「やめる」という言葉には、ネガティブな印象がつきまとう。「あきらめる」「断念する」「失う」。しかし本当にそうだろうか? 多くの人は人生に「埋没(サンク)コスト」を抱えている。それは「せっかく◯◯したのだから」という言葉で表すことができる思考や行動パターンのことだ。今回、 『「やめる」という選択』 の著者で、2020年に日本マイクロソフトを卒業した澤円氏と、 『逆・タイムマシン経営論 近過去の歴史に学ぶ経営知』 の著者で、一橋ビジネススクールの楠木建教授に、「やめる」ことの戦略的な側面について語ってもらった。後編のテーマは、「物事の本質をつかむための選択」について。
物事の本質と「逆・タイムマシン」
楠木建氏(以下、楠木):よく「本質を見よ」と言われるのですが、その本質が何かということに関しては、議論がされていないと思うんです。辞書的には「物事の起点にある性質」という意味合いなんですが、僕は「そう簡単には変わらないもの」が本質だと考えています。
『逆・タイムマシン経営論』という僕の本では、新聞や雑誌を10年寝かせて読むことを勧めているんですよ。それは僕が、この本を書くずっと前からのルーティンなんですが。
澤円(以下、澤):「過去の記事に遡って読む」ということですね。
楠木:仕事上ある会社について、例えば任天堂という会社について調べるとしますよね。そのとき、新聞や雑誌の中から1つを決めて、古いものから順番にすべての記事を読んでいくんです。例えば「日経ビジネス」を選んだとします。この雑誌は創刊してから50年余りたっているんですが、現在ではデジタルアーカイブにかなり古い記事まで収められているんですよ。ですからデータベースを使って、「日経ビジネス」に出ている任天堂の記事をすべて検索し、単純に古いものから順番に読んでいくんです。

一橋ビジネススクール教授
1989年一橋大学大学院商学研究科修士課程修了。一橋大学商学部助教授および同大学イノベーション研究センター助教授、ボッコーニ大学経営大学院(イタリア・ミラノ)客員教授などを経て、2010年から現職。専攻は競争戦略とイノベーション。企業が持続的な競争優位を構築する論理について研究している。『ストーリーとしての競争戦略』(東洋経済新報社)は「ビジネス書大賞2011大賞」を受賞し、本格的経営書として異例のベストセラーとなった。『逆・タイムマシン経営論』(杉浦泰氏と共著、日経BP)など著書多数。
澤:過去に戻って記事を読むから「逆・タイムマシン」だと。
楠木:未来じゃなくて、過去に行くんです。この方法が、何かを知りたいときの一番の方法だというのが、僕の実感です。
澤:例えば任天堂のどんな「本質」が、その方法で見えてくるんですか?
楠木:ゲーム産業というのは、流行(はや)り廃りの本当に大きな産業です。ですから当然、任天堂としても、打つ手はいろいろと変わるわけです。ただ、その変化を追いかけると、初めて「全く変化していないこと」が見えてくる。
この変化の逆説が面白いんですよね。過去の任天堂の経営者はいろいろなことを言っています。初代の山内房治郎さんからトップは何回か変わり、それぞれの時代で様々な発言がありますけど、「たかが娯楽、されど娯楽」というスタンスは、一向に変わらないんです。
澤:そうなんですね。
楠木:今から読むと「なるほど、そういうことか」と思うことがあります。3代目の山内溥さんがまだ社長だった頃の記事で、ファミリーコンピュータ(ファミコン)がものすごい台数売れたときのことです。1980年代の半ばですね。
当時、ファミコンが、今でいうネットワーク端末になるのではないかという話が、任天堂の周りであったんです。その頃でいうと「VAN」、付加価値型ネットワークです。
澤:インターネット時代の前ですから、ファミコンを通信回線に接続して、サービスを提供できないかと、周りが考えた。
楠木:そうです。その端末になるんじゃないかと。これだけたくさんの家庭にファミコンが入っているのだから、金融サービスや教育サービスが、今でいうリモートでできるのではないかと。それで、ファミコンを使って何かやれたらいいなと思う人たちが、「ぜひ任天堂と組みたいと」集まってきたんです。その時に山内さんは、即断即決で「絶対やらない」と言っているんですよ。
澤:可能性がありそうなことも、きっと含まれていたはずですよね。
楠木:そこに本質が見えるんです。「うちは娯楽なので、金融取引みたいなシリアスなものじゃないんです」と。
例えば次の岩田聡さんの頃には、スマホがインターネットにつながって、いろいろなゲームが手軽にできるようになったんです。そんな中でスマホ対応に背を向けていた任天堂はもうダメだと言われて、実際に業績が落ちたこともありましたが、「娯楽なので、時間つぶしじゃないんです。だからスマホでちゃかちゃかやるのと、ちょっと違うんですよ」と。
澤:そのような過去の発言に、「娯楽」というものの本質が見えてくるわけですね。
楠木:過去からの変化を追うことで、初めてこういった本質、一貫して変わらないものが見えてくるんです。まあ、天才でしたら何か1つの現象を見て、「ん、これが本質だ」って分かるのかもしれませんが(笑)。
僕みたいな凡人はそれができないので、逆・タイムマシンに乗ってみることが必要なんですよ。ウォーレン・バフェットさんが「我々が歴史から学ぶべきことは、いかに人々が歴史から学ばないということだ」と言っていますけど、我々はどうしても過去を見なくなっちゃうんです。人間、前を見ているので、過去への理解が薄くなる。だからこそ、過去を見るとそれが武器になるんですよ。みんなと同じことをしていては、なかなか違いにならないですから。過去に戻ること、それが僕の本質に対するアプローチなんです。
ネガティブなロールモデルを抽象的に捉える
楠木:澤さんの『「やめる」という選択』の帯に、「無理はしない」という、いい言葉がありますよね。これを基準に考えれば、自(おの)ずとやめるという選択肢が出てくると思うんです。
澤:僕はよく「鍛錬」と「我慢」を分離して考えましょう、と言っているんです。無理がただの我慢なのだとしたら、怪我(けが)のもとなんですよね。へんな体勢でダンベルを持っているようなもので、結果的には関節などを傷めてしまう。
だけど、しっかりと正しいフォームでやっているならば、鍛錬にはなっているけど無理をしているわけではない。だから怪我をしない。結果的には体が鍛えられて、前よりもいい状態がつくれる。この違いを見極められるかにかかってくるんです。
楠木:僕は、「頑張る」と「凝る」を区別しよう、という言葉で伝えています。つまり「頑張るな」ということなんです。
「凝る」ということは「頑張る」とは、似て非なるものなんです。「凝る」という状態は、はたから見れば「頑張る」と似ています。努力投入の水準が高くて、時間的には継続しているのですが、その本人に「頑張っている」という意識はないんです。それが澤さんの言う「無理がない」ということだと思うんです。そういう、誰かにその話をしたくてたまらなくなってしまうことが、誰しもあるはずです。
だから「頑張らなきゃ」と思った時点で、それは向いていないと思うんです。そう思った時点で、「お前はすでに死んでいる」(笑)。
澤:それはやめたほうがいいですね(笑)。例えばその先に自分のありたい姿、未来がなんとなく見えているのであればいいのかもしれませんが。
楠木:反対に、「こうはなりたくない」というロールモデルのほうが、イメージとして、特に若い人には思い描きやすく、かつ自分の行動の規範にもつながりやすいのかなと僕は思います。だから「ロールモデル」ではなくて、「ネガティブロールモデル」を持つことを勧めているんです。「こうなったらおしまいだ」という人をよくよく見ること。
澤:あはは(笑)。なりたくない人の観察ですね。
楠木:ただ、絶対に静かに黙って見てくださいと(笑)。「あなたみたいになりたくないんです」って言うのは、心の中だけで。
澤:表現しちゃうと、その後かなりスパイシーな展開になりそうですね(笑)。「こうはなりたくない」「ああはなりたくない」は、確かに分かりやすいモデルですね。
楠木:見つけやすいと思うんですよね。見つけたらなるべくそこから抽象化して、ツボを探していくことが大切です。
このときに具体的に、例えば勤務地、勤務時間、部署、はたまたあの上司が脂性なのが嫌だとか、そういうところに注目していると、それは無い物ねだりで、いつまでも「青い鳥」や「白馬の王子様」を探しちゃう、という話になってしまう。
そうではなくて、「何で私はこうなりたくないのか?」をしっかり考える。こういう言い方をするとすごく嫌な感じに聞こえますけど、要するに「何が嫌なのか」を抽象化していくことなんです。一度抽象のレベルに上げてから、「だとしたら自分がやめるべきことは何か」という具体的な選択へと落とし込んでいくことが大切だと思います。
澤:具体的な例を抽象化して、そこから具体的な選択へ、ということですね。

具体・抽象のブレ幅こそ「頭のよさ」
楠木:「ネガティブロールモデル」の抽象化もそうですが、要は具体と抽象を行ったり来たりすることなんですよね。抽象化するときの「垂直軸のブレ幅の広さ」「スピード」そして「頻度」。つまり、具体と抽象を、大きく、素早く、何度も行ったり来たりすること。これが思考において、かなり重要なポイントになると思います。
澤:「具体・抽象を行ったり来たりする」ということを、最近、僕もテーマにしているんです。できればそれをもっと言語化したいと考えています。トレーニングメソッドのようなものを編み出したいなと。これが瞬時にできるようになってくると、先ほどの「本質に近づく」ということもスピーディーにできるようになりますね。

楠木:具体と抽象の間を行き来する運動能力があるって、要するに頭がいいということだと思うんですよ。体に例えれば、最も根本的な体幹の強さや筋肉があるというイメージ。澤さんの言葉でいうと「練成する」ということかもしれません。普通は時間をかけてつくっていかなければならないものですが、それを筋トレみたいに方法論を確立して、基本的なフォームやツールにできたら、非常に役立つものになりますね。
澤:もちろんあくまでもテンプレートであり、思考を手助けするサプリメント的な扱いにはなりますが、知っておいて損はないはずです。
楠木:実際にそのトレーニングをしているときに、横で「ちょっとそこはこうしたほうがいいよ」と言ってくれるパーソナルトレーナーみたいな人がいるといいかもしれません。
澤:企業の経営者に必要なのは、プロセスを観察して言語化のお手伝いをしてくれる「企業参謀」の存在かもしれません。思考の手助けをしながら、伴走してくれるような。
楠木:今の時代、情報量を増やすことは簡単なので、むしろ「具体・抽象」の間を行き来する運動能力のような力のほうが求められているのだと思います。

(構成:黒坂真由子)
[日経ビジネス電子版 2021年9月24日付の記事を転載]
人生を自由にデザインするために
本当はやりたくないし、実はやる必要もないのに、自分自身がそれに気づかず、
「せっかく○○したから」
「これまで○○してきたから」
という理由だけで続けていること。
それが、人生の「埋没(サンク)コスト」です。
「発言しないけれど、出なきゃいけない会議」
「本当は気乗りがしない人脈構築のための会合」
「買ったけど、全然着ていない服。使っていないもの」
「いつのまにか“固執”してしまっている夢や目標」……
こうした、無意識のうちに人生の重荷となっている「埋没コスト」に目を向けて、
「やめる」という選択肢を持つこと。
それが、これからを自分らしく生きていくための「自己中」戦略であり、
「自分の人生を生きる」ということです。
本書で“コスト化”したヒト・モノ・コトとの関係性を見直して、
人生を自由にデザインしていきましょう。