野中郁次郎・一橋大学名誉教授と竹内弘高・ハーバード大学経営大学院教授の名著、 『知識創造企業』 (梅本勝博訳/東洋経済新報社)では、暗黙知と形式知という2種類の知識が、4つのプロセスを経て知識創造につながると説明します。本書を、岸本義之・武庫川女子大学経営学部教授が読み解きます。 『ビジネスの名著を読む〔マネジメント編〕』 (日本経済新聞出版)から抜粋。
知識創造 4つのパターン
暗黙知と形式知という2種類の知識はどのようなプロセスを経て、知識創造につながるのでしょうか。著者は4つのパターンを示しています。
1つは暗黙知を暗黙知として伝えるプロセスで、共同化と呼びます。弟子が親方から技能を学ぶように経験をともにして、観察や模倣によって暗黙知を共有します。
2つ目は暗黙知を形式知に変換するプロセスで、表出化と呼びます。言葉になりにくいコンセプトを他人に伝えるためには、メタファー(伝えたい概念を抽象概念になぞらえる)や、アナロジー(具体的な要素に例える)が用いられます。
3つ目は、形式知を形式知に変換するプロセスで連結化と呼びます。数値データを集計・分析したり、定性情報を整理・分類したりして、新たな意味を導き出すことなどです。
最後は形式知を暗黙知に変換するプロセスで、内面化と呼びます。形式知として得た情報や知識は、その人の過去の経験と結びついた形で、暗黙知としてのノウハウに昇華します。
欧米企業でのイノベーションは、才能を持った個人が主導する場合が多く、どのようにして知識が変換・創造されたのかは本人以外にはわかりません。日本企業のように集団で行われるイノベーションは、人から人へどのような知識・情報が伝わったのかを、ケーススタディとして調べることができます。
『知識創造企業』では、日本企業のケーススタディを取り上げ、暗黙知と形式知が相互作用しながら、組織の中で新たな知識を生み出すプロセスを解明しました。4段階のプロセスはその英語の頭文字をとってSECIモデルと後に名付けられました。
このプロセスは、今でも日本企業の製造や開発の現場に残っていて、それが「ものづくり」の「すりあわせ」と呼ばれています。しかしながら、それがイノベーションと言えるレベルになっていないのが、今の日本企業の悩みなのです。
複写機開発のヒントは缶ビール
形式知の共有を重視する欧米的なナレッジ・マネジメントとは異なり、『知識創造企業』では、日本企業を例にとり、知識がどのようにして創造されるのかというプロセスについての考察を行っています。
本書で紹介されている事例の1つ、キヤノンによるミニコピアの開発は1979年にスタートしました。すでに1970年に普通紙複写機市場に参入していたキヤノンは、小企業や個人事務所、さらには一般家庭でも使えるような小型多機能製品を開発するよう、研究者たちに要請しました。
製品のだいたいのイメージとしては、(1)鮮明で安定したコピーが取れる、(2)世界最小・最軽量(20㎏以下)、(3)最小の普通紙複写機の価格の約半分(20万円以下)、(4)可能な限りメンテナンスフリー、(5)クリエイティブで楽しさの要素がある、というものでした。しかし、この段階ではまだ技術的な見通しはなかったといいます。
このプロジェクトの実現可能性の調査研究チームとして、平均年齢28歳のメンバー14名(研究開発8名、生産3名、マーケティング2名、デザイン1名)が集められました。ここでの重要な問題とは「なぜ普通紙複写機はあんなに高いのか」でした。
普通紙複写機の大部分は複雑でデリケートな画像複写機構を用いており、紙詰まりを別にすれば、サービス・エンジニアが処理するトラブルの97〜98%はドラムとその周りのメカニズムに関係していることがわかりました。したがって、このメンテナンスを減らすことができれば、複写機はもっと安くできるのです。
何度かの合宿で議論を重ねたのですが、コストを下げようとすれば信頼性も下がるということで、解決策はなかなか見つかりません。しかし、1つのアイデアが現れました。もし感光ドラムとその周りの現像器やトナーを一体化して使い捨てできるようにしたら、どうだろうか、というものでした。
そうすれば定期的なメンテナンスもいらなくなります。また、部品の高寿命化を図らなくて済むため、低コスト化が可能になります。さらに、ドラム周りをカートリッジにしてしまえば、機構も簡略化でき、部品も少なくて済むので、低コストと高信頼性が同時に達成できることになります。
では、そのカートリッジをいくらで作れるのか、が問題となりました。アルミの引き抜き材をベースにした従来の感光ドラムのシリンダーを低コストで作るといっても、それには限度があります。
合宿で議論をしていたチームは、ビールを飲みながらも議論を続けたのですが、そのとき、手にした缶ビールを見て、「この缶を作るのにいくらコストがかかるだろう」という話になりました。同じアルミ製品の製造プロセスとして、何が共通で、何が違っているのか、という検討をした結果、カートリッジの大きな低コスト化につながる技術を編み出すことになりました。
この調査研究チームの分析結果を見て、キヤノンは全面的な開発を決め、1980年に130人(のちには200人)の正式なタスクフォースを発足させました。当時はまだカメラ主体の会社であったキヤノンですが、同社の最大のヒット商品であったAE-1というカメラになぞらえた「複写機のAE-1を作ろう」というスローガンの下、生産技術などの部門も巻き込んでいきました。さらには営業やソフトウェアの部門も巻き込み、最後には当時の賀来龍三郎社長の自宅にまで最終段階のマシンを置いてテストしてもらいました。
こうして完成したキヤノン・ミニコピアは1982年に発売され、大ヒット商品となっただけでなく、470の特許(うち340がカートリッジ・システム)をキヤノンにもたらしました。
逆転の発想で低コストと高信頼性を両立
前述したような、パーソナル複写機の5つのイメージは、インフォーマルな議論を何度も繰り返したのちに、経営陣によって設定されたガイドラインでした。単にこれまでの延長線上で、より小型の複写機を開発するというのではなく、家庭でも使えるような、段違いに小さなもの(20㎏以下)を、段違いに安い価格(20万円以下)で提供するというように、インフォーマルな議論で浮かび上がった暗黙知的なイメージが、言葉として表現されたのです。
低コストと高信頼性という相反する問題の解決には、頭の切り替えが必要であったと当時の調査研究メンバーは述べています。どんなアプローチがありうるかを列挙する「拡散する頭」と、製品を作るのにどんな技術を使うのかを考える「収束する頭」です。
この拡散と収束を何度かの合宿で行った結果、複写機構の全体を長寿命の部品の集まりと見るのではなく、寿命が一定の使い捨て部品からなっているという、逆転の発想が出てきました。合宿などでのブレーンストーミングは、この暗黙知を組織の暗黙知に変換するための「共同化」の手法として有効であると、著者は述べています。
そして、カートリッジを低コスト化させるアイデアとして、缶ビールのアナロジーが用いられました。メタファーとアナロジーは、暗黙知を形式化する表出化の際に用いられる手法です。どちらにも「比喩」という訳語が与えられることがありますが、著者はこの2つを別の概念として捉えています。
メタファーは、自分が伝えたい(抽象的な)コンセプトを、相手が知っているコンセプトに全体的に似ていると伝えるものです。「複写機のAE-1を作ろう」というスローガンは、具体的に何をどうしようと言っているわけではないので、メタファーの例と言えます。
アナロジーとは、自分が伝えたいコンセプトのうちの具体的な要素について、他のものにどう似ているのかという共通点を伝え、逆に違いをも明らかにしようというものです。アルミ・カートリッジとアルミのビール缶は、どちらもアルミ製の筒状のものですが、片方は高く、片方は安いという違いがあります。では、ビール缶を作るようにしてカートリッジを作れないのか、という具体的な検討に移りやすくなります。
暗黙知を形式知に変化する表出化は、知識創造のサイクルの中で最も難しい部分ですが、逆にいうと、知識創造の神髄でもあります。メタファーやアナロジーは、このプロセスにおいて重要な働きをするのです。
多くのビジネスパーソンが読み継ぐ不朽の名著を、第一級の経営学者やコンサルタントが解説。難解な本も大部の本も内容をコンパクトにまとめ、ポイントが短時間で身に付くお得な1冊です。
日本経済新聞社(編)/日本経済新聞出版/2640円(税込み)