経営学者のヘンリー・ミンツバーグは、「戦略とは事前に計画されるものではなく、実際にビジネスを進めて顧客の反応を知り、現場の声を聞き、試行錯誤の上にわき上がってくるものだ」と主張します。名著 『戦略サファリ』 (ヘンリー・ミンツバーグ、ブルース・アルストランド、ジョセフ・ランペル著/齋藤嘉則監訳/東洋経済新報社)を、入山章栄・早稲田大学ビジネススクール教授が読み解きます。 『ビジネスの名著を読む〔マネジメント編〕』 (日本経済新聞出版)から抜粋。
実践への応用を重視する経営学者
『戦略サファリ』ほど経営戦略論の知見を幅広くビジネスパーソンに伝えようとする本は、他に存在しません。近年の経営学は国際化が進み、世界中の経営学者が同じ土俵で研究をしています。他方で組織・人間の意思決定は複雑で曖昧なので、学者によって分析の立脚点が異なります。結果、様々な視点が提供され、乱立しています。
著者のヘンリー・ミンツバーグは、それらを10の「スクール」にまとめ、「サファリ(旅)」にして見せたのです。
スクールの分類にはミンツバーグの個性が強く反映されています。率直に言って、これと同じ分類をする学者は欧米でも多くありません。同書は経営戦略論の広範な知見をカバーしながら、「その切り口は極めてミンツバーグ流」であると理解して読むことが重要なのです。
彼の個性とは何でしょう。第一に「実践への応用」を重視する姿勢です。彼は2014年、世界最大の経営戦略学会ストラテジック・マネジメント・ソサエティーから「最もビジネスの実践に貢献する学者」としての賞を受けました。現在の経営学は学術面を重視するあまり、実務への視点がおろそかになることもあります。ミンツバーグはその意味で異色なのです。
同書では1960年代に主要な考え方が発表され、現在の学術研究では見向きもされなくなったデザイン・スクールを最初に紹介しています。その基本モデルである「SWOT分析」(企業の内的状況と外的状況を評価する分析手法)が良くも悪くも実務家に浸透していることを踏まえてのことでしょう。
ミンツバーグの第二の個性は「戦略とは実践を通じて徐々に出来上がってくるもの」という彼の主張にあります。同書で最初に紹介されるデザイン・スクール、プランニング・スクール、ポジショニング・スクールを彼は厳しく批判します。これらが事前の戦略設計・計画を重視するあまり、「机上の空論になりかねない」というのです。
ジョブズ以外のアップル成功の立役者
ここからは、この第二の点を深掘りしてみましょう。ミンツバーグの有名な業績の一つは、1987年に「ハーバード・ビジネス・レビュー」誌に発表された、「Crafting Strategy(戦略を作る)」という論文です。
この論文でミンツバーグは、「戦略とは事前に計画されるものではなく、実際にビジネスを進めて顧客の反応を知り、現場の声を聞き、試行錯誤の上にわき上がってくるものだ」と主張しました。
実際「当初の事業構想」と「最終的に成功した事業の形」が異なる例は、枚挙にいとまがありません。ここでは、代表的な三つの事例を挙げてみましょう。
第一にグーグルです。今や超巨大IT企業の同社も、もともとはサーゲイ・ブリンとラリー・ペイジの2人が、スタンフォード大学在籍時代の1990年代末に立ち上げたベンチャーです。ブリンとペイジが当初構想していたのは、彼らの開発した検索アルゴリズムを他のインターネット・ポータルに売ることで収益化するビジネスでした。
しかし、この仕組みではもうからないことが分かってくると、二人は別の収益化の方法を模索しました。実は、今のグーグルの事業モデルの柱となっている広告とページランク・システムの仕組みを先行して生み出したのは、オーバーチュアという会社です。グーグルは、このオーバーチュアの手法を取り入れることで、一気に収益化に成功したのです。同社の現在の絶対的な収益モデルは、そもそも計画されたものではなかったのです。
実は、アップルも似たようなところがあります。同社の創業者であるスティーブ・ジョブズとスティーブ・ウォズニアックが、創業当初からコンピューター開発における技術・デザインを重視していたのは間違いありません。しかし、同社の「マーケティング」に決定的な影響を及ぼしたのは、創業後に加わったマイク・マークラだと言われています。
それまでジョブズとウォズニアックは、コンピューターというのは、あくまで専門家の使うものと考えていました。それをマークラは、アップル社のコンピューターを「一般の家庭で使ってもらうようにしよう」と主張したのです。
結果として開発された「アップルⅡ」は、大ヒット商品となりました。しかも、この大ヒットのきっかけになったのは、ジョブズもウォズニアックもマークラも想定していなかった、教育機関からの大量受注でした。このアップルⅡの大成功により同社はIPOを実現するわけですが、それをもたらした顧客はまったく「計画外」のところから来たわけです。
戦略設計だけでは「絵に描いた餅」にも
最後にウォルマートです。世界最大の小売企業である同社ですが、その成功の背景の一つが、リテール・リンクやEDIといった同社の巨大なITシステムにあることはよく知られています。同社はITシステムを通じて、膨大な顧客情報を収集し、ロジスティクスの効率化を測り、結果として在庫を徹底的に減らしながら品切れを起こさない仕組みを作っています。
しかし、このITシステムの導入を決断したのは、創業者のサム・ウォルトンではありません。ウォルトン自身は常に節約を重視し、それは同社が低価格戦略を追求する起源になったといえますが、逆にそれゆえに、高額なIT投資を拒んできたのです。
ウォルトンを説き伏せてITを積極的に投入したのは、後に2代目CEO(最高経営責任者)となるデビッド・グラスです。ウォルトンが計画していた事業モデルをグラスが事後的に修正したからこそ、今のウォルマートの姿があるのです。
このように、今大成功している企業の事業モデルの多くは、「とにかく事業を始めて」「現場や顧客の声を聞き」「他社や仲間の意見を聞いた」結果として、事後的にわきあがってきたものなのです。これらの事例は、まさにミンツバーグの主張にかなっています。「計画」「戦略設計」は確かに重要ですが、それだけでは絵に描いた餅になりかねない、ということです。
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