自分が使える時間は限られているのに、それを有効活用できていない人は多い。終わりのないTodoリストを抱えてため息をついているなら、今こそ何かを「やめる」ときではないだろうか。やりたくないし、やる必要もないのに、「せっかく○○したから」という理由で続けていることが、あなたにもきっとあるはずだ。それは人生の「埋没(サンク)コスト」となり、あなたからあらゆる機会を奪っている。今回は 『「やめる」という選択』 の著者で、2020年に日本マイクロソフトを卒業した澤円氏と、電通、ボストン・コンサルティング・グループ(BCG)などを経て独立した山口周氏に、「やめる」という選択について語ってもらった。後編のテーマは、「一意専心を『やめる』」。
「1つのことをする」という新しい悪口
山口周氏(以下、山口):この間、アフリカで文化人類学の研究をしている方とお話をさせていただいたんですが、その中で澤さんにお伝えしようと思ったことがあって。アフリカにいる狩猟採集民のことなんですけどね。狩猟採集をしていると、経済発展や文明化が難しいので、多くの国では定住を推し進めているんです。定住して農耕するか、定住して「半農・半オフィスワーカー」になるかというように。
それで今、どういう状態になっているかというと、「ときには狩猟採集もやるけど、ときには農耕もやって、ときにはオフィスでも働く」という人が増えているというんです。日本人の感覚からすると「狩猟採集民をやめて、農民もしくはオフィスワーカーになる」のが「正解」だと思うんですけど、そうならない。面白いのが、大統領秘書官のような人であっても、海外から携帯電話を輸入するサイドビジネスをやっていたり、「ちょっと狩猟するので、1カ月休みます」って休暇を取ったりしていて。狩猟採集民であり、大統領秘書官で、ビジネスパーソンなんです。
澤円(以下、澤):すごいマルチですね。
山口:文化人類学の学者たちが言うには、国から言われたことを受け入れないわけではないそうなんですよ。言われた通りに賃金労働もするし、家畜や畑ももらうし、学校や病院にも行く。言われた通りに定住もする。それらをあっさり受け入れるけど、狩猟採集も続けるんです。「なぜ狩猟採集をやめないんですか?」と質問したら、逆に「なぜやめなきゃいけないんですか?」と質問されたそうです。

独立研究者、著作家、パブリックスピーカー
1970年東京都生まれ。慶応義塾大学大学院文学研究科美学美術史学専攻修士課程修了。電通、ボストン・コンサルティング・グループ(BCG)、コーン・フェリー・ジャパンなどで戦略策定、文化政策、組織開発などに従事。現在、ライプニッツ代表。著書に『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』(光文社新書)、『ビジネスの未来』(プレジデント社)など。神奈川県葉山町に在住。(写真は2020年、葉山にて。以下同)
澤:言われてみたら、狩猟採集をやめる必要はないですね。日本では、1つのことにフォーカスするのが当たり前だと思われていますけど。
山口:そうなんです。新しいことをやろうとすると、僕らはつい「古いことを全部やめなければいけない」と思ってしまいがちなんですけど、澤さんが『「やめる」という選択』という本で言っているように、必ずしもそうじゃない。彼らはね、「狩猟採集をやめろ」と言ってくる役人たちに、あだ名を付けているんです。悪口としてね。そのあだ名が「1つのことする奴ら」(笑)。
澤:「1つのことする」というのが、悪口になっているんですね。
会社はもともと「バーチャルな存在」である
山口:アフリカの狩猟採集民ほどではないにせよ、日本でもパラレルワークの条件がここ2、3年ほどで急激に整いましたよね。これまでは、物理的な仕事と物理的な場所が紐(ひも)づいている世界でしたから、すごくやりにくかったと思うんですけど。
澤:僕たちは以前にも、同じような条件のときがあったんですよね。2011年、東日本大震災の後です。あのとき、それまでの価値観が急にひっくり返って、「行く」ということが制約を受けた状態で仕事をしなければならなくなった。少なくとも東日本の人たちは、そう考えたわけです。
1995年の阪神大震災の後はインフラが全くなかったけれど、2011年はインターネットもスマートフォンもぼちぼち出てきていて、リモートワークだってやろうと思えばできる状態だったんですね。にもかかわらず、元に戻す圧力のほうが勝ってしまったんです。「元に戻った」ということが、喜びになってしまったんですよね。
山口:そうでしたね。
澤:僕はあのときから、「『行く』ことと、『仕事をする』ということを分離しよう」と考えるようになりました。それ以来、リモートワークというのは自然な行為の1つになりましたから、今回コロナでのシフトは、すごく楽だったんです。そういった意味で考えると、会社への所属すら、その頃から絶対条件ではなくなっていたんですよね。

山口:ユヴァル・ノア・ハラリが言っていることなんですが、会社って実は「バーチャルな存在」なんですよ。それなのに多くの人は、「会社=物理的存在」と勘違いして、例えば電通だったら汐留のビルが電通だと思っていたわけです。だから会社で仕事をするということは、会社のビルまで行くことが前提だった。
この考え方では副業や兼業は難しかったんです。ある仕事をやろうとすると、ある物理的な場所がセットになっていましたから。汐留の電通のビルにいながらNPOの仕事をするわけにいかなかった。マイクロソフトはそのあたり、進んでいたんですよね?
澤:やりやすかったですね。副業や兼業に対する制約は、びっくりするくらい少ない会社だったので。マイクロソフトって、自由度がすごく高いんです。だから僕も、あれだけ長くいられたのかもしれません。例えば同じような外資系の会社でも、「自分の部署の話以外してはならない」とか、社員が社外でするプレゼンテーションにはかなり厳しいチェックが入るとか、かなり厳密なところもあるんです。
マイクロソフトはそういうことはしない代わり、自分の発言などで何らかの不利益が会社に生じたときには、世界で最も強い法務部から「これはどういうことかな?」と迫られる、つまりその責任はすべて自分で取らないといけなかった。そういった意味で言うと自由度がすごく高かったので、パラレルワークはしやすかったですね。
山口:会社がバーチャルな存在という認識が皆にあれば、「自分が占有している場所にいて、約束分の仕事をしている以上、文句を言われる筋合いはない」ということになるはずなんですけどね。就業規則のつくられ方にもよりますけど。
電通をやめようとして初めて気づいた「親の呪い」
山口:今、「ジョブ型」などと言われて、「職務の範囲を決めて、成果をちゃんと出せば問題ない」とする動きも出てきていますけど、僕はこれ、たぶん日本ではうまくいかないと思う。日本の会社の管理職って、そこまでマネジメント能力ないですからね。きっと、決められた範囲の仕事をきちんとやり、文句のつけようのない成果を出しても、なんとなく長い目で見てみると、会社に来ない人は低い評価だったり、人からの非難を受けたりということがあると思います。
澤:特に日本の場合だと、成功報酬型の体系があまり確立していないので、所属していることに対する、それも長く所属していることに対する褒賞というのが大きいですよね。あと、マネジメント職に就く際にも、結局のところ、昇給、昇格が一緒になっている。その人に適性があるか否かというのは関係なくて、「長くいて、功を成したからチームを持たせる」という図式になっている。そうなると、全然マネジメント能力がなくても、チームを持つようになっちゃいますから、その配下の人たちがすごい不幸になるんですよね。
山口:うちの親父(おやじ)はまさにそういった日本企業で、コツコツ働いてきたタイプなんです。だから、僕の最初の転職のときにいい顔をしなかったのも親父です。専業主婦のお袋はイケイケタイプだったので、「電通やめて、一旗揚げようと思うんだよね」と言ったら、「いいじゃない。行きなさい!」って。その横で親父が「えー」という顔をしていて(笑)。「や、やめちゃうの? どうなんだろうねえ。電通でしょ。せっかく入ったんだし、大きな会社は30歳過ぎてからが面白いのに……」って。まあイケイケとコツコツの関係で、お袋が強かったので、まだよかったのかもしれませんが、これは親の呪いですよね。
澤:呪いですか。

山口:呪いって、昔の話だと思うかもしれませんが、とんでもない。今ほど自分自身を呪いにかけている、呪いにかかっている時代ってないと思うんです。
呪術は、必ず言葉を使います。つまりその言葉によって、人の動きを封じるわけです。だからそれは、例えば「人に迷惑をかけてはいけない」とか、「一意専心」とか、「石の上にも三年」とか。ことわざって呪いだらけでしょ。実際、親の呪いにかかっている人はすごく多いですよね。「せっかくいい企業に入ったのにやめるなんてもったいない」とか、「安定している企業が一番いい」とか、「親にとって恥ずかしくない会社に行きたい」とか。
澤:典型的な「埋没コスト」 ですね。
山口:自分を縛るそういった呪いをいかに解除できるか。若い頃の「自分は何が得意か」という自己認識は、僕の経験上、ほぼ100%間違っているので、最初に入った1つの会社に縛られたり、1つのことに縛られたりするのではなく、とにかくいろいろと試してみる、実験してみるのがいいと思います。
澤:「試してみる」のはいいですね。何かをやめよう、始めようと思うときに、一番意味がないのが、「決意を新たにする」ことですから(笑)。
山口:そうそう。決意を新たにするっていうのは、1ミリも意味がない。とにかくアクションにつなげることですよね。行動することで初めて呪いが解け、「埋没コスト」から脱却することができるようになるわけです。

(構成:黒坂真由子)
[日経ビジネス電子版 2021年10月1日付の記事を転載]
人生を自由にデザインするために
本当はやりたくないし、実はやる必要もないのに、自分自身がそれに気づかず、
「せっかく○○したから」
「これまで○○してきたから」
という理由だけで続けていること。
それが、人生の「埋没(サンク)コスト」です。
「発言しないけれど、出なきゃいけない会議」
「本当は気乗りがしない人脈構築のための会合」
「買ったけど、全然着ていない服。使っていないもの」
「いつの間にか“固執”してしまっている夢や目標」……
こうした、無意識のうちに人生の重荷となっている「埋没コスト」に目を向けて、
「やめる」という選択肢を持つこと。
それが、これからを自分らしく生きていくための「自己中」戦略であり、
「自分の人生を生きる」ということです。
本書で“コスト化”したヒト・モノ・コトとの関係性を見直して、
人生を自由にデザインしていきましょう。