野中郁次郎・一橋大学名誉教授と竹内弘高・ハーバード大学経営大学院教授の名著、 『知識創造企業』 (梅本勝博訳/東洋経済新報社)では、日本企業の暗黙知の強みが、米国企業の形式知の強みと相互補完することで効果を発揮した例も紹介されています。本書を、岸本義之・武庫川女子大学経営学部教授が読み解きます。 『ビジネスの名著を読む〔マネジメント編〕』 (日本経済新聞出版)から抜粋。
知識創造はグローバル展開できるか
暗黙知に基づく組織的な知識創造は日本人にしかできないのでしょうか。同質性が高いとされる日本人の特性にその理由があるのなら、知識創造をグローバル展開するのは無理なのでしょうか。
日本的な知識創造を、西洋的なスタイルと対比させてみると、次のような特徴があります。
第1に西洋では個人の中で知識創造が行われますが、日本ではミドルマネジャーに率いられた集団が知識創造を担います。
第2に西洋では文書化された形式知が重視されますが、日本では直感、比喩的言語、体験によって暗黙知が共有されます。
第3に西洋的組織は明確な分業が尊重されますが、日本的組織では境界があいまいです。
著者は知識創造のプロセスをSECI(共同化、表出化、連結化、内面化)の4段階に分けています。日本企業は暗黙知を暗黙知として伝える共同化と、形式知を暗黙知に変える内面化に強く、欧米企業は暗黙知を形式知化する表出化と、形式知を形式知に変換する連結化に強いと言えます。
米モトローラやゼネラル・エレクトリック(GE)が品質管理(QC)のために「シックス・シグマ」と呼ばれる手法を編み出したのは有名な話ですが、その原型は日本のカイゼン活動にあります。QCサークル活動は生産現場の労働者たちが経験的な暗黙知を共有して効率化を図るものですが、そのままでは海外では展開できません。
シックス・シグマはそうした暗黙知的な方法論を形式知に転換したものであり、日本的な強みと西洋的な強みを合わせた組織的知識創造が有効に機能した例と言えます。
日本的な強みのみに立脚していると、暗黙知が暗黙のまま留まってしまいます。著者は日本的な知識創造の落とし穴として、誤った多数派の意見や強硬な意見に流されやすい傾向がある点と、過去の成功体験に過剰適応しやすい点を挙げています。
あぶり出された企業文化の違い
『知識創造企業』では、日本企業が暗黙知の活用(共同化と内面化)に強く、欧米企業は形式知の活用(表出化と連結化)に強いという特徴を挙げています。この両者が統合されれば、グローバルな規模の組織的知識創造も可能になるのですが、それにはもちろん困難も伴います。
両者のスタイルの違いがどのように摩擦を起こし、それを乗り越えるとどのような成果が上がるのでしょうか。それには、日本企業の海外での事業展開や、日本と欧米企業との合弁事業のケーススタディが示唆をもたらしてくれます。
本書で紹介されている事例の1つ、新キャタピラー三菱(現・キャタピラージャパン)は、米国キャタピラーと三菱重工業との合弁会社キャタピラー三菱(1963年設立)が、三菱重工の油圧ショベル事業と合併して1987年に設立された会社です。その後、2008年には三菱重工の出資比率が下がり、社名がキャタピラージャパンに変更され、2012年にキャタピラーの100%子会社になりました。
当初から三菱重工は、自社の油圧ショベル技術に自信を持っていたため、キャタピラー三菱と三菱重工の油圧ショベル部門の合併交渉に関して、メリットが少ないとして1977年にいったん白紙に戻していました。しかし80年代になり、コマツが米国市場に参入して競争が激化し、キャタピラーが50年ぶりに赤字に転落すると情勢が変わり、2社の合併が実現しました。三菱重工から見ると、自社の技術をグローバルに展開する販路が開かれたことになります。
新会社が発足して、REGAシリーズという、日米欧の工場で生産される油圧ショベルの開発が始まりました。しかし、日本と米国の製品開発方式の違いが、次のような多くの衝突を引き起こしました。
(1)優先順位の違い
三菱重工ではコストを最重要視し、そのコストの中で品質のよいものを作ろうとしますが、訴訟社会の米国では安全性が最重視され、たとえ高価格であっても高性能なものを顧客は買うとキャタピラーは考えていました。
(2)開発思想の違い
三菱重工では研究開発(R&D)部門が主導して製品仕様を決めるため、最小コストが達成できないなら、仕様を変え、販売価格も引き下げます。しかしキャタピラーでは、マーケティング部門の意見が強く反映されます。利益の半分以上を部品とアフターサービスが稼ぎ出すので、ディーラーやユーザーにとっての価値が重視されていました。
(3)生産方式の違い
三菱重工では、プロトタイプ、パイロット機、量産準備が並行して行われるラグビー式でしたが、キャタピラーは前段階が終わってから後段階が始まるリレー式でした。
(4)設計思想の違い
三菱重工は、自社の明石工場の特長を生かして設計デザインも独自のものにしようと主張しましたが、キャタピラーは世界的に部品の互換性を保ちたいので、世界的標準化を主張しました。
これらの違いは、単なる言葉の壁によるものではなく、アプローチ方法の違いでした。最終的には新キャタピラー三菱が性能と安全性の点では妥協しないということ、進行については定期的にキャタピラーに報告するということを条件に、REGAプロジェクトの大枠は日本的な製品開発手法に任されることになりました。
知識創造の日米のスタイルは対照的
新キャタピラー三菱では、2人の本部長、2人の副本部長(それぞれ日本人と米国人)が机を並べて仕事をすることになり、多くの米国人エンジニア(最終時点の1992年には21人)が在籍してプロジェクトにあたりました。米国人はわからないことにすべて「Why?」と質問したのですが、ほとんどの日本人は、なぜだ、なぜだ、と聞かれると答えられなくなったといいます。日本人エンジニアたちは、暗黙知に基づくコミュニケーションが外国人には通用しないことを思い知らされました。つまり、表出化(暗黙知の形式知への変換)が重要な課題となったのです。
日米欧の3工場で生産するための合同会議が開かれましたが、そもそもキャタピラーでは米国工場と欧州工場のエンジニアが顔を合わせることもなく、図面を送り合うだけの関係でした。一方、三菱重工のスタイルでは、設計部門と工場の関係が緩やかで、工場は現場で図面を修正していました。与えられた設計図に従わないことを誇る気風まであったのです。
キャタピラーのエンジニアは、完成製品の設計図だけでなく、製造プロセスの図面も作製し、950あまりの組み立て作業手順にも詳細な文書説明を作成しました。まさに暗黙知を形式知化しようとしたのです。以前の日本人エンジニア同士の作業では、課長が「こう決めた」と言えば、「なぜ」と質問する人はいなかったのですが、外国人にもはっきりとあいまいなところがないように説明しなければならなくなったのです。
1991年、日本人の課長がキャタピラーの米国工場に赴任し、設計図に基づいて生産を行う際にぶつかる問題を、現場の人たちと一緒に解決するという仕事に就きました。キャタピラーにはこういう仕事はなく、そもそも設計者が工場を訪れることもありませんでした。日本的な現地・現物主義とは、まさに現場で暗黙知を共同化することです。
キャタピラーの工場では、コスト削減の意識もあまりありませんでした。米国に赴任した日本人課長が明石工場でのコスト削減の苦労話をするうちに、キャタピラー工場の米国人も興味を示すようになり、その課長の体験談と手書きのメモをもとに、米国人スタッフ数人が6カ月でコンピューターのコスト・モデリング・システムを作り出しました。これは米国人による連結化(形式知の新たな形式知への変換)の強みです。
こうして開発されたREGAは92年に発売され、販売計画を上回る実績を上げました。この開発プロジェクトにおいては、日本的な合同会議や現地・現物主義のような共同化の手段、ラグビー型の自己組織的な開発プロセスが用いられ、米国的な詳細図面、作業のマニュアル化といった表出化の手段と、コスト・モデリングという連結化の手段も用いられました。両者が共同チームを組むことによって、お互いの強み・弱みを認識し、相互補完を行うことができたのです。
暗黙知の世界にこもると周回遅れに
本書がケーススタディとして取り上げた事例は1980年代のものが中心で、その当時はまだ製品輸出によるグローバル化が中心でした。新キャタピラー三菱のように日米の文化が衝突するほどのプロジェクトは当時まだ珍しく、日本企業の現地の組み立て工場に日本人が赴任して現地エンジニアを教育する程度でも十分に先進的でした。
しかし、今の時代にその程度のグローバル化では海外のライバルに引き離されてしまいます。品質管理のノウハウはすでにかなり形式知化されて普及しています。欧米企業が新興国企業と組んで、形式知化されたノウハウを最大限に活用すれば、かなりのスピードで事業を拡張することも可能でしょう。それに対して、日本国内で暗黙知の世界にこもっていては周回遅れになってしまいます。
海外企業と連携して、暗黙知と形式知の強みを組み合わせることが、今後のグローバル競争を勝ち抜いていくための鍵になるのではないでしょうか。
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