自分が使える時間は限られているのに、それを有効活用できていない人は多い。終わりのないTodoリストを抱えてため息をついているなら、今こそ何かを「やめる」ときではないだろうか。やりたくないし、やる必要もないのに、「せっかく○○したから」という理由で続けていることが、あなたにもきっとあるはずだ。それは人生の「埋没(サンク)コスト」となり、あなたからあらゆる機会を奪っている。今回は 『「やめる」という選択』 の著者で、2020年に日本マイクロソフトを卒業した澤円氏と、電通、ボストン・コンサルティング・グループ(BCG)などを経て独立した山口周氏に、「やめる」という選択について語ってもらった。中編のテーマは、「仕事を『やめる』」。

(前編から読む)

「余裕がない」は単なる思考の放棄である

澤円(以下、澤): 最近、セミナーなどで「余裕」をキーワードとして使うことがあります。親指、人さし指、中指の3本を伸ばした状態で出して、ちょうど「チョキ」に親指をプラスした状態ですね。それに「時間、体力、お金」をプロットしてもらうんです。その3要素の中で、自分の中で今、どれに一番余裕があるのか、余裕のある順に割り当ててくださいと。相対的でなくて構わないんです。自分がどう感じているか。例えば時間に余裕があるとしたら、時間にレバレッジして、体力、お金を生み出す。お金に余裕があるのなら、それで時間を買い、体力を戻しましょうと。こんなふうに割り当ててみると、結果的に気持ちの余裕が生まれてくるんです。

 気持ちの余裕が生まれれば、それが人生の豊かさにつながります。みんな漠然と「余裕がない」とか言っているんですけど、せめてこれくらいの解像度にしてあげると見えてくることがあるんじゃないかと思って、最近はこの公式を使っています。僕自身も若い頃にこの公式を使っていたのですが、今思えば当時、僕は体力にものすごく余裕があったんだと思います。

山口周氏(以下、山口):澤さん、体力ありそう(笑)。

:今でも体力はあるんですけど、昔はもっと、無茶苦茶(むちゃくちゃ)あったんです。僕がプログラマーになった1990年代って、制約がものすごく多かったんです。例えばインストールするのに丸1日かかるとかいう世界でしたから。だから時間の制約はものすごくあったし、お金もあまりなかったんですけど、体力でそれをねじ伏せることができたんですね。そんな状態が結構長く続いたんです。そんなふうに体力で乗り切りながらマイクロソフトで働いていたら、給料が上がってきてお金の余裕ができるようになった。それによって、時間と体力をプラスにすることができるようになった。それでサイクルが回るようになってきたんです。

 ただ色々なことをやり始めたら、時間の余裕がどんどん失われるようになってきたので、時間の余裕をぐっと伸ばすために、『「やめる」という選択』という本に書いたように、「会社をやめる」という選択をしたんです。中指に時間をプロットする必要性を感じたから、というわけです。

山口:そこまで時間を意識できる人って、そんなに多くないですよね。僕は時間のダメな使い方って、いくつかあると思っています。

:ダメな使い方、ありますね。

山口:1つは無駄な勉強。もう1つが人間関係です。人間関係には、「出なくていい会議」「やらなくていい仕事」「付き合いの飲み会」なんかも含まれます。澤さんも知っていると思いますけど、僕は会食に行かないということをパブリックに言っているので、お誘いが全くないんですよ。これは会食が嫌いとか無駄だとかいうことではなくて、単に戦略の問題です。

 対談前編で触れた「時間資本」、これを会食や飲み会に使って「社会資本」が生み出されるという考え方は確かにある。「社会資本」の強さ、つまりコネの強さでの他者との差別化を図るわけですね。でも、僕自身は「社会資本」を使って、つまり人脈やコネの強さ、貸し借りの関係の中で自分の商売をつくるというのは得意ではないし、人と違う論法やオピニオンを出して、本という形やコンサルという形で買ってもらうのが僕のストラテジーなので、「時間資本」を「社会資本」に変える会食や飲み会というのは、戦略として筋が悪い。好き嫌いの問題ではなく、「時間資本」の戦略の問題なんです。

<span class="fontBold">山口 周(やまぐち・しゅう)<br> 独立研究者、著作家、パブリックスピーカー</span><br> 1970年東京都生まれ。電通、ボストン・コンサルティング・グループ(BCG)などで戦略策定、文化政策、組織開発などに従事。著書に『ビジネスの未来』『ニュータイプの時代』『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』『武器になる哲学』など。慶応義塾大学文学部哲学科、同大学院文学研究科修士課程修了。中川政七商店社外取締役、モバイルファクトリー社外取締役。神奈川県葉山町に在住。(写真は2020年、葉山にて。以下同)</a>
山口 周(やまぐち・しゅう)
独立研究者、著作家、パブリックスピーカー

1970年東京都生まれ。電通、ボストン・コンサルティング・グループ(BCG)などで戦略策定、文化政策、組織開発などに従事。著書に『ビジネスの未来』『ニュータイプの時代』『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』『武器になる哲学』など。慶応義塾大学文学部哲学科、同大学院文学研究科修士課程修了。中川政七商店社外取締役、モバイルファクトリー社外取締役。神奈川県葉山町に在住。(写真は2020年、葉山にて。以下同)

勇気が必要な一歩は踏み出してはいけない

山口:澤さんが「時間の余裕をつくるため」と会社を何気なくやめたように、何かをやめるのに勇気っていらないんですよ。僕ね、「勇気」に逃げている限り、絶対ダメだと思う。

:そうそうそう。

山口:なぜかというと、すでに試して、「ここにいたら自分らしく生きられない」「こうするのがいい」ということが確実に分かっているから。確実性がものすごく高いわけだから、勇気なんていらない。

:まさにそう! なのに去年「会社をやめる」と決めたときは、「コロナ禍なのに、勇気があるね」なんて言われました。

山口:勇気を必要としているということは、不確実なことをやろうとしているということなんですよね。新しいことを始めたり、全然違う領域に出ていったりするときには、よく「勇気の問題」として整理されがちなんですけれど、そうじゃない。僕はやはり認知の問題だと思います。端的に言えば、頭の良さですよね。考えないし、感じ取る力が少ない人が、結局、最後は勇気の問題にして飛び込もうとする。勇気に頼らなくちゃいけないんだったら、動かないほうがいい。

:ギャンブルの度合いが高くなっちゃいますからね。僕はそういう意味では、実際に退職する5、6年前から「やめていた」んです。

山口:どういうことですか?

:そのくらい前から「僕の仕事に所属っていらないな」って感じ始めていたんですよね。僕は自己肯定感が実はそれほど高くないんですよ。「ポンコツである」というコンプレックスがずっとあるんです。ただ「人生におけるいくつかの超ファインプレー」の1つがマイクロソフトへの就職でした。インターネットがまだ普及していない時期にエンジニアになったのが本当によかった。

山口:エンジニアを選んだのは直感ですか?

:完全に直感です。実は、中堅の、みんなが知っているような会社からも内定をもらっていたんです。でも、そこに就職するよりもエンジニアになろうと思ったんです。あのときなぜ、エンジニアになろうと思ったか、正直今でもよく分かりません。

山口:エンジニアのバックグラウンド、確か全然ないんですよね?

:ないんですよ。唯一あるとしたら、10歳上の兄貴が理系で、当時から家にPC-8000シリーズの、超黎明(れいめい)期のパソコンがあって、パソコンというのがどういう体裁のものか知っていた。その程度ですよ。コードなんてもちろん書いたことがなかったし、アルゴリズム(algorithm)もリズム(rhythm)の一種だと思っていたんですよね(笑)。そもそもスペルが違うのに。

山口:それはすごい(笑)。

:そんなレベルだったんですけど、結局その後にインターネットがやってきて、ITバブルになって。エンジニアとして働いていたので、内部構造が分かるし、説明ができる。これがすごいラッキーだったんです。それをベースにして、「世の中にあるテクノロジーを分かりやすく伝える」という世の中で一番求められていたポジションを取れたんです。本当にラッキーが重なった感じです。

山口:でも澤さん、エンジニアの仕事がパシッとハマったわけでしょ?

:それがですね、結局プログラムのコードを書いてそれをうまく動かすというところは、全然話にならなかったんですよ。すぐ飽きちゃうし。でも、テクノロジーの仕組みを分解して説明するというところで、僕は花が開いた。そういうニーズがインターネットの登場によって、すごく跳ね上がったんですね。

 だから1995年よりも後に社会人になっていたら、こうなってはいないはずです。93年から2年間、ポンコツエンジニアとして、ネットのない世界でヒーヒー言っていたのが下積みとなって、95年以降世の中にマッチしたということですね。

 ただこのポジションって、マイクロソフトという属性がいらないんですよ。それに気がついてはいたんですけど、個人で責任を取る限り自由でいられるマイクロソフトという会社が、僕にとっては本当にいい環境で。それに米国本社のCEO(最高経営責任者)がサティア・ナデラに変わってから、会社がどうなっていくのかも興味があった。それで所属はしていたのですが、5、6年前にはもう、やめるという選択は済んでいたんです。

「退職する5、6年前から『僕の仕事に所属っていらないな』と感じ始めていたんです」(澤)
「退職する5、6年前から『僕の仕事に所属っていらないな』と感じ始めていたんです」(澤)

「自分道」をグラデーションで変えていけ

山口:僕も完全に会社をやめてフリーになったのは一昨年前からで、その理由は完全に算数の問題でした。会社に勤めているほうが、機会費用が大きくなってしまったんですよね。

 基本的に戦略コンサルというのは、パラレルを許容していなくて、「全人生をファームに捧(ささ)げなさい」というポリシーです。だから、個人で発信している人が非常に少ない。それは分かるんですよ。顧客からしたら、そのコンサルタントの時間を100%買っているのに、その人が記事を書いたり本を書いたりしているのが目につくと、やはり会社としては困ることになるんです。

:「全人生を会社に捧げろ」的な会社は業界問わず多いですよね。

山口:でも、僕はそれでは、非常のリスクのある人生になっちゃうと思って。それで、結果さえ出していれば、ブログを書いたり論文を出したりしてもいい、というコーン・フェリーというコンサルティング会社が最後に勤めた会社になりました。

 まあ、なかなか芽が出ないんですが、3年くらいしたら出版社とかから声がかかるようになってきて。そんなふうに少しずつ活動の場を広げてきたんですね。そういう意味でいえば、「何かを全部やめてから、次へ移る」とやってきたように誤解されがちなんですけど、そうじゃないんです。続きながら微妙に変わっていくグラデーションがあるというか、オーケストラで例えるなら、何かの楽器はフェードアウトするんだけども、何かの楽器はフェードインしてきて、全体としては色彩が変わっていくというか。そういった人生のイメージのほうが、これから先はリスクがないんじゃないかなと思います。

:先ほどの勇気にもつながりますが、リスクを減らしていけばいいという発想ですよね。そのためには1つのことにしがみついて、それを自分のアイデンティティーと一体化させるよりは、少し欲張って違うものを取り入れていったほうがいい。これには勇気はいらないんですよ。好きなことを始めればいいだけなので。

山口:そうですよね。

:こうやって見ていくと、僕も周さんも、「やめる」というのは客観的に見た場合であって、自分としてはやめたわけじゃないんですよね。継続しているので。

山口:え、それはどういう意味ですか?

:周さんは結局「山口周道」をずっと進んでいる。電通やBCG、A.T.カーニーやコーン・フェリーへの所属は、そのチェックポイントとしてあるだけで。あくまで継続しているのは「山口周道」だと思うんです。僕はずっとマイクロソフトにいましたけど、その中で本を出したり講演をしたりしていたので、今回はマイクロソフトとの契約から抜けただけであって、やっていることは今もそれほど変わっていない。

山口:なるほどね。「澤円」というアイデンティティーの一貫性と、所属組織や住所などの一貫性を考えたときに、どちらが続いていて、どちらがバラバラかという話ですね。人間の捉え方として、深いレベルでの一貫性と表面的なものと。

:そうそう。自分の人生の道が続いているんです。

山口:ただ澤さんの場合、一番の一貫性は髪形なんじゃないですか(笑)。20年くらい変わっていないですよね? 

:18年ほどでしょうか(笑)。昔は冬場だけロン毛だったんです。スキーばかりしていて髪を切る暇がなかったので。それで春にバッサリ切る、ということを繰り返していたんです。これ「天然パーマ」なんですけど、「そんなにウエーブかかるなら伸ばしてみたら」って、美容師さんに言われて。それで伸ばし始めたんですよね。

山口:マイクロソフトはそういう点、自由だったんですか?

:自由は自由だけど、やる人は意外と少ない。コンサバでしたね。そういう意味では、十分に浮いていました。

山口:たぶん澤さんより、僕のほうが浮いてしまうことに対して怖がりだと思います。コンサルって、顧客が銀行や商社ですから、ネクタイ、革靴、革のブリーフケースが当たり前の、コンサバティブな世界なんです。だから僕がそれらの服装をやめていったときは、段階的でしたね。

 最初は2011年の東日本大震災の際の省電力ですね。あれでどこの会社でもエアコンが弱めに設定されるようになって、ノータイがスタンダードになった。それで、これは千載一遇のチャンスだと思って、それから徐々に、1年に1個ずつ、コードを外していきました。ノータイの次は、ブリーフケースをバックパックに、その後は、これはハードルが高かったんですけど革靴をスニーカーに変えて、という感じで。今やっと海辺での生活で上半身裸にまでたどり着きました(笑)。仕事だけでなく、スタイルもグラデーションでやめていくという戦略です。

:じゃあ再来年あたりは、もしかして全裸ですか!? グラデーションでやめる戦略に勇気はいりませんから、意外にあっさりそこまで到達するかもしれませんね(笑)。

(構成:黒坂真由子)

(後編に続く)

日経ビジネス電子版 2021年9月30日付の記事を転載]

人生を自由にデザインするために

本当はやりたくないし、実はやる必要もないのに、自分自身がそれに気づかず、
「せっかく○○したから」
「これまで○○してきたから」
という理由だけで続けていること。
それが、人生の「埋没(サンク)コスト」です。

「発言しないけれど、出なきゃいけない会議」
「本当は気乗りがしない人脈構築のための会合」
「買ったけど、全然着ていない服。使っていないもの」
「いつの間にか“固執”してしまっている夢や目標」…… こうした、無意識のうちに人生の重荷となっている「埋没コスト」に目を向けて、
「やめる」という選択肢を持つこと。
それが、これからを自分らしく生きていくための「自己中」戦略であり、
「自分の人生を生きる」ということです。

本書で“コスト化”したヒト・モノ・コトとの関係性を見直して、
人生を自由にデザインしていきましょう。