メード・イン・ジャパンといえば、高品質の代名詞とも言われてきた。では、最高品質かと問われれば、胸を張ってそう言い切れる商品は、どれだけあるだろうか。元日本経済新聞編集委員の大橋牧人氏が、100年にわたる昭和の呪縛について警鐘を鳴らし、転換の糸口を考える日経プレミアシリーズ『それでも昭和なニッポン』から抜粋する。

銀座の路面店は海外ブランドだらけ

 東京の銀座、大阪の御堂筋、名古屋の栄――。日本を代表する繁華街の目抜き通りには、ルイ・ヴィトンやシャネル、グッチ、エルメスなど、主にヨーロッパのファッションブランドの有名店が豪華な路面店をずらりと出店している。それは、ニューヨークやシンガポール、シドニーとあまり変わらない。

 では、パリのシャンゼリゼやロンドンのボンドストリートに、日本発のファッションブランドの店が立ち並んでいるだろうか。答えはノーだ。いや、東京や大阪や名古屋でさえ、ほとんどない、というのが実情だ。せいぜい、百貨店の高級ブランドフロアにテナントが出ている程度である。

 欧州ブランドの洋服でもバッグでも、その原価を考えれば、考えられないような高価な値札が付いている。だが、世界中のお金に余裕のある人たちは、日本円にすれば何十万円、何百万円であっても喜んで買う。理由は、それらの憧れのブランドを身に着けることで得られる満足感、もっと言えば、優越感だろう。日本の場合、世界の一般大衆に広がる憧れのブランドにまでは育っていない。

東京・銀座ですら、メインストリートに目立つのは、日本のアパレルではなく海外の高級ブランド店である(写真:moonrise/stock.adobe.com)
東京・銀座ですら、メインストリートに目立つのは、日本のアパレルではなく海外の高級ブランド店である(写真:moonrise/stock.adobe.com)
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 自動車でも、ポルシェやフェラーリ、ランボルギーニに匹敵するような超高級車のブランドは、日本からは出てこない。昭和の初頭に本格化した国産車の開発・製造も、基本は米フォードやGMの車を代替できる実用的な乗用車だった。もちろん、当時の日本では、自動車自体が高級品だったが、ブティックのような欧州の超高級車とは全く違う路線だった。

 日本車メーカーは、戦後、その大衆路線を徹底し、燃費が良く、耐久性が高い日本車を磨き上げて、世界的に人気を呼び、販売台数で米国を超える存在にまでなった。

 昭和末期くらいまでは、家電メーカーも同じ路線で、世界を席巻した。ソニー、パナソニック、東芝、シャープ、三洋電機……。1990年代の米国でもアジアでも、これらの日本製テレビやビデオなどが飛ぶように売れていた。理由は、やはり、品質が高く、その割に値段が安かったからだ。

 しかし、そのうち、日本製に遜色のない品質で、価格がより安い韓国のサムスンやLG製品に追い上げられ、追い抜かれていった。次第に、中国メーカーも力を付け、日本製の家電製品の出る幕はほとんどなくなった。

 日本の製造業を取り巻く環境が大きく変わっているのに、昭和後半、戦後の高度成長期の成功体験が忘れられず、方向転換を怠っているうちに、手遅れになったのだ。

ユニクロや吉野家は海外でも人気だが…

 ここ20~30年で、世界に羽ばたき、ニューヨークやロンドン、香港などの目抜き通りに出店して、ニッポン・ブランドとして成功している例としては、まず、衣料品のユニクロが挙げられる。デザインや機能性に優れたカジュアル衣料が世界の若者に受け入れられ、総店舗数約2500店のうち約1700店が海外の店舗だ。

 国際的にMUJIの名称で知られる無印良品は、1980年、スーパー西友のプライベートブランドとして誕生した。無駄な装飾や加工を省いた環境重視の日用品などが消費者に受け入れられ、今では世界に1200店以上の店舗を構える。

 100円ショップのダイソーも、アジアや米国、ブラジル、中東など世界各国のショッピングセンターなどに約1000店舗を展開している。最近では、大谷翔平選手の所属するロサンゼルス・ドジャースの本拠地球場などに広告を出して話題になった。家具のニトリも中国本土や台湾、東南アジア各国に続々と出店している。

 これらの店には、国内の店と同様、欧州ブランドのような高級品はない。売り物は、良好な品質とそこそこおしゃれな商品、それにしては安い値札だ。

 おっと、忘れてはいけない。牛丼の吉野家やラーメンの一風堂、うどんの丸亀製麵などのファストフードのレストランも、過去20年ほどでアジアや米国などに進出している。だが、もちろん、こうした店は、ミシュランガイドに星付きで載るレストランではない。あくまでも、安くて結構おいしい日本食が食べられる大衆店として受け入れられているのだ。

 かつて、世界各地で流行の最先端を行っていたソニーのウォークマンやパナソニックのテレビも、アジア勢が似たような商品をより安く供給するようになると、市場の中心から片隅へと追いやられた。高度成長期の日本企業が作っていた人気商品は、世界の消費者にとっては、その程度のものだったのだ。

 代わって、世界の若者の心を捉えたのは、アップルのパソコン、マッキントッシュであり、創業者のスティーブ・ジョブズが「電話を再発明する」と宣言したiPhoneだった。

 価格は安くないが、多機能でスマートなデザインのiPhoneが日本に登場してから16年。国産の携帯電話は、市場ではすっかり少数派になってしまった。

まだアジアのリーダー? 実像を正視する時

 G7サミットへの日本の参加資格は、合格点ギリギリまで落ちている。

 日本は1975年に発足した主要国首脳会議(G7サミット)の当初からの参加国で、アジア唯一のメンバーだが、2020年、この日本の立場を揺るがしかねない出来事があった。

 この年の議長国である米国のドナルド・トランプ大統領(当時)が、インドやロシア、オーストラリアとともに、韓国を新メンバーに加えるG11構想を打ち出したのだ。

 この構想は、日本など既存メンバーの反対で消えたが、韓国の存在感を印象付けるエピソードだった。アジアにおける日本の地位の低下が表面化した、とも言える。その30年前の1990年だったら、話題にもならなかっただろう。当時、日本は、名目国内総生産(GDP、ドル換算)では、世界ランキングで米国に次ぐ2位。韓国は、日本のはるか下位だった。だが、その後、日本はだいぶ前に中国に抜かれた。しばらくの間、3位だったが、2023年にはドイツにも抜かれて4位。5位のインドとの差もわずかで、5位転落も時間の問題だ。韓国は、順調に順位を上げ、14位だ。じわじわと、アジア、特に東アジアでの存在感を増している。サミットメンバーの背中が見えてきた、といったところだ。

 国民1人当たり名目GDPでも、32位の日本のすぐ下の33位だ。韓国にしてみれば、日本を抜くのは、もう既定路線だろう。シンガポール(5位)や香港(22位)には、とっくに抜き去られている。

 安くてそこそこ性能の良い電化製品を作る技術を徹底的に磨いた日本企業の優位性は、韓国や中国のメーカーに奪われてしまった。最後の砦(とりで)と言ってもいい自動車ですら、強さは以前ほどではない。強さは弱さに転化する。あまりにも強かった時代が続くと、企業はそれに固執し、次第に内部から崩れていく――。半導体製造業で世界の成長センターになった台湾は、この分野で「台湾ブランド」を打ち立てつつある。そうしたブランドの種が今の日本にあるのか? もはや手遅れでなければ良いのだが……。

「昭和100年」を前に、問題の本質と打開策に迫る。

30年にわたる日本の停滞の原因は、今も残る昭和型の社会構造にある――。元日本経済新聞編集委員が、大企業不祥事からエンタメ業界の闇まで時事ニュースを取り上げながら100年にわたる昭和の呪縛について警鐘を鳴らし、転換の糸口を考える。

大橋牧人著/日本経済新聞出版/1045円(税込み)