新刊『 技術への問い 』はドイツの哲学者マルティン・ハイデガー(1889-1976)の4つの講演と論文を収録する。1930年代から50年代に示された「技術論」の冴えは時を経てもあせることなく、現代を生きる我々になお「テクノロジーと人間の関係」について問いかける。ここでは「日経BPクラシックス」シリーズ29作目に加わる本書への誘いと理解の補助線となる「解説」として、翻訳を手掛けた中山元氏による「ハイデガーの四つの技術論の位置──訳者あとがきに代えて」をお届けする。
ハイデガーの四つの技術論の位置──訳者あとがきに代えて
本書には、ハイデガーの技術論の核心をなす四つの講演と論文を掲載した。執筆時代順に示すならば、「世界像の時代」(一九三八年)、「物」(一九四九年)、「建てること、住むこと、考えること」(一九五一年)、「技術への問い」(一九五三年)であるが、ここではハイデガーの到達点から読んでいただきたいので、到達点から時代を遡る形で掲載してある。この「訳者あとがきに代えて」では、発表時代の順にこれらの文章について簡単に紹介したい。
世界像の時代
一九三八年に発表された「世界像の時代」というタイトルの論文は、世界像とか世界観という言葉が、近代になって登場したものの見方を示すものであることを指摘しながら、その背景にある近代的な人間のものの見方を解明しようとする力作である。とくに世界像という言葉は、近代という時代の特徴を明確に示すものとして提示されている。この言葉は世界があたかも「像」のように、わたしたちの目の前に写し出されるものとみなしていることを明確に示している。わたしたちは世界のうちで生きているのであるが、世界像なるものを心のうちで思い浮かべるということは、そのわたしたちが主体として、世界をあたかも目の前に立たされた像、すなわち表象であるかのように考えていることを示すものである。世界像という言葉は、世界をあたかも「現にある状態のままでわたしたちの前に〈立て〉ながら、その存在するものをそのように〈立てられた〉ものとして、わたしたちの目の前につねに所有している」(本書198ページ)ように考えていることを自明の前提としている。
この言葉では、世界はわたしたちが生きる場そのものではなく、わたしたちが目の前に表象として思い描くものとみなしているのである。ここで重要なのは世界をそのような像や表象として思い描くときには、わたしたちは世界を表象として立てている、すなわちそうした像を目の前に「制作」しているということである。「存在するものは今や全体として、〈目の前に立てて制作する〉人間によって立てられるものとなるときに、そしてそのときにかぎって初めて〈存在するもの〉となる」(199ページ)のである。これは世界についての近代に特有の構えであり、それ以前の時代には考えられなかったことなのである。だからこそ「中世的な世界像が変化して近代的な世界像になったということはありません。そもそも世界が像になるということにこそ、近代の本質の重要な特徴が示されている」(200ページ)のだと、ハイデガーは考える。
というのも、「像ということは近代においては、〈表象することによって制作されたものの全体〉を意味するようになりました。このようにして制作されたものの全体のなかで、人間は存在するすべてのものに尺度を与え、基準を示すものとなりうる立場を確保するために闘う」(209ページ)からである。「表象することはもはや、〈何ものかのためにみずからを隠さない〉ことではなく、〈何ものかを捉えて把握すること〉なのです。ここでは現前するものが統べているのではなく、攻撃するものが支配しているのです」(245ページ)という事態になったのである。このようにして世界が像になり、表象になり、人間の制作したものとなるに応じて、人間の知は世界を征服する手段となり、人間の駆使する技術は、世界を攻撃し、征服し、支配し、利用するための手段となりえたのである。近代的な技術の登場はこのように、近代においても初めて登場した世界を〈像〉として眺めるまなざしによって可能になったことを、ハイデガーは力説する。
さらにハイデガーはこの論文で、この世界と存在を表象とみなす近代の時代は、人間が主体として自己を確立した時代であることを指摘しながら、この主体としての人間がいかにして近代哲学の根拠となりえたかについて、デカルトのコギトの概念を軸に、詳細に考察している。このハイデガーのデカルト論はほぼ補遺四から補遺九(219~253ページ)までで示されたものであり、デカルトに始まる近代の哲学と技術が、世界の支配のためにどのように活用されるようになったかについて、そしてこの世界の表象という構えが、自然に対していかに攻撃的な姿勢を生みだすものであるかについて(「ここでは現前するものが統べているのではなく、攻撃するものが支配しているのです」〈245ページ〉)、きわめて行き届いた深い考察を展開するものとして注目される。
物
戦後の一九四九年に行われた「物」という講演でハイデガーは、このように世界や存在するものを像として、表象として立てるようになったのは、近代という時代の本質的な特徴ではあっても、すでに古代ギリシアにおいてその萌芽は発生していたことを指摘している。この講演では、「プラトンは、目の前に存在しつづける物のその現前性について、姿という観点から表象したので、〈物〉の本質については考察しなかったのであり、それはアリストテレスについても、その後のいかなる思想家についても言えることなのです」(132ページ)としている。そしてプラトンのイデアやアリストテレスのエイドスの概念は、「見る」エイデインという動詞に基づいたものであり、世界を表象とするまなざしがすでにこの時代に生まれていることを示唆している。さらにハイデガーはこれを敷衍して、「プラトンは、目の前にありつづけるものをすべて〈制作する〉働きの対象となるものとして経験したのであり、この姿勢がその後の思想に決定的な影響を及ぼした」(同)ことを強調している。そして世界を表象とみなすまなざしの背景に、すべてのものを「制作する」という営みの観点から眺めようとする傾向が控えていることを指摘している。
この論文では表象の対象である「壺」を実例としながら、わたしたちが身近に使っている道具のようなものは、たんに表象の対象であるだけではなく、そこに天空と大地、神的なものと死すべき者との四者が統一的に作りなされている〈四方域〉が宿っていることを、詩的な文章で描きだしている。
建てること、住むこと、考えること
一九五一年に発表された「建てること、住むこと、考えること」という講演の記録は、その二年前に発表された「物」という文章を受け継ぎながらも、さまざまな「物」を制作する人間の営みの背後に、「四方域」のうちに住む人間の生き方が控えていることを描き出している。ハイデガーは人間のあり方としては「住むこと」が、人間という「存在の根本的な特徴」(119ページ)であり、さらに四方域との交わりをもっとも明確に示すものだと考えている。そして「〈建てる〉という営みは、〈住む〉という営みの傑出したあり方」(115ページ)であると考えている。前の文章では「壺」を実例として人間と物との関係を考察したが、この文章では建てられた橋や農家が、四方域と人間の関係を示すための実例として詳しく考察されている。
「住む」ことがこのように人間の根本的な特徴を示すものという視点から、橋のような構造物と、農家のような人間が住む建物の本質について、ハイデガーは四方域との関係で次のように説明している。「〈四方域〉を大切にすること、すなわち大地を救い、天空を受け入れ、神的な者たちを待望し、死すべき者たちとともにあるという四重の形で大切にすることが、住むことのごく単純な本質なのです」(同)。ここで実例してあげられた橋は、たんに川を渡る構造物であるだけではなく、死すべき者としての人間が天空や大地と、神的なものと交流しながら生きているあり方を、壺よりもさらに明確に示した〈物〉であると考えることができるだろう。
『存在と時間』では人間と物との関係は、主として道具連関という観点から考察されていた。この文章では、このように主として道具として使われる壺のような事物ではなく、人間の生活の枠組みを形作る橋や農家について、四季のうちで天候の変化に応じながら生きる人間の生活と密接した形で考察されている。さらに四方域との関係があらわに示されるこうした建物のあり方と結びつけて、「距離」と空間の違い、近さと遠さの関係などについての深い考察も展開される。ハイデガーはこれらの物について、『存在と時間』における考察を引き継ぎながらも、さらに深いところまで思いを沈潜させたものと言えるだろう。
技術への問い
「世界像の時代」という論文と「物」および「建てること、住むこと、考えること」という講演の記録では、人間が自分の周囲にあるさまざまな道具を作り出す営みの背後に、人間がすべてのものを「対象」として表象する営みがあることを示してきたが、前の講演の記録のさらに二年後の一九五三年に発表された「技術への問い」は、自然に働きかける人間が利用する技術について集中的に考察している。
すでに「世界像の時代」において、近代において人間が世界を像とみなし、自然に存在する物を対象とみなしながら人間が自然に暴力を加えて征服することが、歴史の「進歩」であるという見方が育っていたことが指摘されていた。この論文ではこのように人間が自然を像として、対象として認識することに伴って、人間が自然の一部であり、自然のうちで生きることの意味が見失われて、自然を支配することによって幸福になることができると信じ込んだことがどのような帰結をもたらしているかについて、自然の支配のための手段として利用する技術という観点から掘り下げようとする。
そのためにハイデガーが新たな提示したのが自然の「徴用」(ベシュテレン)という概念であり、「挑発性」(ゲシュテレ)という概念である。どちらも表象(フォアシュテレン)、「前に立てる」という概念のうちに含まれている「立てる」(シュテレン)という語に関連した概念であり、自然をたんに対象とみなすだけでなく、自然のうちに蔵されているものを自分たちの用途に駆り立てて利用することに焦点を当てたものである。
古くから使われてきた水車や風車なども、自然の力を利用する道具であり、技術であるが、こうした道具は自然のもつ力をそのままの形で利用することを目指している。しかし水力発電のためのダムのようなものは、自然に暴力を加えて水流を自分たちの都合のよいようにねじ曲げて利用するものであり、自然に秘められていた力をそれまでにない形で人為的に使い尽くそうとするものである。「徴用」(ベシュテレン)とはこうした自然の力を挑発的に利用しようとする営みの背後にひそむ人間の功利的なまなざしと心構えを象徴的に示す言葉として用いられている。さらに「挑発性」(ゲシュテレ)とは「徴用するために挑発する働きをする」(56ページ)ことであり、「この〈挑発性〉というものは、人間を駆り立てて、現実に存在するものを〈徴用されたもの〉として徴用しながら、〈覆いを取り去る〉ようにするやり方を取り集めたもののことです」(55ページ)と説明されている。
水力発電とは、このように自然の力を「徴用」するためには森林を伐採し、それまで人々が住んでいた住居を破壊して、かつての美しい谷間を水底に沈めてダムとし、そこから高度差を利用して自然のエネルギーを蓄えようとする営みである。さらに原子力発電は自然に存在する鉱石の成分であるウランを精製して、特別な同位体を濃縮して取り出し、核分裂を起こさせて自然には存在しないエネルギーを取り出すものであり、ふつうは自然に存在しないプルトニウムのような元素を作り出す営みである。これらの元素をさらに核爆弾に利用することで、人間は自然を完全に荒廃させ、みずからの存在を抹消する可能性を手にしたのだった。この「惑星的な危機」は、近代以降の自然の「徴用」によって生じたのである。
かつてアドルノとホルクハイマーは『啓蒙の弁証法』において、古代から人間は、自然に暴力を加えて自分のために利用するようになり、それに伴って人間は、みずからにも暴力を加える結果になったことを指摘した。そして、このような帰結を招いた道具的な理性の無力と傲慢さを批判し、理性の全能を信じ込んだ啓蒙の精神を批判した。ハイデガーもこの論文で、自然を挑発し、徴用する近代の人間は、みずからをもまた徴用することを避けられなかったことを指摘している。「人間もまた、対象のないものの内部で徴用する仕事に携わる〈徴用係〉としてしか存在しなくなると、人間はただちに断崖の上に立たされ、人間自身もまた一つの〈徴用されたもの〉としてしか理解されなくなるという危険に直面する」(61ページ)のである。
『啓蒙の弁証法』では近代以降のこうした危機の原因として理性そのものが腐敗し、道具的なものとなっていることを批判した。こうした批判の道筋には強い反論が提起されたが、それは無理のないことであった。理性そのものが腐敗しているのであれば、人間にはそれから逃れる術はなくなるからであり、腐敗した理性がみずからを批判する可能性はどこにあるのかと問わざるをえなくなるからである。これにたいしてハイデガーは理性そのものではなく、対象を表象として「前に立てる」認識のありかたから生まれた近代における「挑発」と「徴用」のあり方を批判することによって、人間の理性がこうしたあり方を批判する道筋を示したのだった。
戦後のハイデガーは、この近代的な理性批判の可能性を追求することに力を注いだ。人間のほんらいのあり方として、挑発的な姿勢によって自然を支配し、利用することでなく、自然の語る言葉に耳を傾け、自然の一部としての人間の存在のあり方に思いを潜めることを哲学の重要な使命だと考えたのである。ハイデガーは哲学と思索の務めは、大地に根差す人間のあり方に目を注ぎ、「この原子力時代において、新たな土台と地盤が、すなわちそこから人間の本質とそのすべての仕事が、新たな形でふたたび成長することができるような新たな土台と地盤が、人間にふたたび与えられる」(ハイデガーの「放下」論文から)可能性を模索することだと考えた。ハイデガーは、〈挑発性〉を否定するこのような姿勢を「放下」(ゲラッセンハイト)と呼ぶ。「あるにまかせる」という意味のこの「放下」の姿勢は、人間が自然とのあいだでふたたび和解し、調和した生き方をするようになるために重要な役割を果たすとされている。このようなあり方のうちでこそ、初めて人間が技術によって徴用されるのではなく、技術を駆使しながらも自然とともに安らかに生き続ける可能性がみいだせるとハイデガーは考えたわけである。
二〇二五年四月 中山 元




