直木賞作家の伊与原新さんに、「科学と物語」や、研究者としての経験が作品づくりにどんな影響を与えているのかを伺う本連載。2回目は伊与原さんならではの表現の工夫について聞きました。
1回目 「作家・伊与原新 地方を舞台に紡ぐ、好奇心から始まる物語のつくり方」 から読む
作家
伊与原さんの作品では、科学的な題材が物語の中に自然に溶け込んでいて、読者としても「知らないうちに学んでいた」という感覚があります。サイエンスと物語の関係について、どのように考えていらっしゃいますか?
僕は「科学の魅力を伝えたい」という意識を、あまり前面に出したくないと思っているんです。読者にサイエンスを教えよう、というような意図を持って書くと、どうしても説明的になってしまいますから。あくまで、小説は物語を楽しむものであって、その中で自然に知識が身に付いていた──それくらいがちょうどいいと思っています。
もちろん、書く前には相当調べます。調べるのは好きな性分なので、そこに時間をかけること自体は全然苦ではありません。ただ、昔はつい書き過ぎてしまうところがあって、基礎から説明しようとする癖があったんですね。今はようやく、「必要な部分だけ、最小限に出す」というバランスが分かってきた気がします。
情報や娯楽があふれる今、“小説離れ”も指摘されています。小説という媒体ならではの魅力とは何だと思いますか。
小説は読者が自分の想像力を使って世界を再構築しなければならない、能動的な娯楽だと思っています。小説家、カート・ヴォネガットの「文学は、観客が演者であることを要求する唯一の芸術だ」という言葉に強く共感していて。例えばセリフ一つとっても、声色や間の取り方、表情やしぐさ、舞台となる場所の空気感──そういったものを全部、読者自身が再現しないといけないんですよね。読者が物語の世界に没入して、登場人物たちの感情や視点を深く追体験できるという点で、小説は非常に優れたメディアだと思っています。
映像作品はパッと見るだけでその世界の中に入り込むことができますが、文字による小説は作者の描写だけを頼りに一つひとつ再現する力が求められる。一定の助走が必要ではありますが、入ってしまえば深く没入できる。それが小説ならではの魅力ではないでしょうか。
目指すのは「誰が読んでも同じ景色が浮かぶ」ように書くこと
確かに、小説の世界は一人ひとりの頭の中で再構築されますね。その再構築を助けるために心がけている表現上の工夫はありますか?
僕は比較的、解釈の幅をあまり広く取り過ぎないようにしています。「曖昧さを残すことで多義的な読解の可能性を広げる」というような書き方もあるとは思うんですけど、僕自身はあまりそういうスタイルではないですね。読者に自由な解釈を許していないので、僕は(笑)。
目指しているのは、「誰が読んでも同じ景色が浮かぶ」ように書くこと。かつて研究者として論文を書いていたときの感覚と近いのかもしれません。論文を書くときには、「誰でも実験を再現することができて、同じ結果が出る」ように、手順を丁寧に記述しますよね。僕の小説も、それに近い発想で書いているところがあります。
登場人物がなぜそのセリフを言ったのか、どんな気持ちだったのか、なぜその行動を取ったのか──すべてに理由があります。「僕はこの情景を思い浮かべながら書きました。読めば、同じような景色があなたにも浮かぶはずです」という明快な伝達ができたらいいなと思っているんです。
近年、理系のテーマを扱うフィクションやエンターテインメント作品が増えている印象があります。この現象をどうご覧になっていますか?
やっぱり、今の世の中が「何を信じたらいいか分からない」と感じる状況にあるからこそ、科学に光が当たっている面があるのではないでしょうか。フェイクニュースや陰謀論が簡単に広がる時代だからこそ、「人間には理性や知性があり、信頼できる存在なのだ」という確認を、作品を通じて求めるようになってきているのかもしれません。
例えば広く読まれている漫画作品の『 チ。―地球の運動について― 』(魚豊著/小学館、リンクは第1集)は、15世紀の欧州を舞台に、当時タブー視されていた地動説を命懸けで研究していた人たちに光を当てた物語です。人間の知性や合理性が否定されていた時代に、どうやって科学の成果を生み出していったのか、まさに原点に立ち返った作品だと思います。
小説を通じてより広くサイエンスの魅力が伝わっていく効果を、ご自身も実感しているのではないでしょうか。
最近は一層感じることが多いですね。僕自身の作品においても、定時制高校の科学部の研究活動とそれにまつわる人間模様を描いた『 宙わたる教室 』(文藝春秋)はテレビドラマ化されたこともあって、広く届いた実感がありました。
うれしかったのは、モデルとなった定時制高校の研究活動そのものに注目が集まったことです。ユニークでありながら長らく注目されてこなかった取り組みを小説という形で表現したことで、光が当たるきっかけになったのはよかったことだなと思います。
日ごろから科学館に足を運ぶような人でなくても、小説やドラマを通じてサイエンスの面白さを知るきっかけになる。物語が持つ大きな力だと思います。
取材・文/宮本恵理子 構成/市川史樹(日経BOOKプラス編集) 写真/稲垣純也



