近年、将棋の新しいファンとして定着してきたのが、将棋を指さないけれど熱心に対局を見る「観る将(みるしょう)」と呼ばれる人たちだ。こういったファンが出現した背景とその影響、楽しみ方を広げた本について、髙野六段に伺った。
1回目「
髙野秀行六段 AIのない時代に藤井聡太さんは勝てないのか
」
2回目「
髙野秀行六段に聞く 棋士の生きざまに引き込まれる名著
」
2023年に「観る将」という言葉が「ユーキャン新語・流行語大賞」のトップ10に選ばれましたが、2019年に刊行されたのが、髙野先生も著者のお一人である『 将棋「観る将になれるかな」会議 』(髙野秀行・岡部敬史・さくらはな。/扶桑社新書)です。
髙野 ちょっと時代を先取りし過ぎましたかね(笑)。
いやいや(笑)。将棋を「観る」うえで役立つ情報が詰まった本ですよね。
髙野 将棋の番組って、専門用語が多いんですよね。「棋風」とか「受け」とか「駒がさばける」など、棋士は割と普通に使いますけど、初めて将棋中継を見た人は分からない。
本書はそんな将棋中継を初めて見る人のための専門用語解説や、棋士の特徴を図を使って解説していたり、タイトル戦の特徴を説明したり。
髙野 あと、棋士と女流棋士の違いとかね。さくらはな。さんの漫画も交え、役立つことを楽しく解説できていると思います。
「観る将」という言葉に代表されるようにファンは多様化していますから、もっといろんな本が出てきてもいいですよね。
髙野 それは「観るための本」だけでなく、「指すための本」にも期待したいです。
やさしい本も出てきたといえども、やはり将棋の解説本は難しいものが多いですよね。
髙野 漫画の解説書があってもいいんじゃないですかね。古い本なので、現在はあまり一般には流通してないのですが、この『 ニャロメのおもしろ将棋入門 』(赤塚不二夫/池田書店)が名著なんですよ。
『天才バカボン』で知られる漫画家・赤塚不二夫さんが描かれた、全編漫画の将棋解説書ですね。これは読みたい!
髙野 この本の「はじめに」を読むと同じ池田書店から刊行されていた『絵とき・将棋入門』(米長邦雄・監修/飯野健二・著)や『中原の将棋を始める人のために』(中原誠・著)、『親と子の将棋教室』(大山康晴・著)などを参考にしたとありますが、エッセンスを抜き出すテクニックが抜群で、じつに楽しく将棋の基礎と技術が学べるんです。
将棋の技術書ってどうしても棋譜が多く難しいですから、こういった漫画の解説書ももっと増えていってほしいですね。
「観る将」たちが好きなことを語れる時代に
さて、この「観る将」という人たちが出てきた背景には、どういった要因があると思いますか?
髙野 大きなポイントはインターネットやSNSとの親和性の良さでしたね。それ以前もNHKのBS放送で棋戦が中継されるなどはありましたが、そこまでブームにはならなかったですもん。
テレビとネットの違いは何ですかね。
髙野 ネットは同じ映像であっても、いろんな切り取り方ができますよね。
おやつとか、将棋飯とか?
髙野 そうそう。あと対局場となる旅館とか和服とかもありますね。そういった切り取り方ができるから、勝負だけでなく、いろんな観点で楽しんでもらえるようになった。また、以前は、そういったことをおおっぴらに話していいものかという雰囲気もありました。
指し手じゃなく、デザートの話かよって(笑)。
髙野 そう! みんなそんなことを話題にしてもいいのかなって思っていたんですよね。そんなときネットが出てきて、SNSなどでみんなが好きなことを話題にできるようになったから「私も気になっていたことを言いたい!」と広まったのではないでしょうか。
このネット中継の広がりに加え、人工知能(AI)による評価値表示によって有利不利が分かりやすくなったこと、そして藤井聡太さんというスターの登場が重なって、見る人が増えた気がしますね。
髙野 あと個人的に大きな影響力があったと思うのが、羽海野チカさんの漫画『 3月のライオン 』(白泉社、リンクは1巻)です。将棋が青春ドラマの舞台になり、女性からのイメージがとても良くなりました。累計発行部数は1000万部を超えているそうですが、将棋界のイメージがガラリと変わった契機だったと感じますね。
東京・千駄ヶ谷の将棋会館近くには『3月のライオン』のデザインマンホールがありますが、ファンはそのカードを求めてやってきています。
髙野 以前では考えられない光景ですよね。こうしてライトなファンが増えていたという下地があったから、ネット中継されたり、おやつのことが報道されたりするようになったときに、ファンが爆発的に増えたんだと思います。
かつては、将棋に強くないと、将棋のことを話題にしてはいけないという空気があったとも聞きました。
髙野 そうですよ。弱いやつが何を言ってるんだと(笑)。これは棋士の世界でもそうでして、かつては若い四段、五段が、タイトル戦はもちろん、先輩の将棋を解説するなんて考えられないことでした。
それはどうやって変わったんですか?
髙野 時代とともに少しずつですね。ABEMAの将棋中継の解説に、若手からベテランまで、みんな出させてもらったことも大きかったですね。私が若い頃、解説できる場といえば西新宿の高層ビル街の「55HIROBA」などで開催される野外での解説会くらいでした。
屋外の解説会は、今でも東京・新橋のSL広場でやってますよね。
髙野 私はよく新宿に行ったんですよ。まだ、指し手がFAXで送られてくる時代でした。お客さんには缶ビールを飲んでいい気分になってる人も多く、「弱いのが解説してんじゃねーぞ」とか言われて鍛えられました(笑)。
藤井聡太は子どもたちの「ちょっと大きなお兄ちゃん」
髙野先生は、世田谷区などで子どもたちに将棋を教えておられますが、教室を始めて何年になりますか?
髙野 15年です。
それだけの期間だと、やはりブームが来たようなときもあったと思うんですが。
髙野 いちばん大きかったのは第1次藤井聡太ブームの時ですね。デビューの翌年の2017年に29連勝していた頃です。
申込者が殺到?
髙野 教室の体験レッスンが半年待ちの状態でした。
そのブームに乗って習おうという子は、親御さんが連れてくるんですか?
髙野 そういう子も見受けられました。ルールを覚えるのも結構大変だったりして。だから長く続かない子が多かったですね。ただ、ブームが落ち着いてみると、やはり藤井聡太さんという存在は大きくって。子どもたちにとって、藤井さんはちょっと大きなお兄ちゃんなんですね。そういう人が、大人をビシバシやっつけるわけですから、子どもたちは憧れるんですよ。ブームが去った後も、一定の割合で教室参加者が増えていったのは、藤井さんの影響が大きいと思います。
ちなみに15年やられていて、プロになりたいという子はいますか?
髙野 ほとんどいないですね。それはちょっと指してみると無理だと分かりますから。ただ、それが分かっても長く教室に通ってくれる子はいます。今、勝ち負けをつけられる場所って、あまりないじゃないですか。そういう意味からも、将棋をよい習い事だと選んでくれる人はいます。
長く通う子の特徴などありますか。例えば親子関係などに注目してみると、特徴めいたようなものが見えませんか。
髙野 子どもが始めたから、自分も勉強してみようという親御さんがいる家庭は長く続く気がしますね。特別に伴走をする必要もないですし、途中から伴走できなくなる競技なんですが、初めの頃は一緒にやってあげることは大事かなと。
そうすれば家でもやりますしね。
髙野 そうなんです。ピアノ教室に入っても教室でしか弾かなかったらうまくなるはずないですよね。それと同じで、家でも将棋に触れている子は実際に強くなるし、だから楽しくもなる。
将棋の効果や効能を期待して習わせる親御さんもおられますか?
髙野 お受験雑誌で紹介されたこともあるんですが、将棋を指したからって頭がよくなったりはしませんよ(笑)。
そりゃそうですよね。難関中学に入りたければ将棋教室よりも塾に行ったほうがいい。
髙野 そうですよね(笑)。もちろん集中力が高まるとか、ずっと座ることで行儀が良くなったりはしますが、将棋を指せば難関中学に合格できるとかはありません(笑)。
将棋はAIの「実験場」に最適
将棋を習えば受験に合格できるなんてことはないという話でしたが、仕事についてはどうでしょうか。将棋がビジネスの役に立つことはあるでしょうか?
髙野 将棋に経営の要素を見て取る人はいると思います。菊池寛は「将棋」と題した文章でこんなことを言ってるんです。「将棋はとにかく愉快である。盤面の上で、この人生とは違った別な生活と事業がやれるからである。一手一手が新しい創造である」と。
将棋を事業に見立てているんですね。
髙野 将棋にはいろんな駒があります。そういった駒をどう生かしていくのかというのは、ビジネスの人材活用などに通じるような気もします。あと勝又清和七段が、私が担当する大学の授業のゲスト講師に来てくださり、将棋を経営に例えて話してくださったのが面白かった。
どんなふうにですか?
髙野 例えば「駒の効率→社員の働き。囲い→社屋、安全度」って説明するんですよ。それで現代将棋って、王様をあまり囲わなくなったと話を展開して。
堅固な守りを固める「穴熊」のようにガッチリ囲う将棋が減りましたよね。
髙野 その講義を聞いた後に、社屋が在宅勤務で縮小されたり、机がフリーアドレス方式になっているのが似ていると考えたりもしまして。
なるほど。現代将棋と現代社会がシンクロしているというわけですか。
髙野 勝又さんの視点はすごいなと、いつも感心して聞いているんですよ。
これからのビジネスの重要キーワードであるAIとも、将棋は親和性が高いですよね。
髙野 明治大学の教授で、認知科学を応用したエンターテインメントの開発を専門にされておられる福地健太郎さんが「将棋はAIの良い実験ツール」と言っておられるんですよ。
それは、面白い表現ですね。
髙野 ですよね。将棋はルールは比較的シンプルなのに奥が深く、AIが研究する実験場に最適なゲームスケールなのだとか。そしてその実験を将棋界でやってみたところ、「最後は自分で考え抜く人が強い」という流れになっているのが興味深いです。
つまりAIは選択肢を出してはくれるけど、決断するのはプレーヤー、ビジネスにおける経営者であると。
髙野 そういうことですよね。AIがいろんな選択肢を出してくれても、結局指すのは自分ですからね。
AIと少し距離を置いているように見える佐藤天彦九段や山崎隆之八段が結果を出していることにも通じる話ですね。
髙野 AIはまだ黎明(れいめい)期なんです。登場した頃は、多少「AI絶対主義」という風潮もありましたけど、そこから少し時間が経ち、AIと距離を置いた人も活躍しているようになっています。
それは将棋の奥深さ故か、あるいはAIの特性でしょうか。
髙野 そのあたりは、まだこれから分かってくることだと思いますね。
取材・文/岡部敬史 構成/市川史樹(日経BOOKプラス編集) 協力/渡辺和博(日経BP総研) 写真/木村輝




