直木賞作家・伊与原新さんに「科学と物語」について伺う本連載。今回はビジネスパーソンにお薦めしたいサイエンスと歴史への視野が広がる良書と、女性科学者・猿橋勝子の人生を描いた新刊『翠雨の人』について聞きました。

1回目 「作家・伊与原新 地方を舞台に紡ぐ、好奇心から始まる物語のつくり方」
2回目 「作家・伊与原新 「陰謀論の時代」に理系テーマの作品が果たす役割」 から読む

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伊与原 新(いよはら・しん)
作家
1972年、大阪府生まれ。神戸大学理学部卒業後、東京大学大学院理学系研究科で地球惑星科学を専攻し、博士課程修了。富山大学助教時代の2010年『お台場アイランドベイビー』(KADOKAWA)で横溝正史ミステリ大賞を受賞して作家デビュー。『月まで三キロ』(新潮社)で新田次郎文学賞を受賞。21年『八月の銀の雪』(新潮社)で直木賞候補、25年『藍を継ぐ海』(新潮社)で第172回直木賞を受賞。25年7月に女性科学者・猿橋勝子の人生を描いた小説『翠雨の人』(新潮社)を刊行。

ビジネスパーソン向けに、最近読まれて面白かった本を教えていただけますか。

 ビジネスとは直接関係ない本かもしれないのですが、最近あちこちで紹介しているのが、沖縄科学技術大学院大学(OIST)でオーロラの研究をされている片岡龍峰さんの『 日本に現れたオーロラの謎 時空を超えて読み解く「赤気」の記録 』(化学同人)です。

『日本に現れたオーロラの謎 時空を超えて読み解く「赤気」の記録』(片岡龍峰著、化学同人)/画像クリックでAmazonページへ
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 これが本当に素晴らしくて。最近よくニュースでも、北海道でオーロラが見えたって話が出てきますよね。太陽活動が活発な影響なんですが、実は過去にも京都とか四国とか、もっと低緯度の場所でオーロラが観測された記録が残っているんです。古くは飛鳥時代、江戸時代、そして現代へと続く「オーロラの謎」について、片岡さんは古文書を丹念に読み解きながら、「そのときに本当にオーロラが見えたのか?」という問いを検証していきます。

 例えば、藤原定家が自身の日記『明月記』に記した空の現象や、江戸時代に描かれたオーロラの絵図『星解』などと、現代のシミュレーション結果を突き合わせて、「これはオーロラの描写と一致します」というふうに。バリバリの物理学者でありながら、歴史学者や国文学者たちと組んで、斬新なアプローチをされているんです。

 読んでいて、本当にミステリーを追っているような感覚になりますし、いわゆる“ネタ本”にもなるというか、誰かに話したくなるような内容という点で、ビジネスパーソンの方との相性もいいのではないかと思います。

火山と神話の関係を地質学のデータを使って整理

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他にもお薦めの本があれば教えてください。

 もう一冊は『 火山で読み解く古事記の謎 』(蒲池明弘著/文春新書、Kindle版)です。似た印象のタイトルが続きますが、この本は、「なぜ古事記の舞台が南九州と出雲と熊野なのか?」という問いが出発点になっています。そしてその問いに対して「すべて火山地帯だから」という説明を展開していくんですね。南九州には阿蘇や桜島があって、熊野も実は大きなカルデラがあった。出雲も縄文時代までは火山活動が活発だった地域だったと、著者の論は展開されていきます。

『火山で読み解く古事記の謎』(蒲池明弘著、文春新書)/画像クリックでAmazonページへ(リンクはKindle版)
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 さらには神話の中に出てくるスサノオとかヤマタノオロチ、天岩戸(あまのいわと)の話も、実は火山活動と結びついている可能性があると。明治生まれの物理学者であり文学者の寺田寅彦など、火山と神話の関係を唱えていた人は昔からいたらしいのですが、それを地質学のデータを活用して整理し直していて、美しさを感じるほど。

 いわゆる“新説”ですが、こじつけじゃなくてちゃんとデータがともなっているので、説得力があります。読んでいて「なるほど」と思わせてくれる本です。古事記をテーマにしつつ、火山の知識も自然と入ってくるので、興味の入り口としてもちょうどいい一冊だと思います。

本を書くときも読むときも、「未知の探索」を楽しんでいることが伝わってきました。伊与原さんの最新刊『 翠雨の人 』(新潮社)はどんな小説なのでしょうか。

『翠雨の人』(新潮社)/画像クリックでAmazonページへ
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 日本の女性科学者の草分け的存在であり、自然科学の分野で顕著な研究業績を収めた女性科学者に贈られる「猿橋賞」の創設者でもある猿橋勝子さんをモデルにした評伝的な小説です。米ソの原水爆実験による海洋放射能汚染の実態を究明したことで世界的に知られています。

 この題材に取り組もうと思ったきっかけは、僕の大学院時代の恩師で、「猿橋賞」の選考委員をされていた浜野洋三先生から「猿橋さんって面白い人なんだよ」と聞いたことだったんです。その人生について大まかに聞いただけで、「これは小説にしなければ」と即座に思いました。

 猿橋さんは、もともと海洋の化学組成の研究をされていた方ですが、ビキニ水爆実験で被曝(ひばく)した第五福竜丸の「死の灰」(放射性物質を含んだサンゴのかけら)をたまたま分析することになり、そこから一気に、放射能汚染の研究にのめり込んでいくんです。

 その分析結果がアメリカから否定されたときには、単身アメリカに乗り込んで「私のデータは正しい」と主張して、正面から対決するような場面もある。実に波瀾(はらん)万丈の人生であり、その使命に導かれた足跡に触れるにつれ、書いて届けたいという気持ちが湧いてきました。

初めての評伝小説、執筆のご苦労もあったのではないでしょうか?

 そうですね。正直、大変でした。特に戦前・戦中の科学研究のことになると、資料が本当に少ないんですよね。あの時代の研究者たちがどんな環境で働いていたのか、女性がどういう扱いを受けていたのか、当時の雰囲気が分からない。そこを想像ではなく、事実に即して描くには、地道な調査が必要でした。

 でも、だからこそ書く意義があると思えたんです。たくさんの困難を乗り越えて、自分の研究を貫いた女性科学者がいたという事実を多くの人に知ってもらいたい。猿橋さんを通じて、「科学とは何か」「信念とは何か」ということを少しでも感じてもらえたらうれしいです。

取材・文/宮本恵理子 構成/市川史樹(日経BOOKプラス編集) 写真/稲垣純也