多くの人にとって病院が「怖い場所」なのは、医師に「体の異変」を告げられたくないから。またそのような「人生の課題」から逃げたいということでもある。残念ながら、そこには医師の言い方の問題もある。哲学者で、『医師と患者は対等である』(日経BP)を刊行した岸見一郎氏に、日経BOOKプラス編集部と日経メディカル編集部が合同で聞いた。岸見氏はベストセラー『嫌われる勇気』(ダイヤモンド社)の著者でもある。

病院とは「怖い場所」

日経BOOKプラス編集部 桜井保幸(以下、──) 多くの人にとって、病院というのは「できれば行きたくない場所」だと思います。特に「これまで健康に生きてきた」「できれば薬を飲みたくない」という人ならなおさらです。岸見さんから見て「病院」とはどんなところだと思いますか。

岸見一郎(以下、岸見) 病院とは多くの人にとって「怖い場所」です。その理由として2つのことが考えられます。

 まず1つは「自分の体の異変について医師から告げられたくない」からです。特に健康に自信がある人ほど、異変に気づいたとしても認めようとしません。体の声を聞かず、「これは疲れているだけだから、少し休めば良くなる」と無害な解釈にすり替えてしまう。そして、いよいよ痛みや症状に我慢できなくなってから病院に行くことになってしまいます。

 2つ目は「体の異変への対処」という「人生の課題」から逃げたいからです。家族や周囲が「病院に行ったほうがいい」と勧めても、「でも」と言い訳をします。「でも、たいしたことないから」「でも、今は忙しくて病院に行けないから」などと病院に行かない言い訳をして、自分が本当に健康なのか、あるいは何らかの病気なのか確かめ、病気であれば対処するという「人生の課題」に直面することを避けてしまう。アドラー心理学的にはこうした見方ができると思います。

それは今の日本の医療や病院が良いとか悪いとかは関係なく、病院とはそういう場所であるということですね。

岸見 はい。相手がいわゆる「名医」といわれる医師でも同じです。信頼できる医師や病院でも、「できれば避けたい」と思う人が多いのではないでしょうか。そして残念ながら、事実を告げるときの医師の言い方にも問題がありますね。

「事実を告げるときの医師の言い方にも問題がある」と語る岸見さん
「事実を告げるときの医師の言い方にも問題がある」と語る岸見さん
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岸見さんご自身も大病をされています。医師と患者の関係について考え始められたのは、その時からですか。

岸見 最初は自分自身の病気ではなく、「患者の家族として」でした。私が25歳のとき、母が脳梗塞で倒れ、3カ月の闘病後に亡くなりました。母の入院時には、1日18時間も母の病室で過ごしたこともありました。1日1日と死に向かっていく母を見ながら「死とは何か」、医師や看護師の対応を見ながら「医療とは何か」を考えるようになりました。もっと遡れば、子どものときに弟、祖父、祖母が1年以内に立て続けに亡くなったことも「死」について考えるきっかけとなりました。

 それで医学に興味を持ったのですが、医学は患者の「体」を診るものであり、医学を学んでも「死とは何か」という問いに対して答えは得られないと思い、哲学を学びました。もし当時、精神医学のことを知っていたら、精神科医を目指したでしょうね。その後、哲学とアドラー心理学を学び、大学の看護学部で生命倫理についての講義を長く担当するなど、医療と深く関わることになりました。

生活習慣病はぜいたく病ではない

岸見さんご自身が大病をされたのは、いつ頃ですか。

岸見 50歳のときに心筋梗塞で倒れ、救急車で運ばれました。気が動転していたので聞き間違いだったかもしれませんが、医師から10人中8人が亡くなる病気だと聞いて、人はこんなふうにあっけなく死んでしまうのか──と思いました。幸い一命は取り留めましたが、退院後、心筋梗塞というと「生活習慣病」だと捉えられることが多く、「大変でしたね」と同情はしてもらえず、「ぜいたくな食事をしていたんだね」と話す医師の友人までいることに驚きました。

 しかし、心筋梗塞は生活習慣が原因ではないこともあります。私の場合は、母は脳梗塞で倒れ、父も狭心症を患っていたので、遺伝的な要因があるのだと思います。勝手にそんなことを決めつけてほしくないと心外でした。

日経メディカル編集部 安藤亮(『医師と患者は対等である』担当編集者) 「生活習慣病」という言葉には一種の偏見があるかもしれません。「生活習慣を改善すれば予防しやすくなる」のはもちろんですが、あたかも「生活習慣だけが原因である」という捉えられ方をするのは問題だと感じます。

岸見 医師が患者に共感していないと、患者を責めたり、批判したりということになりますね。「ちゃんと薬を飲まないと」「お酒をやめないと」と怒られるのが嫌で、患者も「薬は飲んでます」「お酒はやめています」と嘘をついてしまう。

 歯科医院に行くと、「きちんと歯磨きができていませんね」と言われることがあります。こちらはそんなことは言われなくても分かっているので、何も言わずに診てくれたほうがありがたいと感じます。以前、小言をいっさい言わずに診察してくれる歯科医が近所にいたのですが、その医師のことは信頼していました。

 同じ言動であっても「不適切な面に注目する医師」よりも「適切な面に注目する医師」のほうが信頼できます。ダメだと思っていることに追い打ちをかけてくるよりも、「よく来たね」と迎えてくれる医師のほうがありがたいです。

自分の課題を受け入れる勇気

信頼できる医師に巡り合えるのが何よりですが、なかなか難しいようにも思います。患者は医師からできれば聞きたくない「告知」を受けることもあります。そういった状況下を含め、患者と医師はどのように関係を築いていけばいいのでしょうか。

岸見 医師も患者を信頼しないといけません。患者に「この先長くは生きられない」という真実を伝えるのは大変なことです。だからこそ「この人は真実を受け入れることができるはずだ」と信頼し、ごまかさずに伝えるべきです。患者を信頼できない、真実を伝える勇気のない医師は、「大丈夫」などと気休めを言うでしょう。

 同時に患者も自分自身を信頼しなければなりません。死に至る病気を受け入れるには大変な覚悟が必要です。でも、この課題から逃れることはできません。受診をしないという選択はできるけれども、誰一人として死から逃れることはできません。常日頃から「自分は自分の課題を受け入れる勇気を持っているのだ」と心しておくべきかもしれません。メメント・モリ──死を忘れることなかれですね。

医師ならば、死に立ち会う経験も豊富にあるのではないですか。

岸見 医師が知っている死は「不在」です。患者の残された家族に対して「おつらいですね」と察することはできるかもしれません。患者も友人や家族の死については知っているかもしれませんが、それは「二人称の死」であって、誰も自分自身の死、「一人称の死」については分からないのです。あの世から生還した人でもない限り。

 医師も患者も死について分からないのであれば、お互いに協力して病気に立ち向かっていくべきです。医師からの「こんな事実をお伝えするのは、つらいのですが」という気持ちが伝われば、患者も「残酷なことを突きつけられている」とは思わないでしょう。

 すぐには無理だとしても、医師と患者が対等になれる関係を築いていくべきです。その方法についても考えていきましょう。

(第3回に続く)

取材・文/三浦香代子 取材・構成/桜井保幸(日経BOOKプラス編集部) 写真/岸見さん提供

これからの医師患者関係

こんなとき、医師と患者はどう向き合えばよいのか。医師は患者の思いをどのように受け止め、どんな言葉をかけるのか──。日常診療の中で直面する様々な場面において、医師と患者が対等な人間として「共に歩む」ための心構えを、ベストセラー『嫌われる勇気』の著者が解説。

岸見一郎著/日経BP/2640円(税込み)