経営学者のヘンリー・ミンツバーグは、マイケル・ポーターが『競争の戦略』で打ち出した戦略フレームワークを筆頭とするポジショニング・スクールを厳しく批判します。その理由は? 名著 『戦略サファリ』 (ヘンリー・ミンツバーグ、ブルース・アルストランド、ジョセフ・ランペル著/齋藤嘉則監訳/東洋経済新報社)を、入山章栄・早稲田大学ビジネススクール教授が読み解きます。 『ビジネスの名著を読む〔マネジメント編〕』 (日本経済新聞出版)から抜粋。

ポジショニング・スクールへの批判

 本書の素晴らしさは、広範な経営戦略論の知見を、10のスクールに整理したことにあります。その切り口や各スクールへの評価は「ミンツバーグの色」が濃く出ています。

 中でも彼が厳しく批判するのが、同書の第4章で紹介されるポジショニング・スクールです。同スクールは、1980年代に世界の経営学を席巻し、現在もMBAの経営戦略論の授業・教科書の基本となっています。

 同スクールの筆頭は、ハーバード大学のマイケル・ポーターが著書『競争の戦略』(ダイヤモンド社)で打ち出した戦略フレームワークの数々でしょう。ボストン コンサルティング グループ(BCG)の有名な「成長率・市場占有率マトリックス」も、同スクールの一部です。しかし、ミンツバーグによれば、その起源は19世紀の軍事思想家クラウゼヴィッツや紀元前の「孫子の兵法」にまで遡るのだそうです。

 さらにこれらには「戦略とは限られた選択肢にまで絞り込める」という思想上の共通点があるとも指摘しています。それ以前の戦略論は戦略の生み出し方を探求することが中心で、戦略の中身には様々な可能性を考えてきました。一方、ポジショニング・スクールでは「遂行すべき」戦略を特定できるのです。

 ポーターの競争戦略なら、規模の経済を追求する「コスト・リーダーシップ戦略」、あるいはライバルと異なる製品・サービス提供を追求する「差別化戦略」がそれに当たります。両者は対極にあるので、「どちらか一方を選んだら、もう一方はあきらめなければならない」というのがポーター流の考えです。

 ミンツバーグはこれを批判します。一例として同書では、ファッション性が高い(差別化ができている)にもかかわらず、低コストも実現したベネトンなどを引き合いに出しています。企業には相反する2つの戦略を同時に実現できる可能性があり、ポーターの主張はその可能性を奪うものだ、ということなのです。

リーダーとなったサムスンの秘密

 ここからは、ベネトンのように「対局にある戦略」を同時に追求する、別企業の例を取り上げてみましょう。それは韓国のサムスン電子です(このケーススタディの情報の一部は、ハーバード・ビジネス・スクールのケース「Samsung Electronics(by Jordan Siegel&James Jinho Chang)」とその関連資料を参考にしています)。

 中でもサムスン電子の半導体(メモリー)ビジネスは、興味深い事例です。1980年代までの世界の半導体市場はNEC、東芝、日立など日本メーカーが席巻していましたが、その後台頭したサムスンに市場を奪われました。では、サムスンは半導体でどのような戦略をとってきたかというと、それはコスト・リーダーシップと差別化の両取りだと言われています。

サムスンはコスト・リーダーシップと差別化の両取り戦略をとった(写真:shutterstock)
サムスンはコスト・リーダーシップと差別化の両取り戦略をとった(写真:shutterstock)
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 半導体には、「18カ月から24カ月ごとに集積度が倍増する」という「ムーアの法則」があることがよく知られています。したがって半導体メーカーは、この法則に合わせて数年に一度、大掛かりな投資を行い、新世代の半導体を開発しなければなりません。

 この状況でサムスンは、他社に先駆けて新世代技術に大きな投資を行うことで知られています。これはリスクのあることですが、他方で先行投資により市場を先に占有し、他社よりも先駆けて高機能品を作ることを可能にします。結果、サムスンの開発する新世代半導体は、他社の新世代製品よりも高い値付けがされます。先行投資と技術優位による「差別化戦略」をとっているのです。

 他方でムーアの法則により、新世代にとって代わられた旧世代の半導体は大幅に価格が下落します。しかしサムソンは、こちらでは逆に他社よりも低い価格を付けています。

 もともと先行投資をして技術蓄積が他社よりもありますので、それがコストを下げることに貢献するのです。結果として、利幅は薄くても幅広い顧客から大量受注を得ることで、「薄く、広く」収益を得ているのです。すなわち同社は、旧世代の半導体市場では「コスト・リーダーシップ戦略」をとっているのです。

杓子定規な戦略では成功できない

 このようにサムスンの半導体事業は、コスト・リーダーシップと差別化の両取りを実現しています。まさに、「一つの戦略に絞り込め」というポーターの主張と真逆なのです。

 ちなみに筆者個人としては、このサムスンの半導体ビジネスは、かなり特殊な事例と考えています。なぜなら、ムーアの法則という半導体特有の条件がないと、この両取り戦略は成立しないからです。

 すべての企業でこのようなことができるわけではありません。したがって、サムスンやベネトンのような事例を挙げることで「ポーターが役に立たない」と言うのはやや極論に過ぎる、と筆者は考えています。

 しかし、このような「特殊解」は、もしサムスンの経営陣が(ポーターの推奨するように)最初から半導体の戦略を1つに絞り込んでいたら、実現しなかったかもしれません。その意味では、やはり戦略を杓子定規に限定せず、柔軟に対応すべきというミンツバーグの言葉は重いと言えるでしょう。

 では、そのミンツバーグが支持する戦略スクールとは何なのでしょうか。連載第3回でそれを紹介していきましょう。

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