上がりますから。

なるほど。こうしたセ・パ両リーグの歴史の違いや、選手のメジャー流出などの経緯を経て、ロッテとダイエーの合併案の浮上などのさまざまな問題が一気に噴出したのが、2004年ですね。

山室 時系列で話すと、当時、経営難が目立ったパ・リーグでは、近鉄とダイエーの「身売り」話が、ほぼ同時並行で進んでいました。6月にオリックスによる近鉄の合併構想を、宮内氏から渡邉氏に伝えられて明るみに出て、近鉄が消滅して「セ6・パ5」の2リーグ制が想起された。

 7月7日のプロ野球オーナー会議では、当時の西武ライオンズの堤義明オーナーが、オリックスと近鉄の合併に続き、もう1組の合併が進行中だと報告。パ・リーグの球団数が減少することを踏まえ、4球団をセ・リーグに加え「10球団1リーグ制」を提案。巨人オーナーの渡邉恒雄氏も賛意を示しました。

1リーグ10球団構想の実現性を、山室さんはどう見ていますか。

山室 宮内さんの『 諦めないオーナー 』にも、ダイエーとロッテの合併構想について書かれていましたね。実際にあったのでしょうが、どこまで詰めて話していたのか。というのも、前年の03年に福岡ドームは、当時の所有者であったダイエーの経営悪化に伴い、外資系の投資会社に売却されています。その契約の中で、球団の移転には莫大な違約金が発生することになっていたそうです。

 一方の千葉ロッテ。これは『 2004年のプロ野球―球界再編20年目の真実― 』(新潮社)でも書いていますが、ロッテが以前のホーム球場である川崎球場から千葉マリンスタジアムへ本拠地を移転した際に、水面下でセ・リーグも協力している。地主との調整などもあり、千葉市が千葉県に対して5億円近い費用を払って移転が実現した過去がある。

 それを考えると、ダイエーとロッテの合併というのは、針の穴に糸を通すよりも難しいもので、そう簡単に実現できる話ではない。そのあたり、宮内さんや堤義明さんがどこまで試算をしていたのかが気になりました。

「10球団1リーグ制」が「2リーグ制が理想」に

山室 話を2004年当時に戻しましょう。「10球団1リーグ制」への流れが見えてきた矢先の7月8日、記者から「選手会長がオーナーと会いたがっている」と聞かされた渡邉氏は、「無礼なことを言うな。分をわきまえないといかんよ。たかが選手が」と口走ってしまいます。ファンの怒りを買い、世論の不満がどんどん膨らんでいきました。

 7月13日、1リーグ制を容認する姿勢だった阪神タイガースの久万俊二郎オーナーが突然、「2リーグ制がいい」と言い出した。阪神の球団社長、野﨑勝義氏が2リーグ制にするために、セ・リーグの各球団へと説得行脚を始めます。

 私が一番注目したのが、7月16日です。小泉純一郎総理を招いた政治部OB会のあとで、渡邉氏とパ・リーグ会長の小池唯夫氏が、約30分に渡り野球に関する議論を行ったという事実がある。ここで渡邉氏は小池氏に、「2リーグ制が理想だ」と伝えました。

1週間で、渡邉氏の発言が変わったんですね

山室 渡邉氏が面白いのは、「急に発言が変わったわけじゃない」と毎日新聞のインタビューで答えていること。さらに7月23日のスポーツニッポンには、特ダネが掲載されています。阪神の野﨑球団社長が2リーグ制維持案を各球団に説明して回る、いわばセ・リーグの反乱に対し渡邉氏は、「4球団に縮小した後、巨人がセ・リーグを脱退しパ・リーグに加わる究極の選択を胸に用意している」と話している。2リーグ制を匂わせる発言が、実にうまい表現で書かれていました。

 9月、球団数の現状維持を求める選手会が、史上初のストライキに突入。この騒動の功績は、2005年からセ・パ交流戦が正式に導入され、ファンサービスに力を入れるようになったことでしょう。セ・パ交流戦の導入によって、パ・リーグの球団は観客動員数の増加を達成しました。

一般社会からはヒール役に見られることが多かった渡邉さん。どのような方でしたか。

山室 「野球協約」もしっかりと読み込み、赤鉛筆での書き込みがビッシリとありました。協約に対する考え、知識はほかのオーナーよりも深い。それでいて、恐れずに発言する。2000年代前半に、実行委員会では野球協約の改訂が議論されていました。ブランディングだけでなく、やはりプロ野球は青少年の健全育成に役立つ文化的で公共的な使命があるとして、野球の目的のなかに「文化的公共財」を入れようと主張したのは巨人でした。

04年の球界再編を、山室さんはどのように見ますか。

山室 球界全体が大きく変わる転換点でしたね。その後、セ・パ交流戦が始まり、入場客数の実数発表も行われるようになりました。それまでは、(東京ドームの)客席に空きがあっても毎回「5万5000人」と発表されていました。巨人だけでなくどの球団もです。どんぶり勘定をやめて、企業の社会的な責任を果たすという意識が強くなったきっかけは2004年にある。球団は赤字経営が当たり前という常識が覆され、球団と球場の一体運営に力を入れていくことになり、いろいろなサービスをそれぞれの球団が考える起点になりました。

 ただ、 前編 でも話したとおり、メジャーリーグへの選手の流出や、野球人口の減少は、NPB(日本野球機構)全体で深刻に受け止めて、対策を打っていく必要があるでしょう。少子化も深刻です。ファンだけでなく、世界に誇る高いレベルのプレーヤーの減少をどう食い止めるか。ここはプロ野球界が先頭に立って立ち向かうべきです。

『2004年のプロ野球―球界再編20年目の真実―』(新潮社)と『諦めないオーナー プロ野球改革挑戦記』(日経BP)
『2004年のプロ野球―球界再編20年目の真実―』(新潮社)と『諦めないオーナー プロ野球改革挑戦記』(日経BP)
画像のクリックで拡大表示

オーナー視点のプロ野球史である『諦めないオーナー』と、球団代表も経験された山室さんが野球史家としてまとめた『2004年のプロ野球』。一人のプロ野球ファンとして、その歴史を立体的に、より深く知ることができました。あらためてご著書を読まれた方、全国のプロ野球ファンへメッセージをお願いします。

山室 2004年当時、私は巨人軍の代表を退任し、兵庫県西宮市の読売ゴルフ株式会社の社長として、山の中から球界の騒ぎを見ていました。退職して野球の歴史を研究するなかで、2004年問題はどうしても取り上げたい気持ちがありました。

 この問題は、渡邉氏の害悪論が吹聴されがちですが、そうした表面的な印象とは別に深層部分を探る必要があると思いました。また、例えば前作の『 1988年のパ・リーグ 』(新潮社)を執筆したとき、千葉ロッテマリーンズ球団代表の松尾守人氏から、本拠地の千葉への移転に関してセ・リーグが全面協力したとの話を聞いた。それが2004年の球界再編にも影響を及ぼしているので、そうした歴史を無視して、2004年だけを論じるのは間違いではないかと思いました。

 深層部分から「真実」と呼べる何かにたどり着きたいと、5年かけて資料を読み込み、関係者に取材しました。すでに亡くなられた方も多く、すべてを聞き出すことはできなかったですが、少しはそこにたどり着いたのではないかと思います。歴史に目を向けることで、プロ野球の未来を考えるきっかけになれば幸いです。

聞き手/白壁達久(日経ビジネス) 文/高島三幸 構成/市川史樹(日経BOOKプラス編集) 写真/竹井俊晴