国際基督教大学高等学校(ICU高校)に入学した生徒は、いきなり入学式で「世界人権宣言」の原則にのっとって学校生活を送ることを宣誓し、全員が誓約書にサインします。

 それまで人権について深く考えたことがないという生徒もいるでしょう。それは無理もないと思います。

 でも、さまざまな国からの帰国生が集まり、異なる文化や価値観が交わるこの場所では、人権について考える機会が自然に多くなる。もちろん、私たちも積極的にそんな機会を提供します。その中で、生徒たちは自分自身を尊重し、それと同じくらい他者も尊重することを学んでいきます。

 そこで、今回は人権について考えさせてくれる本を紹介したいと思います。

仲島ひとみ(なかじま ひとみ)。国際基督教大学高等学校国語科教諭。1980年生まれ。東京大学卒業後、同大学院修士課程修了。ロンドン大学UCL Institute of Education留学。趣味はマンガを読むことと描くこと。著書に『それゆけ!論理さん』(野矢茂樹監修・筑摩書房)、『国語をめぐる冒険』(共著・岩波書店)、『中高生のための文章読本』(共編・筑摩書房)など
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仲島ひとみ(なかじま ひとみ)。国際基督教大学高等学校国語科教諭。1980年生まれ。東京大学卒業後、同大学院修士課程修了。ロンドン大学UCL Institute of Education留学。趣味はマンガを読むことと描くこと。著書に『それゆけ!論理さん』(野矢茂樹監修・筑摩書房)、『国語をめぐる冒険』(共著・岩波書店)、『中高生のための文章読本』(共編・筑摩書房)など

 まず、福祉事務所の新人ケースワーカーを主人公に、生活保護の実態を描いた柏木ハルコさんのマンガ 『健康で文化的な最低限度の生活』 (小学館)。

 生存権をうたう日本国憲法第25条の「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」という条文は社会の授業で習った、生活保護という制度があることも分かっている、でもその実態についてはよく知らない――という人が、私も含めて、ほとんどなのではないでしょうか。

 著者が連載開始までに2年を取材に費やしたというこの本には、受給者の生活模様が描き込まれ、それがものすごいリアリティで迫ってきます。一人ひとりがどんな人生を歩み、その中で何があって生活保護を必要とする事態に至ったのか。そして、今はどんなふうに生活しているのか。

 受給者の中には問題を抱えた人も少なくなく、それぞれの事情は非常に複雑で込み入っています。そこで、主人公たちケースワーカーが大奮闘するわけですが、スッキリ解決ということはまずなくて、悩み、迷い、泣いたり、怒ったり、途方に暮れたり。

 でも、どんな問題を抱えていても、どんな事情があったとしても、一人ひとりの人生はかけがえがない。

 そう感じさせてくれるのが、この作品の力であり、マンガという表現の力だと思います。

 生活の細部にわたる描写、ふとしたしぐさやまなざしなどが、想像を押し広げ、私たち読者は共感しながら読み進めることに。そして、生活保護という制度がどのように成り立っていて、ケースワーカーがその中で何に悩み、行政上の方針といかに折り合いをつけ、どう動いているのか。支援する側・される側の現実と葛藤が、物語の形をとることで分かりやすく伝わってくるのです。

 これは、マンガだからこそ可能になったことのような気がします。

「『健康で文化的な最低限度の生活』(柏木ハルコ著/小学館)は、どんな問題を抱えていても、どんな事情があったとしても、一人ひとりの人生はかけがえがないと感じさせてくれる作品」
「『健康で文化的な最低限度の生活』(柏木ハルコ著/小学館)は、どんな問題を抱えていても、どんな事情があったとしても、一人ひとりの人生はかけがえがないと感じさせてくれる作品」
一生の宝物になる。
先生たちに聞いた人生を支える一冊

 あの名門校の先生は、これから大人へと成長していく、中学生・高校生たちにどんな本を薦めているのでしょうか?生徒たちに薦めたい本、授業で扱った本、自分が好きな本を紹介しながら学校の特色や、本にまつわるエピソードまでをとことん語ります。
【掲載校】国際基督教大学(ICU)高校/広尾学園/フェリス女学院/豊島岡女子学園/渋谷幕張/聖光学院/開成/灘

平林理恵著、日経BOOKプラス編/日経BP/1760円(税込)

生徒たちに読ませたくて、図書館に入れてもらった

 読んでいて胸が締め付けられたのは、保護世帯の高校生がルールを知らずに未申告でアルバイトをしてしまい、所得隠しの意図はまったくなかったにもかかわらず、「不正受給」という強い言葉で、バイト代をすべて取り上げられてしまうところ。

 不正受給の問題はメディアでも大きく取り上げられることが多いためか、莫大な金額が支援する必要のない人につぎ込まれていると思われがちですよね。でも、それは大きな誤解。本書の中にも書いてあるように、不正受給は生活保護費全体の0.5%とごく僅かです。しかも、その大半はこの高校生のようなうっかりミスで、悪意のあるものは極めて限定的。

 むしろ問題は、本来であれば当然生活保護を受けられる人が、セーフティネットから漏れてしまっていることのほうなのです。

 私たちの社会には、生活保護を受けるのは恥ずかしいことだと思わせるような風潮がありますよね。だから人に迷惑を掛けまいと、限界を超えても我慢する人が出てきてしまう。

 迷惑なんて掛け合えばいいんですけど、なかなかそうは思えない。私たちはまだ、人権というものが生まれながら無条件で全員に与えられているということが腑(ふ)に落ちていないのかもしれません。

 生活保護バッシングをする人は、事実を知らず、あまり考えずにやっていることがほとんどでしょう。生徒たちには、ちゃんと知ったうえで、深く考えてほしい。知ることは想像力の土台となり、寛容さを培うものだと思っています。この本はそのための回路を作ってくれるような気がして、生徒たちにも読んでほしくて、図書館に入れてもらいました。

「生活保護の問題について、生徒たちには、ちゃんと知ったうえで、深く考えてほしい。知ることは想像力の土台となり、寛容さを培うものだと思っています。この本はそのための回路を作ってくれるような気がして、生徒たちにも読んでほしくて、図書館に入れてもらいました」
「生活保護の問題について、生徒たちには、ちゃんと知ったうえで、深く考えてほしい。知ることは想像力の土台となり、寛容さを培うものだと思っています。この本はそのための回路を作ってくれるような気がして、生徒たちにも読んでほしくて、図書館に入れてもらいました」
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マンガが「物事を知る」「何かを考える」きっかけに

 人権が脅かされるのは貧困も差別もそうですが、戦争はその最たるケースと言えるかもしれません。

 そこでもう一冊、戦争を題材にしたマンガ 『戦争は女の顔をしていない』 (小梅けいと作画/KADOKAWA)を紹介します。

 この本は、2015年にジャーナリストとして初めてノーベル文学賞を受賞したスヴェトラーナ・アレクシエーヴィチの代表作が原作。第2次世界大戦中、旧ソ連軍に従軍した500人を超える女性たちから体験を聞き取り、その証言を通して過酷な体験と生々しい感情を描き出した作品です。

 それを小梅けいとさんがコミカライズしたのが本作ですが、その緻密に描き込まれた作画には圧倒されます。軍服や武器、景観、戦地の状況、文化的な背景……もちろん監修がつき、しっかり考証されているのですが、少ない材料から想像力を羽ばたかせて具体的な絵にしていく作業がどんなに大変だったことか。

 でも、そのおかげで、原作のインタビューだけからは読み取りきれない情景を私たちは思い浮かべ、従軍したソ連の女性たちの感情に寄り添うことができるのです。

 想像も共感もしやすいマンガには、悪意や誤解でも簡単に伝えてしまうという怖さはありますが、物事を知ったり何かを考えたりする「入り口」として、大きな可能性があると思います。

「『戦争は女の顔をしていない』(小梅けいと作画/KADOKAWA)は、軍服や武器、景観、戦地の状況、文化的な背景などが緻密に描かれています。原作のインタビューだけでは分からないものを私たちは思い浮かべ、従軍したソ連の女性たちの感情に寄り添うことができます」
「『戦争は女の顔をしていない』(小梅けいと作画/KADOKAWA)は、軍服や武器、景観、戦地の状況、文化的な背景などが緻密に描かれています。原作のインタビューだけでは分からないものを私たちは思い浮かべ、従軍したソ連の女性たちの感情に寄り添うことができます」

立ち止まって声を上げなくてはいけない、それを教えてくれる本

 次に紹介するのは、心理学者で人権運動家でもあるフランク・パヴロフ氏の 『茶色の朝』 (大月書店)。

 あるとき、茶色のペットしか飼ってはいけないという法律ができた。最初は猫、次は犬。茶色ではないペットは処分されていく。なぜなら、茶色は子を産み過ぎず、餌も少なくて済むことが、あらゆる選別テストによって証明されたから――この物語は「ペット特別措置法」が施行されたところから始まります。

 そのとき「俺」は、驚き、胸を痛めるけれども、「仕方がない」とやり過ごします。その後この法律を批判した新聞が廃刊になり、新聞が「茶色新報」だけになったときは「うっとうしかった」けれども、「俺」は今まで通り生活を続行。

 やがて、批判的な本が図書館や書店から強制撤去され、言葉や単語に「茶色」を付け加えるのが習慣になる頃には、「茶色に染まることにも違和感を感じなくなって」しまい、ついには「茶色に守られた安心、それも悪くない」と思うように。

 しかし、過去に茶色以外のペットを飼っていたという理由で、友人が逮捕されることになり、「俺」の身にも危険が迫ります。

 「茶色党のやつらが、最初のペット特別措置法を課してきやがったときから、警戒すべきだったんだ」「抵抗すべきだったんだ」と悔やむ「俺」。
 そして、朝早く聞こえてきた誰かがドアをたたく音。ついに茶色に支配される「茶色の朝」が「俺」のところへも――。

「物事に違和感や疑問を感じたときに、きちんと立ち止まって声を上げたり、行動を起こしたりしなくてはいけない。『茶色の朝』(フランク・パヴロフ著/大月書店)は、それを教えてくれます」
「物事に違和感や疑問を感じたときに、きちんと立ち止まって声を上げたり、行動を起こしたりしなくてはいけない。『茶色の朝』(フランク・パヴロフ著/大月書店)は、それを教えてくれます」

 茶色に染まるということは、他の色は認めない全体主義に支配されるということでしょう。

 静かな文章で書かれた短い物語ですが、今の日本はどこまで来ちゃっているんだろう、と考えながら読むと、じわじわとひたひたと恐ろしくなります。

 日本で育つと、物事に疑問を呈したり、いちいち物申したりすることをよしとせず、自分の中で納得できる理由を見つけて自分を収めちゃうことが得意になりますよね。

 でも、それをやっていると行き着く先は「茶色の朝」かもしれない。立ち止まって声を上げなくてはいけないということを、この本は教えてくれていると思います。

 幸いICU高校には、海外で教育を受けた帰国生が大勢います。その多くは、物申すことに抵抗がないというか、口にするのが当たり前だと考えている。だから、実際、何か問題に直面したとき、真っ先に声を上げるのは帰国生の子たちであるケースはとても多く、それに触発されて他の子たちも考えたり、行動し始めたりすることも少なくありません。

 こんなことが教室の中で日常的に起こるのは、やはりうちの学校の長所ではないかと思います。

 「茶色の朝」は突然来るわけでなく、小さなやり過ごしが積み重なった結果やってきます。だから、物分かりよく飲み込んだりせず、違和感をやり過ごさないで声を上げていくことを、みんなで大切にしていけたらいいなと思います。

「何か問題に直面したとき、真っ先に帰国生の子たちが声を上げて、それに触発されて他の子たちも考えたり、行動し始めたりすることも多くあります。こんなことが教室の中で日常的に起こるのは、ICU高校の長所だと思います」
「何か問題に直面したとき、真っ先に帰国生の子たちが声を上げて、それに触発されて他の子たちも考えたり、行動し始めたりすることも多くあります。こんなことが教室の中で日常的に起こるのは、ICU高校の長所だと思います」
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一番怖いのは無関心。私たちは知って、理解しなくてはならない

 「声を上げていく」ということに関連して、最後に佐々涼子さんの 『ボーダー 移民と難民』 (集英社インターナショナル)を紹介したいと思います。

 内戦や政治的迫害などで日本に逃れてきた外国人を難民として認めない政府、日本で家族を持っていようが、帰還したら命の危険にさらされることになろうが、本国に強制送還しようとする入管(出入国在留管理庁)、入管施設への長期収容で体を壊し、命さえ落とす収容者がいるという実態。この本では、入管の人権を無視した非人道的な状況が、難民問題に取り組む弁護士への取材を通して明らかにされます。

 入管施設に収容されているのは犯罪者だと思っている人も少なくないでしょうし、「ほとんどが偽装難民だ」と言われたら、そんなものかと納得してしまうかもしれない。著者の佐々さんは、「入管問題を作り出し、放置していたのは、ほかならない、無関心な私自身だったのだ」と書いています。

「『ボーダー 移民と難民』(佐々涼子著/集英社インターナショナル)は、入管の人権を無視した非人道的な状況が明らかにされています。この本をきっかけに、入管問題を理解しようと生徒たちが行動を始めました」
「『ボーダー 移民と難民』(佐々涼子著/集英社インターナショナル)は、入管の人権を無視した非人道的な状況が明らかにされています。この本をきっかけに、入管問題を理解しようと生徒たちが行動を始めました」

 一番怖いのは無関心。入管で起きていることを私たちはまず知って、そして、理解しなくてはならない。そんな思いから、この本の中にも登場する、長期にわたって入管に拘束され続けたイラン人のサファリさんを、彼を支援している牧師の先生と共に講演会にお招きしたことがあります。

 講演を聞いた生徒たちは、サファリさんの話に衝撃を受け、すぐに自分たちも何かしたいという声が上がりました。そして、ICUの学生による難民支援団体の高校支部を立ち上げ、「入管問題の当事者の話を聞こう」という講演会を企画したり、入管を訪問したりと、積極的な活動をしています。

 ある人を大事にしない人は、どの人も大事にしない。外国人や障害者や性的マイノリティが差別されている社会は、誰も彼もが大事にされない社会になってしまう。そういったことに問題意識を持ち、おかしいと思うところにははっきり異を唱え、自分たちでできることはないかと考えて動き出す。そんな生徒たちが育っていることをとっても頼もしく思います。と同時に、私自身は、生徒たちに考える機会をできるだけたくさん持ってもらうことで、平和な世界を作ることに貢献できる人を育てていくことができればいいな、と考えています。

「問題意識を持ち、おかしいと思うところにははっきり異を唱え、自分たちでできることはないかと考えて動き出す。そんな生徒たちが育っていることをとっても頼もしく思います」
「問題意識を持ち、おかしいと思うところにははっきり異を唱え、自分たちでできることはないかと考えて動き出す。そんな生徒たちが育っていることをとっても頼もしく思います」
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取材・文/平林理恵 構成/南浦淳之(日経BOOKプラス) 写真/稲垣純也