自分が使える時間は限られているのに、有効活用できない人は多い。終わりのないTodoリストを抱えてため息をついているなら、今こそ何かを「やめる」ときではないだろうか。やりたくないし、やる必要もないのに、「せっかく○○したから」という理由で続けていることが、あなたにもきっとあるはずだ。それは人生の「埋没(サンク)コスト」となり、あなたからあらゆる機会を奪っている。今回は 『「やめる」という選択』 の著者で、2020年に日本マイクロソフトを卒業した澤円氏と、電通、ボストン・コンサルティング・グループ(BCG)などを経て独立した山口周氏に、「やめる」という選択について語ってもらった。前編のテーマは、「東京を『やめる』」。

「東京で暮らす」がいつの間にか「埋没コスト」になっていた

澤円(以下、澤):僕はね、周さんが葉山に移住して仕事をされているのを見て、すごく羨ましくなったんです。ちょうど1年前、葉山での対談をお願いしたときに、Tシャツと短パンで颯爽(さっそう)と現れて。

山口周氏(以下、山口):ビーサン(ビーチサンダル)でしたね、あのとき。

:「これがフォーマルだ」って。そういう姿が羨ましくて、それで、千葉の海の近くにも拠点を持つことにしたんですよ。

山口:そうだったんですね。僕は今、葉山に住んでいますが、家がビーチのそばにあるので、Tシャツすら着ていない人が普通にプラプラ歩いている。ワードローブが、東京にいた頃とは変わりました。

<span class="fontBold">山口周(やまぐち・しゅう)氏<br/>独立研究者、著作家、パブリックスピーカー</span><br>1970年東京都生まれ。慶応義塾大学大学院文学研究科美学美術史学専攻修士課程修了。電通、ボストン・コンサルティング・グループ(BCG)、コーン・フェリー・ジャパンなどで戦略策定、文化政策、組織開発などに従事。現在、ライプニッツ代表。著書に『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』(光文社新書)、『ビジネスの未来』(プレジデント社)など。神奈川県葉山町に在住。(写真は2020年、葉山にて。以下同)</a>
山口周(やまぐち・しゅう)氏
独立研究者、著作家、パブリックスピーカー

1970年東京都生まれ。慶応義塾大学大学院文学研究科美学美術史学専攻修士課程修了。電通、ボストン・コンサルティング・グループ(BCG)、コーン・フェリー・ジャパンなどで戦略策定、文化政策、組織開発などに従事。現在、ライプニッツ代表。著書に『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』(光文社新書)、『ビジネスの未来』(プレジデント社)など。神奈川県葉山町に在住。(写真は2020年、葉山にて。以下同)

山口:コンサルタントという仕事柄、以前は結構いいスーツを着ていたんですよ。シャツにもこだわったりしてね。シーズンごとに専門店に行って、4、5枚まとめて買ったりしていたんですけど。でも、ここ2年間は、ワイシャツは1回も着ていないですね。ネクタイも最後にしたのは4年前くらいかな。

:僕はどうだろう? 前回スーツを着たのは……あ、そうだ、先月着たんだ。

山口:澤さんのスーツは、スーツじゃないよ。前にスーツを着ているときに会いましたが、赤とオレンジのチェック柄みたいな、ものすごい柄でしたよ。

:そうかもしれません(笑)。たしかその頃は、「スーツを着ないで済む暮らし」とか「あえて東京から離れる暮らし」を「贅沢(ぜいたく)」だと思っていたんですよ。限られた人たちが成功の結果として手に入れるステータスのようなものだ、というふうに。

 ただその後、周さんが葉山に移住したのを知りました。僕が知っている周さんは、ステータスのために引っ越しをするような人ではないので、気になって注目していたんです。

山口:もうお付き合いも長いですからね。

:そうそう。それで周さんの様子を解像度を高くして見てみたら、「ああ、やっぱりそうじゃないんだ」と。時間というものを豊かに生きるために、そこにフォーカスするために、葉山に住んでいる、ということが分かったんですね。

 「それなら自分も」と、僕も東京一辺倒をやめて千葉のほうに拠点を増やしてみたら、住宅購入コストはすごく低いし、生活コストは安いし、東京から車で1時間半で行けるし。ハードルは高くなかったです。

山口:僕は澤さんとは違って、会社をやめて東京を離れるという決断をするまでに、実はすごく時間がかかっているんです。戦略コンサルの会社というのは、一度やめてしまうと戻るのが難しいからと考えてしまって、なかなか決断できなかったんですよ。これが、澤さんが『「やめる」という選択』で書かれている「埋没コスト」ですよね。本、読ませていただきましたけど、同感、ということばかりでした。

:ありがとうございます。確かに周さんの状況は、過去に費やした時間や実績が、もう未来においては何の役にも立たないのに、もったいないと思って続けてしまうという意味で、「埋没コスト」ですね。「苦労して会社に入ったのだからもったいない」「お給料がいいのにもったいない」というような……。

山口:そうです。会社からもやめるなと慰留されて、金銭的にもかなり恵まれたポストでしたし、仕事も面白かった。だから「こうなれたらいいな」という状態に、外形的にはなっていたんです。

 ただ、当時の悩みがEvernoteに残っていて、そこに書かれているのは「なんでこんなに気分が沈むのか分からない」でした。自分の人生という映画の、「脚本家、兼演出家、兼監督」として、直せるところはすべて直したはずなのに、気持ちはずっと沈んでいる。その頃は、自分の人生のどこをどう修正すればいいのか、分からない状態でした。

:それで、職業と住む場所を両方変えたんですね。

山口:「自分が今、何が楽しくて、何がすごくつらいか」ということを書き出してみたり、人の話を聞いたり、本を読んだりしていました。今はTシャツ・短パンでプラプラして、自分本位に立脚して判断していますけど、40歳くらいになるまでは、世の中でいわれている「いい暮らし」を追い求めてきたわけです。でも、その道をある程度進んだところで、期待したのと違うなと。全然幸福じゃないんですよ。ここに来るまでに紆余曲折(うよきょくせつ)ありました。

:そうなんですか!

山口:澤さんのほうが、僕より芯がありそうな気がします。

「葉山の海岸にて、Tシャツ、短パン、ビーサンの周さんとの2ショットです」(澤)
「葉山の海岸にて、Tシャツ、短パン、ビーサンの周さんとの2ショットです」(澤)

SNSの評価で初めて幸福を実感する「いびつ」

山口:僕は 『ビジネスの未来 エコノミーにヒューマニティを取り戻す』 という本で「幸福感受性」という言葉を出したのですが、この言葉は今の時代のキーワードだと思っています。昔の僕がそうだったように、多くの人が、世の中で一般的に素敵(すてき)といわれていることをしています。それが本当に楽しければいいんですけど、本当に楽しめているか不安という人が、かなりの数いるわけです。

 それで、その人たちは何をするかというと、その状況を写真に撮ってSNSにアップするんです。それでみんなから「いいね」をつけてもらって、「自分は楽しんでいる」ということを、外を経由して確認する。

:相対性の中でしか幸福を感じられない、ということですね。

山口:そうなんです。「絶対幸福基準」ではないんですよ。「相対幸福基準」になっちゃう。

:きっとしんどくなってきますよね。幸福を相対的に証明しなくてはいけないとなると、数値化しなきゃいけないという、詮無い話になってきて。資産がいくらだとか、タワマンの何階に住んでいるとかいうことになってくる。

「相対性の中でしか幸福を感じられないと、しんどくなりますね」(澤)
「相対性の中でしか幸福を感じられないと、しんどくなりますね」(澤)

山口:そうそう。記号化するんだよね。

:結局本質から離れて、自分が特に求めてもいないものを幸せと思わなきゃいけないような生活になってしまうわけですよね。その点、千葉の拠点にいる間は、日々生活の本質を感じることばかりです。僕の家は、一番近いコンビニでも3.5キロも離れているから、ぶらっと買い物に行くというわけにいかない。東京だと歩いて30秒くらいで、何かしら手に入りますけどね。

 コンビニにも簡単には行けないような暮らしだと、お金というものの意味が小さくなります。それより時間ですね。「いかに時間を使うか」というところにだんだんフォーカスするようになってくる。豊かに暮らすということは、料理や庭いじりを楽しんだり、ぼんやり海を見る時間を楽しんだりすることだと感じるようになりました。

山口:その考え方は、まさに「時間資本」ですね。

人生の豊かさを生み出す「4つの資本」

山口:資本には「時間資本」以外にも、「人的資本」「社会資本」、そして「金融資本」があります。これが、人が豊かに生きていく上で必要な「4つの資本」ですね。「人的資本」というのは、その人に属するスキルや知識、「社会資本」は人脈や評判、信用といったものです。「金融資本」はそのままの意味ですね。

 これらの資本というのは、一つひとつの仕事を通じて積み上げていくんですが、仕事によっては、「金融資本」には繋(つな)がるけど「人的資本」や「社会資本」にはならない、という仕事もあれば、「金融資本」には繋がらないけど「人的資本」になる、という仕事もあります。

:お金にはならなくても、勉強になるような仕事ですね。

山口:そうです。僕がベーシックインカムに賛成なのは、根底にこの「4つの資本」の考え方があるからなんです。

:というと?

山口:例えば「金融資本」が全然ない人というのは、「時間資本」も持っていないんですよ。今日子どもに何かを食べさせるために、手持ちの時間を使うしかないからです。「時間資本」があれば勉強して「人的資本」に変えることもできますが、そもそも「時間資本」を持っていないと、「人的資本」や「社会資本」をつくるのは難しいんですね。

 ビジネスの現場においては、一般的に「金融資本」がフォーカスされますが、僕はなるべく「人的、社会、金融」の3つの資本を積み上げるような仕事を選ぶようにしています。人間関係を深くしてくれる仕事であれば、報酬がなくても構わない。それは、「社会資本の強化」という報酬をもらっているわけです。あるいは、知識やスキルに繋がる、つまり「人的資本」が増えるなら、金額的に折り合わなくてもやってみるとか。

 そんなふうに分けて考えると、効率的に3つの資本を積み上げていくことができるようになります。これらの資本があると、「時間資本」にも余裕が出てくる。

:ああ、僕も同じような仕事の選び方をしています。セミナーや講演など、僕個人に宛てて仕事を依頼してくださることが多いのですが、僕にいただいた仕事の依頼は一度「テキスト化」という工程を入れるようにしているんです。

山口:「テキスト化」ですか。

:ええ、オンラインの秘書サービスを頼んでいるんです。僕のところにきた依頼はすべてそのオンライン秘書に、「こういう顧客から、このような内容で、こういう条件でオファーが来ています」という形で平準化してもらう。すると依頼が1回すべて「テキスト」だけで把握できるようになるので、「テキスト化」と呼んでいるんです。

 テキスト化すると、周さんがおっしゃるような、「これは人的資本の強化に直結するから、ぜひやろう」など、判断しやすくなります。反対にテキスト化しないで処理しようとすると、「この依頼を断ると、この人の顔に泥を塗ることになるのでは」とか、「断ったら悪いかな」なんて、気を使うことになります。判断する際の僕の中でのフィルターが、すごくシンプルになりました。

山口:平準化のプロセスを請け負ってくれるサービスがあるんですね。それ、いいですね。

「逆切磋琢磨」の人間関係をやめる

:今、多くの人が悩んでいるのは「人間関係をやめる」ということらしいですね。僕も長い間企業に勤めていたので、その気持ちは分かります。

 ただ、付き合うのをやめるということを、そんなに突き詰めて考えなくていいと思うんですよ。その人との、ありとあらゆる接続手段をシャットダウンするのではなくて、その人に割く時間を少なくする、という形でいいんです。時間資本の話と連動するんですけど、その人に時間を多く配分しなくなるということだけ。付き合うのをやめるというよりは、少し距離を置くということになるのかなと。周さんの考えはどうですか?

山口:マズローの「欲求5段階説」ってありますよね。その一番上位にあるのは「自己実現の欲求」なんですけど、マズローって人生のかなり終盤になって、「自己実現を成し遂げた人はどういう人か」というのを研究しているんです。その特徴の1つが、「友達が少ない」ということなんですよ。

:それは(笑)。面白いですね。

山口:正確に言えば「少数の親しい人と深く付き合っている」ということなんですけど。親しく、相互にポジティブな影響を与え合いながら継続できる関係の人の数って、実は思われがちなのよりずっと少ないと思ったほうがいいかもしれないですよね。

:そもそも時間的な制約がありますからね。友達付き合いとなると、物理的な条件が必要になる場面もある。そうなるとやたらと数を増やすということはできないですよね。かつ、人間関係の維持を目的にしちゃうと、結果的には自分の時間がどんどん減り、他者のために生きることになってしまう。自分の人生を生きる時間が、相対的に減ることになりますから。

山口:ええ。そういうことです。

:人間関係というのは、お互いに豊かになるという関係性ですよね。片方だけが得をするのでは、搾取になってしまいます。友人というのは多ければハッピーかもしれませんが、多くしたところで時間の制約があるのなら、人間関係も厳選するということに結果的になっていくんでしょうね。

山口:人間関係の判別が鍵だと思うんです。実際に会っていい時間を過ごせたりストレスが晴れたりという人間関係もありますが、一方で僕は「逆切磋琢磨(ぎゃくせっさたくま)」には注意が必要だと思っています。

:「逆切磋琢磨」ですか。

山口:例えば、「お互いに上司の悪口を言って留飲を下げた」という飲み会です。これって、気分は晴れるかもしれないですが、問題解決はしていないですよね。「職場の人間関係で悩んでいるのは、大学の同期も同じ。仕事ってそんなもんだよな」。それでおしまい。飲みに行ったことで、人生を改善するチャンスをむしろ失っているわけです。

 人間関係というのは、お互いに刺激を与え合って、何かしら気づきになったり、本質的な意味での幸福の水準を上げたりできるような関係性と、そうじゃない逆の関係性というのがあるんですよ。人間関係が、「世の中そういうものだから我慢しなくちゃ」といったまずい状況を肯定的に仕方なく受け入れるためのきっかけになることもあるんです。

 だから、孤独の勧めというのかな。人間関係を捨てるということでいうと、孤独になれるというのも大切なことだと思うんです。

:孤独、いいですね。僕も大好きです。さらに言えば、孤独を一緒に楽しめるような関係性って最高ですよね。東京にいるかいないか、友達が多いか少ないかではなくて、僕たち一人ひとりが孤独になって、自分の人生と向き合うことが必要なのかもしれませんね。

(構成:黒坂真由子)

(中編に続く)

日経ビジネス電子版 2021年9月29日付の記事を転載]

人生を自由にデザインするために

本当はやりたくないし、実はやる必要もないのに、自分自身がそれに気づかず、
「せっかく○○したから」
「これまで○○してきたから」
という理由だけで続けていること。
それが、人生の「埋没(サンク)コスト」です。

「発言しないけれど、出なきゃいけない会議」
「本当は気乗りがしない人脈構築のための会合」
「買ったけど、全然着ていない服。使っていないもの」
「いつの間にか“固執”してしまっている夢や目標」…… こうした、無意識のうちに人生の重荷となっている「埋没コスト」に目を向けて、
「やめる」という選択肢を持つこと。
それが、これからを自分らしく生きていくための「自己中」戦略であり、
「自分の人生を生きる」ということです。

本書で“コスト化”したヒト・モノ・コトとの関係性を見直して、
人生を自由にデザインしていきましょう。