ビジネスリーダーは、重大な選択を迫られた時、危機的な状況に陥った時、人生の岐路に立たされた時、決断を下すのに必要な「自分の軸」を鍛えておかねばなりません。それには人類の英知が詰まった「古典」が役に立ちます。このコラムでは古今の名著200冊の読み解き方を収録した新刊 『読書大全 世界のビジネスリーダーが読んでいる経済・哲学・歴史・科学200冊』 の著者・堀内勉氏がゲストを迎え、「読むべき古典この1冊」を手掛かりに、「考える力の鍛え方」を探ります。第1回のゲストは経営共創基盤グループ会長の冨山和彦氏。「この1冊」は『君主論』です。

読むべき古典この1冊
『君主論』

「近代政治学の祖」であるニッコロ・マキャベリ(1469~1527年)が著した、政治を宗教や倫理から独立させて近代政治学の礎を築くことになった政治思想書。

経営の計算式を成り立たせる要素は、人間

堀内勉(以下、堀内):冨山さんは「読むべき古典この1冊」として『読書大全』の中から、マキャベリの『君主論』を選んでくれました。その理由を教えてください。

冨山和彦氏(以下、冨山):『君主論』は経営者が読んでおくべき本だからです。

<span class="fontBold">冨山和彦(とやま・かずひこ)氏<br/> 経営共創基盤(IGPI) IGPIグループ会長 日本共創プラットフォーム(JPiX) 代表取締役社長</span><br> ボストン コンサルティング グループ、コーポレイトディレクション代表取締役を経て、2003年、産業再生機構設立時に参画しCOOに就任。解散後、07年、経営共創基盤(IGPI)を設立し代表取締役CEO就任。20年10月よりIGPIグループ会長。20年、日本共創プラットフォーム(JPiX)を設立し代表取締役社長就任。東京大学法学部卒業、スタンフォード大学経営学修士(MBA)、司法試験合格。(写真:尾関祐治、以下同)</a>
冨山和彦(とやま・かずひこ)氏
経営共創基盤(IGPI) IGPIグループ会長 日本共創プラットフォーム(JPiX) 代表取締役社長

ボストン コンサルティング グループ、コーポレイトディレクション代表取締役を経て、2003年、産業再生機構設立時に参画しCOOに就任。解散後、07年、経営共創基盤(IGPI)を設立し代表取締役CEO就任。20年10月よりIGPIグループ会長。20年、日本共創プラットフォーム(JPiX)を設立し代表取締役社長就任。東京大学法学部卒業、スタンフォード大学経営学修士(MBA)、司法試験合格。(写真:尾関祐治、以下同)

 経営とは2つの要素があります。まず、売り上げのコストと利益を計算する理系的側面。もう一つが、人間的側面。営為の産物として人が生み出したものを、人が営業活動をして、誰かに買ってもらう。基本的に、全ての構成要素が人間ですね。つまり、経営の計算式を成り立たせるための個々の要素は、人間ということになります。

 ということは、人間の行動原理や行動様式が分かっていないと、思ったような計算式になりません。だから、良かれと思ってやったことで売り上げが減ったり、コストが増えたりということが起こります。

堀内:だからこそ、人間に対する洞察がすごく大事になるのですね。

冨山:そうです。人間が犯しがちな人間に対する誤解、というものがあるんです。それは、「善良な意図を持ってやったことは、善良な行為であり、善良な結果をもたらす」ということ。普通はそのように考えがちですよね。しかし現実は、そうとは限らない。極めて善良でまっとうな人が悲劇的な結果を招くことはあります。僕は企業の再生をやっていますが、どちらかというとそういうケースばかりです。

 織田信長タイプというか、「こいつ何なんだろう」と思うような人の方が、はるかに良い結果を出している場合がありますし、その周りにいる人も結構幸せだったりします。

堀内:会社で働いている従業員にとっては、会社が潰れてしまうことは悲劇ですからね。

冨山:大きな会社を潰すケースは、善良で、友達として良い人で、一緒に生活するんだったらこの人がいいと思うような人が、しばしばトップにいるんですよね。

堀内:なぜ、そういった悲劇が起こってしまうのでしょうか。

冨山:構造は割とシンプルです。すごくいい人は性善説的に生きていて、他人も同じだと思うから、それを前提に動いています。また、善良な人に対して周りも愛着や共感を持ちます。

 経営をしていると、一部の人を不利にするような決断が必要な時があります。しかし、善良な人は目の前の悲劇に対する耐性が低いので、その決断ができないわけです。悲劇、軋轢(あつれき)などのルサンチマン的なものを回避したいがために、問題を先送りしてしまう。すると、最後に大きなカタストロフィーがやってきます。

堀内:『君主論』には、そういう構図の話が多いですよね。

冨山:はい、冷徹で「何なんだこの野郎」ってやつが、結果的には企業の繁栄をもたらして、関わる人の人生を豊かにすることがあります。つまり、実際の人間の営為というものは、人間性と結果の間に、ストレートな因果関係はない。『君主論』は様々な事例を出して、このことをひたすら書いています。

『君主論』は人間をよく観察して書かれた本

冨山:『君主論』は僕の理解では、倫理性、批判性、価値観は全く訴えていないと思います。

堀内:色々な人間社会のメカニズムを淡々と書いている本ですよね。当時の社会では画期的であった半面、道義や倫理を無視した冷酷な権力論を説いたものとされていたそうです。しかし、18世紀になると、ルソーが、王公に教えを垂れると見せかけて人民に偉大な教訓を与えてくれた『君主論』は共和主義者の教科書である、と再評価しています。

冨山:なるほど。『君主論』は統治のメカニズムの話ですが、社会に対する観察を非常によくやっています。マキャベリも、のちのマックス・ウェーバーもそうだと思うのですが、社会的現象を観察する時に、平かに結果を見ている。

 実は、社会的現象を透明な目で見ることは難しい。目の前で起きている現象を、規範性や価値観を排除してありのままに観察する思考姿勢は、極めて大事なことです。

堀内:書かれている思考・姿勢そのものに普遍性があるから、古典になっているんですよね。

冨山:これを習得できれば、高いレベルでものを考え、観察する力が身につきます。そういった意味でも、『君主論』は僕にとって勉強になる本です。そもそも堀内さんは、なぜ『君主論』を『読書大全』に収録する選書200冊に加えたのですか?

堀内:冨山さんが話したことと非常に関係しています。理性主義的な視点からいうと、人間というのは理性を信じて「世の中こうあるべきだ」と考えています。その「こうあるべきだ」という抽象的な概念から、「現実はどうなっているか」と演繹(えんえき)的に下ろしていく考え方が一方でありますよね。

 他方で、人間をよく観察して総体として見て、「人間とはこういうものではないか」と人間像や社会像を想定する帰納的な考え方もあります。この2種類があるとすると、僕は後者のような経験主義的な考え方の方が、実社会に即していると思っています。なぜなら、抽象的な概念から下ろしていくと、「人間とはこうあるべきだ」という「べき論」になってしまうからです。

冨山:それは危ないですよね。

堀内:そうです。「べき論」になってしまうと、そこから外れている人に対して「こいつはとんでもないやつだ」という結論になってしまいます。それは非常に危険なことだと僕は思っています。「べき論」という鋳型に人間をはめ込むわけですから。やはり、人間をよく観察するところからスタートした方が危なくない。そういう意味で、『君主論』は、「人間をよく観察した結果、こういうことが言える」という内容が書いてある代表的な書物でしょう。

冨山:悪でも勝つことがある、と書いてありますが、事実だから仕方ないという。

堀内:それに、世の中をきちんと見ると、正義や悪という抽象的で二分法的な概念だけでは、とても整理し切れないですよね。人間って、もっと複雑じゃないですか。抽象的な概念に当てはめて、「これは正しい」「これは間違っている」と言い切るのではなく、経験的に積み上げてきたものを重視する考え方こそ大切だと思います。そうした観点から、ビジネスの世界で『君主論』がもっと読まれてほしいと思っています。ただし、この本は、単純に「強いやつが勝てばいいんだ」と言っているわけではないので、そこだけは気をつけて読んだ方がいいですね。

私たちは歴史のダイナミズムの中にいる

冨山:人の「集団」を考える時、我々はしばしば「抽象化された一定の原理で動くもの」と捉えがちです。「日本人は……」とか、「男は……」とかね。でも、現実の人間はそれぞれに限られた命があり、煩悩があり、その中で色々な行動様式を取っていますから、集団として抽象化された一定の原理で動くわけではない。だから、抽象的にモデル化した理論で考える経済学の予測というものも、なかなか当たらないんですよね。これは経済学の限界でもあります。

堀内:人間や社会について一生懸命に観察し、そこから共通の概念を導き出していくと、「人間とはこうだ」「社会とはこうだ」という抽象化が進みます。具体的なものを観察して、それを抽象化するということには意味も意義もあって、そこから見えてくるものがある。しかし注意したいのは、さらにそれをモデル化して、また実社会に戻って当てはめようとする段階のこと。この「当てはめ」のところが僕は危険だと思っています。

 理解を促進するために抽象化したのに、それが実態を表しているのだと勘違いしてしまう。そして、実態が抽象化したモデルと合わないと、「実態がおかしい」という話になってしまう危険性があります。

 今の行動経済学は人間の非合理性をモデルの中に取り込み始めていて、前提とする人間像を少しでも現実に近づけようと努力していますが、やはりメカニズム的に経済を理解しようという傾向が強い。抽象が具体を支配しだすと、非常に危険な状態になっていきます。

冨山:不幸なことが起こるということですね。

堀内:そうです。誰かの抽象的な理想像に、現実を無理やり当てはめようとすれば、そこに生きる人たちにとっては、非常におかしな事態を招くことになります。現実の問題を解決しようとしてシステムを作る、しかしそのシステムが人間を疎外し始める、そのために、「システムを見直そう」となり、また具体を抽象化して……と延々と繰り返されてきたのが、歴史のサイクルなのかもしれません。

冨山:市場原理主義と社会原理主義の振り子なんて、まさにそれですね。どちらも原理主義に振れると不幸になる。

堀内:人はそんなにシンプルにできていないから、原理主義的なものに厳格に合わせようとすると、耐えられなくなります。ですから、永久にこうしたサイクルを繰り返していくということが健全なのではないでしょうか。抽象化して理想に近づいたと思っても、時間の経過とともにそれが少しずつズレていく、そこからまた現実をよく見ようと経験主義に戻っていくという。

 歴史がダイナミズムなものであることが理解できれば、今どの辺りのサイクルにいるのかが分かりますよね。『読書大全』は、そのサイクルを理解するために、こうした歴史の流れを意識して書いたつもりです。

<後編に続く>

(構成:梶塚美帆)

日経ビジネス電子版 2021年4月1日付の記事を転載]

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