マーケットデザインやマッチング理論の研究で輝かしい国際業績をあげてきた小島武仁教授。2020年、スタンフォード大学から東京大学に移籍、東京大学マーケットデザインセンター(UTMD)を立ち上げ、保育園選択や新入社員配属のマッチングアルゴリズムなど数々の社会実装を実現しつつある小島教授に今後の展望を聞く。 『使える!経済学 データ駆動社会で始まった大変革』 から抜粋・再構成してお届けする。
実学志向を持ちつつ理詰めでアプローチ
──小島先生が経済学を学び、マッチング理論やマーケットデザインを研究テーマに選んだきっかけを教えてください。
私の経歴の特徴としていえることは2つあります。1つはもともと数学や物理学など理詰めで考える学問が好きだったことです。大学入学当初は理系の学部へ行こうと考えていましたが、途中で経済学に転向しました。それまで、社会の勉強とは既存の制度や社会の仕組みを覚えることだと考えていた私は、数学的なツールを使って、理論的に制度や社会の仕組みを作れるということに衝撃を受けたのです。こうした実学志向を持ちつつ理詰めで考えるというアプローチは、マッチング理論やマーケットデザインという現在の研究テーマにもつながっています。
もう1つは海外経験が長いことです。米国のハーバード大学で学位取得後、スタンフォード大学で10年ほど教えていました。学部時代は松井彰彦先生(東大教授)のもとで主にゲーム理論を学び、マーケットデザインに興味を持ったのはハーバードに行ってからです。
UTMD立ち上げ、社会実装に手ごたえ
──最近の活動・研究の進展について、お聞かせください。
2020年、スタンフォードから東大に移籍して大きく変わったのは、社会実装により深くコミットするようになった点です。東大に移る際に「東京大学マーケットデザインセンター(UTMD)」の立ち上げの話があり、その際に多くの組織的補助をいただくことになったのが大きな転機になりました。
社会実装にはスタンフォード時代からずっと興味があって、日本の事例に着想を得た研究論文もいくつか書いていたのですが、個人でそれを実践するのは難しいと考えていたのです。そのタイミングで、UTMDのお話をいただいたことが1つの大きな転機になりました。
経済学の社会実装は我々のUTMDで積極的に進めています。例えば、日本の医療機器メーカーのシスメックス社では、人事分野での実装を進めており、新入社員の配属などにマッチングアルゴリズムを活用しています。これらの実例をもとに、有用なデータも得られたので、今後はもっと大規模な実装を計画中です。
また、保育園の待機児童問題にも取り組んでいて、最近、研究知見の一部を東京都多摩市に採用していただけることになり、いよいよ実装段階に入って、手ごたえを感じているところです。
──経済学の社会実装は、今後どのような形で進むでしょうか。
いまは社会実装を進めるうえでとてもいいタイミングだと感じています。手前味噌になりますが、私がセンター長を務めるUTMDには多くの企業から相談が寄せられています。また、我々のセンターのチームに限らず、社会実装に関わる経済学者も増えつつあるので、社会実装はこれからぐっと進むのではないでしょうか。当然ながら、この領域はこれまで以上に、研究者と官民の個人や組織が一緒になって取り組む流れが加速するはずです。
博士号取得者を積極採用するGAFAM
──米国ではGAFAMが経済学の博士号取得者を積極的に採用するなど、アカデミアと企業との接点が増えていると聞きます。
グーグルの収益源となる広告モデルを設計した経済学者ハル・ヴァリアンなどももともとはそうでしたが、ミッドキャリア以上の経済学者に関しては大学の職を持ったまま、1、2年、あるいはパートタイムで関与するケースが多いように思います。日本でも大学に軸足をおいて企業と協業する我々のようなケースがある一方、今後、企業活動にフルコミットする人がどの程度増えていくかは、正直まだよくわかりません。米国でも企業に就職する経済学者も増えましたが、再び大学に戻る人もいて、全体としてその傾向はあるにしても、まだ様子を見ながら、という人も多いと思います。
一方で若手に関しては、博士取得後から企業に就職する例は増えていて、こちらは今後も増えていくのではないかと感じています。
一口にGAFAMといっても企業によってさまざまな違いがあり、例えばマイクロソフトのようにリサーチ部門が強い企業には、純粋に論文を書くことを目的とするような経済学者が集まるので、自然と研究者同士の交流が始まります。非常に好待遇ですし、おもしろいデータもとれるので、そうした環境が優秀な研究者を引きつけるのでしょう。日本でも、もっとコミットする企業が出てきてほしいと願っています。
社会実装に向いている人の3つの資質
──経済学の社会実装に携わる人に向いている資質はありますか。
1つはよくいわれるように、経済学者として一定の研究知見を持ちつつ、企業などの方ともきちんとコミュニケーションをとれること。2つ目は世の中のドメイン(特定領域)の知識、例えば保育園に関しては保育園事情、人事であれば人事分野での知識や経験を勉強しようとする姿勢です。というのも、社会実装は非常に扱う領域が広いので、その分野のドメインの知識を持った経済学者がいないことも多く、制度を含めてドメインの知識を積極的に学ぼうとする姿勢が大切になります。
3つ目はやや逆説的でもあるのですが、純粋にアカデミックな経済学の知識を持っていること。最新の経済学の知識を正しく使うためには、やはり専門知識が必要です。現状の経済学の知識でわかっていないこともたくさんあるので、その場合も、誰に頼めば適用できるか、将来どうすれば適用できるかを見極めるには、経済学のしっかりした知識や研究経験が不可欠です。社会実装においてはそうした専門知識を持った人と、それを実装できる人がチームとしてうまく回していくのが理想ですね。
経済学者の知恵を使いこなしてほしい
──UTMDに相談する際のヒントがあれば教えてください。
まずは、気軽にご相談いただきたいというのが大前提です。そのうえで、我々の研究活動は外から見るとわかりにくいこともあり、ご相談いただく際に、我々ができそうなこととクライアント側の希望が食い違っていることがあります。ですので、もし可能であれば、事前に我々のホームページや書籍、最近はYouTubeなどの動画も公開しているので、そうしたものをご覧になったうえでご相談いただけると、より話がスムーズかもしれません。
また、我々にご相談いただいて、残念ながらあまり話が合わなかったなという場合も、あきらめず他にどんどん相談していただきたいですね。UTMDでは特定のマーケットデザイン技術を実装の核にしているので、一般的なコンサルティングファームにしばしば見られるように、自分たちの知見からかけ離れたサービスを提供する体制をとっていません。しかし、そういうときもビジネス案件を豊富に扱う東京大学エコノミックコンサルティング(UTEcon)にご紹介するなど、いくつかのご提案が可能ですので、ぜひ、いろいろな方法を試していただければと思います。
──社会実装のうえで経済学以外にこんな知識が(意外と)役に立つということはありますか。
経済学の専門知識以外には、やはりきちんとチームとして働けることが大事です。私も紙と鉛筆で理論をやっていた人間なので、感覚的によくわかるのですが、理論の世界では全部自分でやれば済むわけです。でもそれでは、自分の得意分野以外の問題にぶつかったときに困ってしまう。いまは、チームとしてさまざまな得意分野を持った人が集まっているので、本当に助けられています。
ビジネスパーソンの方には釈迦に説法かもしれませんが、チームの活動ではコミュニケーションをとって相互理解を深めながら、権限を委譲していくことも必要です。例えば企業の方には、社内の制度やデータ提供という点でコミットしていただきたい一方、経済学の知識に関しては我々をもっと信頼していただきたいなと感じることもあります。実際、企業の方がよかれと思ってやっていることも、研究者から見るとうまくいかないことが予測できるケースがあったりもします。
そう考えると、研究者は現場の方の仕事へのリスペクトが必要だし、経済学の専門的な領域に関しては、我々にお任せいただけることが、相互にとってよい結果につなげる第一歩なのかもしれません(もちろん意見に食い違いがある際には話し合うことが重要であることが大前提ですが)。
──経済学の社会実装について学びたい学生やビジネスパーソン、経営層にメッセージをお願いします。
学生の皆さんは、アカデミックな知識を習得することが大切なので、まとまった時間が取れる学生時代はしっかり勉強してほしいですね。また、これからは経済学に限らず、大学院レベルの知識がより重視されていくことが予想されるので、大学院で学ぶことも積極的に考えていただけたらと願っています。
ビジネスパーソン、特に経営者の方に関しては、まずは社会実装に興味を持っていただき、私どもに気軽に声をかけてほしいと思います。その際はデータ提供も含め、どんどんコミットしていただきたいです。
これはややポジショントークになってしまうのですが、米国や海外では、専門的な知見をビジネスに活用するために、経済学者を積極的に雇用する流れが加速しています。日本の企業の皆さんにも、もっと経済学を学んだ人、特に最新の知見を身につけた若い人たちをどんどん雇ってほしい、そう願っています。
写真/小島武仁教授提供
経営、マーケティング、人事、各種制度設計、医療・健康などで急速に進む経済学の社会実装の世界を紹介。研究と実践の両方で活躍する8人の研究者、坂井豊貴、渡辺安虎、成田悠輔、仲田泰祐、野田俊也、上武康亮、小島武仁、井深陽子が執筆。
日本経済研究センター編/日本経済新聞出版/2200円(税込み)